短編 2nd

□寒春
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 今年の春は例年と比べて気温が低い。
 その事はテレビのニュースでも言っていたし、彼女と歩く街中を見ても分かる。

 四月も下旬、四季が春から夏へと引越しの準備を始めてもおかしくない時期だ。にも拘わらず、ホッカイロや手袋といった防寒グッズが大々的に売られている光景には違和感を抱かずにはいられない。

 この時期にこんな物が売られる理由など限られている。


 冬物処分か、まだ需要があるから売っている、このどちらかだ。

 そして、今僕の肌にあたる風の冷たさから、理由は後者なのだと嫌でも分かってしまうのだった。





『寒春』





「―――寒い」

 僕と同じ、春の陽気ならぬ寒気を浴びたヒナギクさんが、小さな身震いをしながら呟いた。

「寒いわ、ハヤテ君」
「僕も寒いです」

 彼女の言葉には僕も苦笑いで答えるしかない。
 僕の傍らで不満げな表情を浮かべる彼女の気持ちが分かるから。

「せっかく久しぶりに出掛けるのに……」
「こうも寒いと、出掛けている気がしませんよね」

 白皇学院の入学式も無事に終わり、ヒナギクさんが大量の書類仕事から解放されたのはつい先日のこと。

 そんな彼女と久しぶりの外出は、見る機会を逃していた桜を見に、近くの公園に行く予定だ。

「う〜……桜、散ってなきゃ良いけど……」
「大丈夫だとは思うのですけれど……」

 この寒さにこの風だ。
 公園の桜が散っている可能性もゼロではない。

 歩いては吹き付ける寒風に、思わず視線が下がる。

 本当に散っていたりして、と一抹の不安も覚えた。

「(………あ)」

 寒さと小さな不安から逃げるかのように逸らした僕の視覚に、白細長い彼女の指が映った。

 手袋もなく、寒気に晒されたままの彼女の両手。


「―――あ」

 ヒナギクさんが小さく声を上げる。
 彼女の手を見た瞬間に、僕の右手は動いていた。

 いや、本来なら始めからこうするべきだった。

「………手、こんなに冷たいじゃないですか」

 彼女の手は、この寒気に負けないくらいに冷たかった。
 右手越しに伝わる冷たさに、申し訳ない気持ちで一杯になる。

「すいません……」

 頭を下げる僕に、彼女は笑みを浮かべた。

「気にしなくていいのよ。だってちゃんと気づいてくれたもの」

 鈍々のハヤテ君にしては上出来よ、そう言うヒナギクさんは、僕の体温で熱が戻ってきている左手を少し強引に前に差し出した。


「それより早く行きましょ? 桜が全部散っちゃう前に」


 優しげな笑みでそう言われ、僕の顔も自然と綻ぶ。


「………そうですね。花見が枝見になっては、堪ったものじゃないですし」
「あはは。何それ」


 ヒナギクさんに手を引かれる形で、僕たちは公園へ向ける足を早めた。


 冬の寒さを引きずるような四月の下旬。

 それでも繋がれた二人の手は、本来の春の陽気に包まれているかのように暖かかった。




End




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