短編 2nd

□チョコレート・デイ
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 二月十四日といえば、世間ではバレンタインデーと呼ばれる日である。
 想い人にチョコレートを渡す、という女の子にとって大切なイベントであるが、実際、二月十四日が示す元々の意味はそのようなものではなく、269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌスに由来する記念日であるとされている。

 まぁしかし今更そんなことを説いたところで、チョコレートを渡すというイベントがなくなるはずもなく。



 白皇学院の時計塔では、そんな屁理屈に見せ付けるかのごとく、チョコレートのように甘い時間を過ごしている者たちがいたのだった。




『チョコレート・デイ』




 白皇学院の時計塔の最上階に位置するのは、学院の生徒なら誰でも知っている生徒会室。
 その生徒会室の扉は内側から鍵が掛けられ、誰も入ることが出来なくなっていた。

 その室内から。

「はい、ハヤテ君。あ〜ん♪」
「あ〜ん」

 甘ったるい声が、これまた甘ったるい空気に乗って、耳に入ってきた。

「……どう、かな?」
「………凄く、美味しいです」
「良かった♪」

 中を覗けば、空色と桜色が寄り添って何やら行っている。
 桜色の髪の少女が、空色の髪の少年の口に何かを運んでいるようだ。
 口に入れたものを味わいながら胃に収め、少年は少女に微笑んだ。
 少年の笑顔に、少女も笑顔で答えた。
 満開の桜のように、美しく華やかな笑顔だった。

「毎年、本当に緊張するんだから」
「緊張することなんてありませんって毎年僕言ってますよね? ヒナギクさんのくれるチョコレートが美味しくないわけないんですって」
「ハヤテ君……」

 まぁ、随分と遠まわしな表現というか言い方をしてしまったが、この二人は綾崎ハヤテと桂ヒナギク。
 毎度お馴染み、白皇学院No.1と称される、バカップルであった。

 バレンタインである今日は生徒会の仕事を早めに終え、普段は仕事をしている時間を二人の時間へすることに決めていた。
 だから美希たちが来ることはないし、愛歌や千桜が入ってくることはない。
 こういう言い方は何だが、邪魔するものはいない、恋人同士の二人きりの時間だった。

「でも毎年申し訳ないです。僕ばかりがチョコレートを貰ってしまって……」

 ヒナギクからチョコレートを口に運んでもらいながら、ハヤテが申し訳なさそうに目を伏せる。

「僕もチョコレートを作ってくるべきでしたね」

 そんなハヤテに、ヒナギクは「そんな!」とハヤテの頬に両手を添えながら、言う。

「ハヤテ君が作るチョコって私が作るものよりずっと美味しいんだもの。私の立つ瀬がなくなるわ!」
「そんなことないですよ。ヒナギクさんが作ったチョコのほうがずっと、高級なチョコレートよりも遥かにずっと美味しいです!」
「そんな……。それにハヤテ君、ホワイトデーにちゃんとお返ししてくれるじゃない」
「それは、そうですけど」
「私はそれだけで充分幸せな気分になれるんだもん。せめてバレンタインくらいは、私からハヤテ君へあげたいのよ」

 だからいいの、とヒナギクはハヤテの腕に自分の腕を絡めた。

「それにこうしてハヤテ君にチョコレートを食べさせられるし」
「……はは。甘えんぼさんですねヒナギクさんは」
「誰のせいだと思ってるのよ?」
「……僕のせいなんですか?」

 身体をくっつけてくるヒナギクを、ハヤテはぎゅっと抱きしめる。
 腕の中に感じる彼女からは、甘いチョコレートの香りがした。

「ヒナギクさん、チョコレートの匂いがします」
「え? 本当?」
「はい。凄く甘くて……ヒナギクさんらしいなぁと思いますよ」

 笑いながらハヤテが言うと、ヒナギクの表情が微かに曇った。

「……なんかそれだと、私が甘いものばかり食べてる風に聞こえるわ」
「あはは。別に、そんな風には言ってないですよ」
「それは分かるんだけど……」

 むー、と頬を膨らませるヒナギクを可愛いなぁ、と思いながら、「それに」と言ってハヤテは言葉を付け足す。

「甘いものばかり食べているのは、僕の方ですから」
「え―――」

 それってどういう意味、と続くはずのヒナギクの言葉は、遮られた。
 言葉を紡ぐ前に、ヒナギクの唇にはハヤテの唇が重ねられていたから。

 優しく、甘く、暖かく。
 柔らかなヒナギクの唇を堪能しながら、ハヤテは静かに目を閉じる。

「………」
「………」

 放課後といえど、生徒会室に―――時計塔の最上階には、誰の声も届かない。
 二人の吐息だけが部屋の中を満たす。


「―――はぁ」
「………いきなりなんて、反則」


 どれだけの時間が経ったかなど、そんな無粋なことは二人は考えない。
 ゆっくりを、名残惜しげに唇を離し、ヒナギクがジト目でハヤテを睨む。
 その視線を笑顔で受け流しながら、ハヤテは答えた。

「だってヒナギクさんがあまりにも可愛かったものでしたから、つい……」
「……………もぅ、バカ」

 その笑顔を前に、ヒナギクは何も言えなくなる。
 顔を真っ赤にして、恥ずかしさで顔を俯けるだけだ。

「本当、ヒナギクさんは可愛いですね」
「……知らないんだから」

 そんなヒナギクを愛しく思いながら、ハヤテは。

「ところでヒナギクさん、さっきの言葉の意味なんですけど」
「……何よ」
「僕はヒナギクさんっていう、物凄く甘くて美味しいものを頂いてます故、ということです」
「………本当に、バカ……」


 ハヤテはにこりと笑って、もう一度、愛しい彼女の顎を軽く持ち上げる。


「ヒナギクさん、ハッピーバレンタイン」
「――――ん」


 二度目の彼女の唇は、自分が食べたチョコレートの味がして、とても甘かった。




End


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