短編

□二月十四日
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 二月十四日。
 この日の白皇学院は、いつもの落ち着きが欠けている感じがする。
 理由は分かるし、私自身生徒会長でありながら、授業がほとんど頭に入っていない状態だった。

「…………」


 身体はそわそわ、心臓ばっくばく。

 それが今現在の私、桂ヒナギクだ。
 黒板を見ているようで、心の目は全く違う方へ向けている。
 数式の答えを導くのではなく、鞄の中に大切に包装されているモノの渡し方に思考を巡らせている。
 いつも以上に彼が気になる。

「……はぁ」

 全く本当に。
 厄介な日である――バレンタインというものは。




「はぁ」

 一日中そんな状態で授業を受け、放課後。

 誰もいない生徒会室で、机に突っ伏しながらため息。
 結局彼――ハヤテ君へ声を掛ける勇気が出なくて、彼に渡すはずだったモノは相変わらず鞄の中である。

「溶けてないかなぁ……」

 思わず不安になって呟く。
 早く渡しておけば良いものを、と思ってしまうが、生憎そんな勇気を私は持ち合わせていない。

「折角作ったのに……」

 鞄の中からそれを取り出し、机に置く。
 大きさこそ小さいものの、それでも精一杯気持ちを込めて作った物だ。
 それも、このままだと渡せない。

 ハヤテ君はまだ学校にいるだろうか。
 今からでも勇気を出して渡しに行こうか。
 でも……断られたらどうしよう。

 少しでも勇気を出そうとしても、すぐに弱気がそれを押しつぶす。
 これほど恋愛に臆病な自分が恨めしかった日もないかもしれない。

「もういっそ……! 義理っていうことで……!」

 渡せないのだけは嫌だ、そう思い、チョコを持って席を立つ。

 ――それで本当に良いの?

 すぐに弱気が自分を押し潰そうとしてきた。
 しかし今度こそは、それに負けるわけにはいかない。

 勇気と弱気、そんな自身との葛藤を長々と続けてきたから現状を生み出したのではないか。

「――シャキっとしなさい!!」

 自分を鼓舞するために、大声を張り上げる。
 大丈夫、渡すぐらい出来る。
 想いを伝えることは出来なくても、チョコに込めた想いだけは無駄にしたくはない。

 そう思うと、勇気が出てきた。

「さぁ行くわよ! 桂ヒナギク!!」

 大丈夫、今ならきっと渡せる。
 まずは教室、いなかったなら、喫茶どんぐり。
 ハヤテ君は今日シフト入っていたかな?

 それでもダメなら家に押しかけてでも――!

 いつの間にか弱気な自分は影を潜め、前向きな自分がそこにはいた。
 出来ることならもう少し早い段階で出てきて欲しいが、贅沢は言わない。

「待ってなさいよー! 綾崎ハヤテ!!」

 チョコを確認、鞄は左手。
 キッと前を見据え、スタートダッシュの準備は万全――。

「――え?」

 ――そう、思っていたのだが。

「あ、あはは……」
「な、ななな……」

 廊下は走らない、なんていう校則すら無視して廊下を駆け抜けようとしていた私の足が、動くことはなかった。
 そもそも、その必要がなかったのだから。

「なんでいるのよ!?」

 眼前で引きつった笑いを浮かべているハヤテ君に、私は言った。

「い、いつの間に……!?」
「その……ついさっきです」
「全然物音しなかったわよ!? というかき、聞いてた……!?」

 申し訳なさそうな表情を浮かべているハヤテ君に、恐る恐る聞いてみる。
 全部聞かれていたらどうしよう……顔から火が出るかもしれない。

「鍵が掛かっていなかったのでいるのかな、と」
「ノックをしなさい! で、聞いてたの!? 聞いてなかったの!?」
「き、聞こえてました……バッチリ、全部」
「――――!」

 ついさっきじゃないじゃない!
 それってつまり……最初からいたってこと……?
 恥ずかしさと驚きで、言葉にならない声を上げる。
顔から火は出なかったけれど。

 しかし火こそ出なかったものの、私の状態は非常にまずいものと思われる。
 理由など簡単だ。

 一部始終聞かれていたということは、私がこれから、誰に、何をしに行くのか伝わっているということなのだから。
 それも本人に。

「そ、それで、あの……」
「は、はい!? なんでしょう!?」

 その彼から声をかけられ、声が上ずってしまった。
 仕方ないとはいえ、我ながら動揺しすぎではないだろうか。
 そんな私に対し、ハヤテ君は。

「それ……貰えるんですか?」
「は……ふぇ?」

 申し訳なさそうな表情を崩さないまま、怖ず怖ずと私の右手を指さした。
 指先が示す場所を辿って、私は眼球を動かす。
 そこにあったのは、小さな包み。

「それって……」
「チョコレート……です」

 視線をチョコからハヤテ君に向けると、恥ずかしそうにハヤテ君は頷いた。
 え? それって……つまり。

(そういうこと、なのかしら……?)

