短編

□梅雨
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「梅雨」



「非常事態です」


 六月も中旬。
 全国各地で空の色が鉛色に変わっている頃。

 生徒会室の会長の椅子に座りながら、ヒナギクが重々しい口調で口を開いた。

「梅雨の時季が来てしまいました」
「それがどうした?」

 同じく生徒会室のソファに腰かけた美希が、疑問符をつけて聞き返す。

「確かに梅雨の湿気はうざったいが……そんな重々しく言うほどのものでもないだろ」


 髪の長いヒナギクや美希は、この時期は湿気のせいで髪が肌にベタつく。
 それは本当に嫌になるけれども、今更気にすることもない。

「そうじゃないのよ」

 確かに湿気はうざったいけど、と言葉を置きつつ、ヒナギクは言った。

「雨ばっかりじゃハヤテ君と外で遊べないじゃない!」
「…………はぇ?」

 三点リーダ四つ分の沈黙の後、美希の口から阿呆な声が出た。

「何だって?」
「だから、雨がこうも続いてるんじゃハヤテ君と外で遊べないのよ!」

 ばぁん、と机を叩きながら、ヒナギクは声を荒げた。
 山のように重なった書類たちが宙に舞う。

「梅雨なんか嫌いだー!」
「……ヒナ、お前……」

 ひらひらと眼前を落ちていく紙たちに目をやりつつ、美希は呆れた表情を浮かべた。

「この湿気で頭の中やられたか?」
「失礼ね! 私は正気よ!」
「今の発言のどこが正気だよ」

 はぁ、と美希は深い溜息を吐き、言葉を続ける。

「あのなぁヒナ。このご時世、雨だろうが遊ぼうと思えば遊べるだろ」
「なんでよ?」
「普通に電車とか使えばいいだろ?」
「私は普通よ」
「いや、ヒナのことを普通じゃないと言ってるわけじゃなくて……」

 話が噛み合わない。

「傘持ってけばデートは出来るだろう? すればいいじゃないか」

 外はご覧の梅雨空だが、ここは東京。
 外出する手段などいくらでもある。

 自分でも分かるくらいのことが分からないのだとすれば、今のヒナギクは本当に湿気に頭をやられたのかもしれない、と美希は不安になった。

 だがしかし。

「? 何でハヤテ君とサッカーするのにバスや電車が必要なのよ?」
「そっちかよ!」

 予想外すぎる返答に、柄にもなく美希は大声を出してしまった。

「外で遊ぶってそっち!? ショッピングとか、そういうんじゃないの!?」
「え? 外で遊ぶってそういうことじゃないの?」
「違うだろ!」

 美希は理解する。
 今のヒナギクの頭の中は、子供と一緒だ。

「ヒナ、お前な……」
「何よ? 溜息ついて」
「誰の所為だよ……まぁいい。 ハヤテ君は確かにニブニブな鈍感少年だが、彼女と外で遊ぶと言われたとして、サッカーをするという考えには絶対至らないぞ」

 あの鈍感執事はなんだかんだで気のきく少年だ。
 彼女と外で遊ぶと言われれば、それなりのデートプランも組めるし、実行もする。

「お前……今までハヤ太君とどんなデートしてきたんだよ……」

 今だけは、そんなハヤテに同情しなければいけないと美希は思った。

「え? 普通に買い物とか、映画とか見に行ってるけど」
「それが外で遊ぶっていうことなんだよ!」

 返ってきた言葉に、美希は再びツッコミを入れる。
 今日は立場が逆だな、と内心思いつつ、もはや諭すような口調でヒナギクに言う。

「あのな、ヒナ」
「何よ?」
「ハヤ太君とちゃんとやることやっているなら、あまりアホな事言わないでくれ……。こっちの身が持たない」
「別にアホなことなんて言ってないわよ」
「彼氏とのデートが外でサッカーやることなんて、ネタ以外の何物でもないぞ」

 ヒナギクだってもしかしたらボケに回りたい時もあるのかもしれないな。
 いつもこちら側がボケに回っている分のリバウンドなのだとしたら、それも仕方ないのかもしれない。
 なんてことを考えながら、ヒナギクがハヤテと普通のデートをしていることに安心した。

「え?」

 その矢先。

「いや、普通にしてたわよ? ハヤテ君とサッカー」
「じゃあお前らが変なんだよ! このバカップル!!」

 キョトンとした表情を浮かべながら言ったヒナギクの言葉によって、本日何度目かわからないツッコミを美希は入れた。

「やったのか! 彼氏とサッカー!?」
「うん。普通に楽しかったわよ?」
「デートもしないで!?」
「いや、それもデートなんじゃないの?」
「それはっ……」

 絶対違う、という言葉を言いかけて、飲み込む。

「……」

 考えてみれば、人の恋愛事情にここまで否定的なのもどうだろうか。
 自分の中でのデートの定義は、ヒナギクとハヤテがやっているという買い物や映画といったものだ。
 その中に外でサッカーをするなどというアクティブなものはない。

 しかし、それはあくまで自分の中の話。
 性格その他諸々が子供っぽいヒナギクにしてみれば、彼氏と外でサッカーをすることも、映画を見たり買い物をしたりすることと同じ位置付けなのかもしれない。

「美希?」
「……」

 何より、眼前で不思議そうにこちらを見つめる彼女とその彼氏が満足しているなら、それでいい話なのだ。

「いや、なんでもない」
「そう? ならいいけど……」
「ヒナ」
「何?」

 だったら自分は静かに、暖かく見守るべきなのであろう。このバカップルを。


「早く明けるといいな、梅雨」
「そうね……。本当にそう思うわ」

 深い深いため息とともに机へ俯せるヒナギクに小さな笑みを浮かべながら、美希は拾い終えた書類を手にし、言った。

「じゃあ梅雨明けの時のために今のうちに仕事片付けるか」
「? 珍しいわね、美希がやる気なんて」
「私だってたまにはあるわよ」
「……明日は雨ね」
「梅雨だからな、そりゃ」


 子供っぽい、憧れの彼女のためにたまにはやれることをやろう。

「(……湿気にやられたのは私の頭の方だったか?)」

 そんなつまらないことを考えながら、美希はヒナギクとともに書類の山と格闘を始める。

 外では止むことのない雨が、静かな雨音を響かせていた。

 その音を聞きながら仕事をするのも悪くない、と思ったことは黙っていよう。

 梅雨明けを望んでいるヒナギクに悪いと思いながらも、美希は軽やかにペンを走らせるのだった。



End


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