短編

□五月の雨
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 五月も下旬となると、段々と梅雨入りも近くなってか、天気予報に傘マークが表示されることが多くなってきた。
 本日も天気予報は傘マーク。しかも70%と高めの予報数値。
 お天気コーナーのお姉さんが話す画面を見ながら、桂ヒナギクはため息をつく。

「はあ……」
「どうしましたか? ヒナギクさん」

 その様子を見ていたハヤテが声をかける。

「ハヤテ君……おはよう」
「ええ、おはようございます」

 ちなみに時刻は午前五時を少し回ったところ。
 ムラサキ荘の屋根の方からは、予報通りの雨音が聞こえてくる。
 その雨音を聞いてまたため息をつきつつ、ヒナギクは視線をテレビからハヤテに移す。

「こうも連日雨だとね……調子が出ないのよ」
「結構続いてますからね、雨」
「そうなのよ。まだ梅雨入りには早いのに」

 ヒナギクとの会話で、ハヤテは思い出した。
 早朝のランニングをしないと、ヒナギクは調子が出ないのだったと。
 この時間帯はヒナギクがいつもランニングに出ている頃だ。
 しかしここ最近、連日の雨でその日課を出来ず、テレビのニュースを見ているヒナギクの姿をよく見かけるようになった。

「(色々ストレスも溜まっているんだろうなあ)」

 表情が優れないヒナギクを見ながら、ハヤテはそう思う。
 普段していることを出来ないと、どうしてもいらいらしてしまうものだろうし。
 ハヤテ自身、いつもランニング帰りのヒナギクに渡していたレモンのはちみつ漬けが放置状態にあることに若干の物足りなさを感じていた。

「いつになったら晴れるのやら……」
「天候ばかりは仕方ないですしね」

 ヒナギクがいくら天気予報を恨めしそうに見たところで、外の雨音に変化はない。
 しかしハヤテとしては、そんなヒナギクを見るのも心苦しいわけで。

「何か他に出来ることがあるといいんですけど……」

 そう呟いたところで、思った。
 何もランニングだけで身体を動かすこともないのではないか、と。
 確かにランニングが一番効率的な運動だろうが、それ以外のことで身体を動かしても、多少なりヒナギクのストレスは解消されるはずだ。
 時刻は五時、早朝。
 この時間帯に起きているのはハヤテとヒナギクの二人だけ。
 出来ることも、ある。

「あの……ヒナギクさん」
「んー?」

 ということで、ハヤテはヒナギクに提案してみる。


「一緒に朝食、作りませんか?」
「……え?」

 ハヤテの言葉に、キョトンとした表情を浮かべるヒナギク。

「別にいいけど……どうしたの? 突然」
「いえ、前にヒナギクさん、身体を動かさないと調子が出ないって言っていたでしょう? ランニングが出来ないんですし、少しでも身体を動かすことをすれば多少は調子が出るんじゃないかと」

 ヒナギクの料理の腕は、以前ヒナギクの家に世話になった時に知っている。
 ヒナギクの調子も少しは良くなるだろうし、何時もより豪華な朝食だって用意出来る。
 デメリットなんてない、まさに一石二鳥だ。

「朝食……」
「ええ。折角ですから、久しぶりに二人で料理しませんか?」
「ふ、二人……!」

 二人、という言葉に反応して、ヒナギクの頬が赤くなった。

「? どうかされましたか?」
「い、いや……別に」

 赤い顔を隠すようにテレビに顔を向けて、ヒナギクは考える。
 いつもは起きてすぐランニングへ行っていたから気付かなかったが、この時間帯はハヤテと二人きりなのだ。
 ということは、自分は気づかないうちにチャンスを逃していたことになる。

「(私って、ホントバカ……)」

 日課とはいえ、そのことに微塵も気付いていなかったことに少しショックを受ける。
 しかも散々恨めしかった雨のおかげでそのことに気付かされたのだから、本当に釈然としない感じだ。
 ……しかし。

「い、良いわよ」
「はい?」

 今回のチャンスは、他ならぬハヤテが与えてくれた物。
 想い人のこの提案に、乗らない手はなかった。
 何とか顔の熱を元に戻して、再びハヤテの方を向く。

「朝食、一緒につくりましょ?」
「……はい、お願いします」

 柔らかい笑顔を向けられて、ヒナギクも笑う。
 ストレスの原因だった雨音も、二人の空間を彩るBGMのように思えてくる。
 単純な人間だと思う。好きな人と何か出来るだけで、こうも心持ちが変わってしまうのだから。

「じゃあ台所へ行きましょ? 皆が起きる前に用意しなくちゃ」
「そうですね、行きますか」

 テレビの電源を切って、ヒナギクは立ち上がった。
 朝食のメニューは何にしようか、そんなことを話しながら二人で台所へと向かう。

「ヒナギクさんと久しぶりの料理……なんか僕、ワクワクしてきましたよ」
「私も。なんか、張り切って来ちゃったわ」


 好きな人に少しでも良いところを見せたい。
 そう思うと、ランニングよりも身体を動かせる気がする。

「……ふふ」

 私って本当に単純なんだなあ、と苦笑しつつ、ヒナギクは朝食の支度を始めるのだった。
 傍らで大好きな人を感じながら。


End


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