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□いつもと違う夕暮れ
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 そういえば今日はスーパーで特売だった。
 放課後の教室で、高須竜児はそんな重要事項を思い出していた。

「おう……っ! お、俺としたことが……」

 自分の机にバン、と手を置き、がっくりとうなだれる。
 先生に頼まれごとをされ、その作業に没頭していたせいだろうか。
 気づいたときにはもう遅い。

 今の時間ではもう何も特売の商品は残っていないだろう。
 刺身ならば細切大根一本、野菜ならばトマトの『へた』一個だって残されない。
 もしかしたら奇跡的に……そんな幻想を抱くほど、竜児は主夫(実際は息子なのだが)をやっていない。

「今日は大河も泰子も飯いらないって言ってたのが救いか……?」

 打ちひしがれた心境で、そんなことを呟く。
 大河は実乃梨たちと夕飯を食べると言っていたし、康子も店の仲間と食事をするらしい。
 久しぶりの一人の夕飯なので、そこまでメニューを深く考えていなかったのは事実だ。

「いや、駄目だ。きっとそう思っていたから今回の失態を生んだんだ……」

 生まれ持った三白眼を存分にぎらつかせながら、竜児は幽鬼のように言う。

「これは……甘さが生んだ敗北だ……」
「さっきから何一人でぶつぶつ言ってるの? マジキモいんだけど」
「おうっ!?」

 そんな竜児に追い討ちを掛けるような言葉が返ってきて、竜児の肩が跳ね上がった。

「教室誰もいないと思ったら、犯罪者の目ぇしてる奴いるんだもん。流石のアタシもびびったわ」
「川嶋!」

 声の方へ視線を向けると、クラスメイトの川嶋亜美が虫を見るような目でこちらを見ていた。

「お前、こんな時間にまだ残ってたのか」
「お互い様でしょ?」

 よっ、と亜美は小さく声を上げ、竜児の机に腰を降ろした。

 いきなり眼前に形の良い小尻が現れ、気恥ずかしくなって竜児は視線をそらす。

「で? なんでアンタはこんなところで打ちひしがれているわけ?」
「別に……ちょっと気の緩みを悔やんでただけだよ」
「はぁ? 何それ?」
「そういうお前はどうしたんだよ。いつもならとっくに帰ってる時間じゃないのか?」

 意識してそういう行動をしているのか分からないが、竜児はとりあえず亜美に問い返した。
 竜児の問いに亜美は「ちょっと」と一言おいて、

「進路のことでゆりちゃん先生に……ね」
「進路?」

 帰ってきた意外な言葉に、竜児は三白眼をできる限り丸くする。
 それ、しゃれなんない目よ、と亜美はジト目で睨んでいたが、

「ふぅ……。進路調査の紙きたでしょ?」
「ん? あぁ、そういや配られてたな」

 先週か先々週辺りにそんなものが配られたような気がする。
 自分は何を書いたかよく覚えていないが。

「その紙、何も書かないで白紙で出したら怒られちゃった」
「はは。白紙ならそりゃあ先生も怒るわな」
「まぁね」

 苦笑する亜美を見ながら、竜児は意外に思った。

「でも川嶋が白紙で出すなんて意外だよ。俺はてっきり『芸能界入り』とか『女優』とか『ハリウッド』とか書くと思ってた」
「高須君、アンタアタシを何だと思ってるのよ……」

 竜児の言葉に、亜美は呆れと疲れが混じった大きなため息を吐いた。

「まぁそんなこと書いて出そうとも思ったわよ」
「そうなのか?」
「うん。でも、なんか違うなって思ったのよ」
「へぇ……」
「私って今はモデルやってるけど、この先もモデルやるかどうかは分からないのよ」

 亜美は話を続ける。

「このままモデルやるかもしれないし、もしかしたらOLやってるかもしれない」
「そんなもんなのか?」
「そんなもんなのよ。将来なんて」
「ふぅん……お前にも色々あるんだな」

 そう相槌をうって、竜児は亜美を見た。
 夕日に照らされるその横顔は、なんだか寂しい。

「……なぁ川嶋」

 別に、その表情を見たから、というわけではない。

「ん? なぁに、高須君」

 ただ、なんとなく思ったから、その言葉が口から出たのだ。
 こちらを向いた亜美に、竜児は言った。

「今日、これから暇か?」
「へ? 別に予定はないけど……どうして?」
「お前さえ良ければでいいんだけど、俺ん家で晩飯食っていかないか?」
「……晩飯?」
「おう」

 竜児の言葉に、亜美の目が驚きで少し開かれた。

「急にどうしたのよ?」
「いや、今日俺の家、大河も康子もいなくてな。一人で晩飯を食うのにためらいを覚えていたところだったんだよ」
「はぁ? 一人の食事なんて普通じゃん」
「まぁそうなんだけど」

 竜児自身、何故今こうして亜美を夕飯に誘っているのかよく分からない。
 けれど、もう少しだけ、亜美と話がしたいと思ったのは本当のことだった。

「無理にとは言わねぇが」
「…………」

 亜美は竜児の顔をまじまじと見ていたが、ため息を一つ吐いて頷いた。

「……まぁ、別にいいけど」
「本当か!」
「でも、美味しくなかったら即行で帰るからね」
「おう! そこら辺は心配すんな!」

 そうと決まれば、と竜児は鞄を手にとった。

「じゃあスーパーよって帰ろうぜ」
「スーパー?」
「食材買わなくちゃいけねぇからな」
「……人食事誘っといて、今から食材買うのかよ」
「細かいことは気にするなって」

 外を見れば、茜色の空も段々と暗くなり始めている。
 もう少しで真っ暗になるだろう。

 急に嬉々とし始めた竜児に亜美はもう一度ため息をつくと、「やっぱり高須君って変だわ」と苦笑を浮かべた。

「そんなに変か?」
「変よ。大変」
「何だよ大変って」
「別に? でも……嫌いじゃないわ、そういうところ」

 そう呟いて、亜美も竜児の机から腰を上げた。
自分の鞄を手に持ち、二人は夕暮れの外へと向かい始める。

「じゃ、行きましょうか。美味しいの期待してるわよ、強面のコックさん」
「強面は余計だっつーの」

 沈みかけた夕日が照らす、並んで歩く二人の影。


「……ねぇ高須君」
「ん?」
「あのさ……今日みたいに、私をまた夕飯に誘ってくれる?」
「…………おう」


 その二つの影が手を繋いでいるように見えたのは、きっと二人の距離が近くなった証明だろう。




End



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