あやさきけ

□すれ違いラバー
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――それは、私の十八歳の誕生日の事だった。


「……話って、何?」

 先日、感動的な卒業式を迎えた私は、この日彼から時計塔へと呼び出されていた。
 今日突然、携帯電話で。

「はい。まずは…お誕生日おめでとうございます、ヒナギクさん」

 時計塔に着くと、既に彼はそこにいた。
 二年と少しの間見てきた、変わらない優しい笑顔で私を迎える。

「あ、ありがと……」

 思わず赤くなった顔を隠す為、彼に背を向けて礼を述べる。

「? どうかしましたか?」
「なんでもないっ」

 後ろからの彼の声に早口で返事をし、

「そ、そんなことよりっ」と話題を変えるべく私は言った。

「な、なにか用があったんでしょ!?」
「……誕生日をそんな事とは言ってはいけませんよ?」
「わ、わかってるわよ!でもほら…、電話だとなんか大切な話があるっぽかったじゃない? 私、気になっちゃって…。私がそういうの気にすること、知ってるでしょ?」

 我ながら上手いことを言った、と思う(いや、別に思ったことを言っただけなんだが)。
 漸く顔の熱が冷めると、私は彼に向き直った。
 彼は……、何やら緊張した様子で、ぽりぽりと頬を掻いていた。

「……どうしたの?」

 私が問い掛けると、気まずげに視線を逸らされた。
 彼と付き合って、こんな彼の様子は初めてだった。

「ねぇ、どうしたのよ…」

 ――どうして彼は、そんな顔をするの?

 その顔は、ナギに以前見せてもらったアニメの主人公の表情に似ていた。
 すれ違いが重なっていた彼女に、彼女のためを思って別れを告げようとしている……、そんな、顔。

「――――!」

 一抹の、いや、とてつもなく大きな不安が私の体を巡った。
 そんなはずはない、と必死で頭で否定する。
 けれども、否定しても否定しても浮かび上がるこの不安は、どうしようもなかった。
 そんな中、彼が「ヒナギクさん」と、声をかけた。

「………っ!」

 その、決意が込められたような声色に体がびくっと震えた。
 まさか、本当に、恐れていたことが現実に……。

「……ヒナギクさんが十八歳の誕生日を迎えたら、言おうと思っていたことが、あります」

 私の様子に気付かず、彼は話を続ける。

「……なに?」

 彼の返事に返す声は、震えていた。

「ヒナギクさんは四月になったら、イギリスへ留学するんでしたよね」

 そう。皆が進路を決めている中、私は理事長からイギリス留学を言い伝えられていた。
 何でも、優秀な生徒を一人欲しいらしく、今後の交流も兼ねて私に白羽の矢が立てられたのだ。
 断ることも出来た。
 だけど、私の中の好奇心が断ることを許さなかったのだ。
 そんなわけで、私のイギリス留学は簡単に決まった。
 勿論彼にも話をしたし、頑張れと背中を押してくれた。
 でも……。

「……何で、今その話をするの?」
「日本とイギリスじゃ、超遠距離恋愛ですよね」

 嫌な予感が……。

「ヒナギクさんは、遠距離恋愛しているカップルの何割が別れずに続けられるか、知ってますか?」
「………っ!」

 今正に。

「僕は、多分堪えられません」

 当たろうとしている。

「僕は、ヒナギクさんの顔が毎日見られないのは、嫌です」
「……私だって…!」

 それが嫌で、私の返事にも力が入る。

「私だって、イヤ!ハヤテ君の顔が見られないなんて、絶対ヤダ!」
「ありがとうございます」

 嫌だ嫌だ嫌だ。
 折角両想いになれたのに、恋人同士になれたのに。

「だから、そんな状態でイギリスへ行っても、ヒナギクさんは上に行く事は出来ない」
「っ!? そんな事…!」

 ない、という言葉を遮り、彼――ハヤテ君は、言う。

「そんな事、ありますよ…。だから…、僕たちは、今のままじゃ駄目なんだと、思います」
「え……?」

 ――いよいよ、予感が当たる気がした。

「な、なに言ってるのよ!え、遠距離恋愛なんてやってる人一杯いるじゃない!大丈夫よ、私は大丈夫!ちゃんと戻ってくるから……っ!約束するから!だから……っ!!」

 別れるなんて、言わないで。

「駄目です」
「―――」

 首は振られた。肯定の意味ではなかったけれども。

「あ……」
「僕たちは…遠距離恋愛なんて、しちゃ、駄目なんです」
「あぁぁ…」
「だから、僕も『別れます』」

 その言葉を聞いた瞬間、私はハヤテ君に抱
き着いていた。

「ヒ、ヒナギクさん…?」

 戸惑うハヤテ君の声が聞こえる。
 でも、私の口からはそれに答える言葉は出
ない。

「………嫌」
「え……?」
「嫌…嫌……嫌………」
「え?あ、あの、ヒナギクさん?」
「別れるなんて、嫌……!!」

 ハヤテ君と別れる?冗談じゃなかった。
 脳裏に蘇る、幼き日のトラウマ。

「別れるくらいなら、イギリスなんて行かない!!」

 やっぱり、好きになるといなくなってしま
うのだ。
 両親みたいに、私を残して。

「ヒナギクさん!ヒナギクさんの為なんですよ!」
「嫌だ!折角恋人同士になれたのにっ…!別れるなんて、嫌だ!」
「どっちなんですか!?」
「ハヤテ君と別れたくないから!私はここに残るのよ!!」