 ハヤテ君の行動の意味に、思わず期待してしまった。
 もしそうなら凄く嬉しい。
 でも……勘違いの可能性だって大いにありえる。
 どうしてもネガティブな考えをしてしまうのが、私という人間らしい。

(どうしよう……なんて、言っていられないか)

 だが奥歯を噛み締めて、足に力をいれて、踏ん張る。
 弱気に負けないように。

 弱気の自分はさっき撃退した。
 撃退出来た。
 だから今だって上手くやれる。

 チョコに込めた想いを無駄にするのだけは絶対にしたくない、そう誓ったじゃないか。

 すぅっと小さく息を整え、ハヤテ君の眼を真っ直ぐ見て、尋ねる。


「…………これ、欲しいの?」


 掌の小さなチョコをハヤテ君に差し出す。
 彼の返事を聞くのが怖い。
 でも言ってしまった。
 後戻りは出来ない。
 まるで告白をしているような心境だ。

「欲しいなら、あげるけど……」

 そう言葉を続けて、思わずハヤテ君から顔を背ける。
 顔が熱くて、マトモにハヤテ君の顔を見れなかった。

 動悸が異常なほど早い。
 返事を聞く前に死んでしまうのではないか。

 そんなことを思っていたら、右手に感じていた重みがなくなった。

「……あ」

 横目で右手を見ると、小さな包みがない。
 視線だけをハヤテ君に向けると、

「……ありがとうございます。凄く、嬉しいです」

 照れくさそうに、でも嬉しそうに笑っていた。
 その表情を見て、私も自然に笑顔になっていた。
 私の中の不安が一気になくなって、安心して、泣きそうになる。
 泣き笑いとはこの事だ。

 そんな自分を見せたくないから、ハヤテ君から視線を外して、私は。


「…………どういたしまして」


 照れ隠しの意味も含めて、ぶっきらぼうにそう答えたのだった。
 こんな真っ赤な顔で、上手く隠せたかはわからないけれど。





 …





「チョコ、凄く美味しかったです」
「そ、そう……」

 して、帰り道。
 あの後何とか心を落ち着かせた私は、ハヤテ君と雑談を交えながら仕事をした。
 私のチョコを食べて「美味しい」を連呼された時はまた顔から火が出そうになったのだが、渡すときの恥ずかしさに比べたらなんてことない。
 区切りの良い所まで終わらせて、こうして帰路についた訳だ。

「はい。あんなに美味しいチョコを食べたのは生まれて初めてかもしれないです」
「ちょ、ちょっと……それは言い過ぎよ」

 口から出るのが褒め言葉ばかりで、顔が熱くなる。
 恥ずかしい。
でも、全く嫌な気はしない。

「もぅ……」

 止めて、と言ったところで、ハヤテ君は言うのを止めないだろう。
 確信はないが、そんな気がする。
 ため息を吐いて、少しでも顔の熱を下げようとしながら歩く。

「あのさ、ハヤテ君」
「はい?」

 互いに帰り道が分かれる所まで来て、私はハヤテ君に尋ねた。

「どうして……私のチョコが欲しかったの?」
「……それは」

 ただ、気になっただけ。
 ハヤテ君なら、私以外の女の子から沢山チョコを貰えるはずだ。
 仕事中にちらりと見えた彼の鞄の中には、チョコレートらしきものがいくつか入っていた。
 教室で泉たちが渡していたのも見ていたので(その時ほど泉を羨ましく思ったことはない)、彼女たちの分も含まれているのだろう。

 ハヤテ君からチョコを欲しいと言われたのはとても嬉しい。
 まさか求められるとは思わなかった。
 むしろ受け取ってもらえない可能性に怯えていたのだから。

「答えて、くれるかしら?」

 それだけで十分じゃないか。
 それでも理由を聞く自分は本当に嫌な女だ、そう思う。

 そんな事を考えながらハヤテ君を見ていると、彼はそのまま私に背を向けた。
 私が向かう道とは別の――つまり彼の家がある方角だった。

(……答えて貰えないか)