 いつの間にか、お互い声を荒げていた。
 閑静とした夜の母校に、男女の声が響いている。

「意味がわからないですよ!そうするために僕は別れるのに!!」
「ハヤテ君の方こそわけわかんないわよ!」

 そこまでして、私と別れたいのか。
 きっと私は彼の目にはもう映っていないんだ…。
 私の中で何かが砕けていく感覚の中、ハヤテ君が口を開く。

「……もういいです」
「何がよ……」

 そう返しながら、私はもうどうでもいい、と思っていた。
 ハヤテ君が別れたいという。
 ……なら、いい。
 私は、ハヤテ君の意志を尊重する。
 そして私は、一人で生きていくから。
 ……きっと、ハヤテ君を忘れることなんて出来ないけど、それでも、生きていく。
 そんなことを思う私は、ハヤテ君の次の一言に疑問を持つことになる。

「ヒナギクさんがそこまで言うなら、僕は、別れませんよ」

 ………ん?

「…は?」

 なにやらハヤテ君が今、おかしな事を言った気がする。
 というか、落ち着け桂ヒナギク。
 今までの会話を、じっくり思い出すんだ。
 砕けかけた心に、何かが、戻っていく気がした。

「さようなら、ヒナギクさん。向こうでもお元気で」

 『別れ話』と決め付けるには、まだ早いのではないか。
 そう思ったら、今までの思いはなんのその、慌ててハヤテ君に言及していた。

「ち、ちょっと待って!」
「……何ですか?」
「ハヤテ君は別れ話をしに来たんだよね!?」
「そうですよ」
「誰と?」
「誰?」

 私の言葉に、ハヤテ君は訝しそうに私を見る。

「誰、とは?」
「私じゃ…ないの?」
「はぁ!?」

 ハヤテ君の顔が、その…『何言ってるの、コイツ』みたいになる。

「何で僕がヒナギクさんと別れなくちゃいけないんですか!」
「だって!じゃあ別れるって私以外誰がいるのよ!?」
「『日本』ですよ!」


 ………は?


 彼の言葉にきょとんとするのは、今度は私だった。

「………え? 何?」
「だから、日本と別れるって言ったんですよ」

 つまり、ハヤテ君は私と別れ話をするために来たんじゃなくて、日本と別れるために来た、と。

「え? 何で? どういうこと?」

 私が尋ねると、ハヤテ君は盛大にため息をついた後、

「僕も行くんですよ!イギリスに!ヒナギクさんと!!」
「……………………え?」
「遠距離は嫌だから僕も着いていこうと言えばヒナギクさんは嫌って言うし…」

 え?何?つまり、ハヤテ君は私とじゃなくて、日本と別れる?
 私といるために?イギリスへ行くために?

「……………」

 そう…なんだ…。
 私はまだ、いや、これからも、ハヤテ君と一緒にいられるんだ…。

「で? どうなんですか? 僕は貴方に付いていってもいいんですか?」

 私の、ううん、二人の意見のすれ違い。勘違い。
 二人とも別れたくなくて、ただ、一緒にいたくて…。

「ハヤテ君っ!」
「ん――!?」

 気が付けば、ハヤテ君の唇を奪っていた。
 嬉しくて、嬉しくて。
 溢れるハヤテ君への愛情が、抑えきれなくて。

「ん、はぁっ…」
「はぁ…ん…」

 長い長い、キスだった。
 互いに息を荒くしながら唇を離すと、苦笑したハヤテ君がこちらを見ていた。

「じゃあ、僕も付いていっていいんですね」

 その言葉に、私の顔が綻ぶ。
 私のキスで、想いは伝わってくれたらしい。
 だって、彼の言葉に疑問付がなかったから。

 ああ、本当に私たちは好き合っているんだって…。
 そのことがやっぱり嬉しくて、仕方なくて。
 だから私は、心の底からの笑顔で言ったのだった。

「当たり前じゃない!ずっと離さないんだから!!」




 …


 そんな会話がされたのも、もう二年も前の話だ。


 話の通り、こうして、私たちはイギリス留学をした。
 当時の話を聞けば、ハヤテ君にも理事長から『執事留学』の話が来ていたらしいのだ。
 勿論ハヤテ君は賛同したのだが、どうせなら誕生日に伝えようと思って、私を時計塔に呼んだそうだ。
 全く、先に言ってくれれば良かったのにと思うわけだが、今となってはいい思い出だ。
 イギリスで二年間を過ごし、『とある事情』で帰国した今。
 私たちは変わらず、こうして二人でいられるわけだし…。

 ……ん? プレゼントは何を貰ったかですって?
 ああ、そのプレゼントだったら…。

「エヘヘ……」

 私の左手の薬指に、今も変わらず輝き続けている。
 それが嬉しくて、私は上機嫌に話しかけるのだ。


「そうねぇ、どうせなら、イギリスの話も聞かせてあげましょうか。アナタも興味あるでしょ?」


 今日も元気に動く、私のお腹にいる、もう一つの命に。



End


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