 彼にだって言えない事情があるだろう。
 受け取ってもらえただけで、自分の想いを無駄にしなかっただけでも十分だ。
 内心で苦笑を浮かべながら、彼の後ろ姿を見送る。

「…………」
「え?」

 せめてハヤテ君の姿が見えなくなるまでは、とじっと見つめていると、少し歩いて、彼は振り返って何かを呟いていた。
 しかし声が小さくて良く聞こえない。

 その事はハヤテ君自身も分かっていたのだろう。
 彼が大きく息を吸ったのが分かった。
 そして。



「――好きな人からチョコを貰いたかったんです!!」



 今度は、はっきり聞こえた。
 でも、その意味を頭で理解するのには時間を要した。
 頭の中で言われた言葉を整理する間に、ハヤテ君の姿は小さくなっていく。

 私以外誰もいない道で、立ち尽くす。

「――え? ちょっと待って?」

 ようやく思考が追いついて、ハヤテ君の言葉の意味を理解する。

「その、つまり……えーと……」

 体中が熱くなる。
 目頭に何かが込み上げてくる。
 口は、言葉を発そうとしても上手く動かない。

「〜〜〜〜!!!!」

 でも、言葉は出なくても、足は動いていた。
 廊下を走るなんてものではない。
 全力疾走、通行人すら跳ね飛ばす勢いで、彼の背中を追いかける。

「――綾崎ハヤテェェェェェ!!!!」

 見えなくなりそうだった背中に近づいた時、私は今まで発したことのない大声で、叫んだ。
 ハヤテ君が振り返る。
 戸惑った表情だ。
 でもそんなの関係ない。
 彼がしたように、それ以上に大きく、大きく息を吸う。
 彼の言った言葉の意味を、私は誤解しているかもしれない。
 でも、誤解なんかじゃないと確信に近い物を私は感じている。
弱気すらも息と共に吸い込んで、それらを全て吐き出すように、私は叫んだ。



「私も貴方が大好きだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」



 彼の顔は、見ていない。
 眼を瞑って、気持ちを全力で伝えて、そのまま来た道を全力で戻ったから。
 私の言葉を聞いて、彼はどう思ったのだろうか。

 家まで全力疾走で帰る間は、そんな事ばかり考えていた。
 でも不思議なことに、あれだけ私を苦しめていた不安な気持ちは、全く感じなかった。
 結果を気にすることよりも、ずっと溜め込んでいた気持ちを伝えられた事が、嬉しかった。
 家の扉を勢い良く開けて、階段を駆け上がり、部屋のベッドに飛び込む。
 今日は夕飯は必要なさそうだ。
 この気持ちのまま、眠りたい。
 興奮で眠れるかどうかは、分からないけれど。

「……大好きなんだから」


 興奮冷めぬ私は、そう呟きながら。
脳裏に大好きな人の笑顔を思い浮かべながら、瞼を閉じたのだった。





 …





 後日談。
 といっても大して語ることは無いのだけれど。
 結局あのまま私は寝てしまって、気がつけば朝になっていた。
 目覚めはやけにスッキリだった。
 あれだけ大声を出したから、少しばかり喉が痛かったけれど、でもその痛みが昨日の出来事が夢ではないことを証明してくれた。
 ハヤテ君に会ったらどうなるのだろう。
 そんな事を考えながら、いつもよりも早く登校して。

 ――誰もいないと思っていた校舎へ続く道で、ハヤテ君が待っていた。
 ハヤテ君に会ったらどうなるのか、そう思っていたが。
 私は、自然と笑顔になっていた。


「おはようございます、ヒナギクさん」
「……おはよう、ハヤテ君。早いわね、こんな時間に」
「ええ。とても大切な用事がありましたので」
「……そうなんだ」
「はい」


 ハヤテ君を見つめて、次の言葉を待つ。
 ハヤテ君は真剣な表情で私を見つめて、そして。



「僕は、ヒナギクさんのことが――――」



 その先は、言わなくても分かるでしょ?
 ハヤテ君が何を言って、私が何と答えたのか。

 でも、結末だけを抽象的に言うのであれば、そうね……。


 私とハヤテ君は、体中から火が出るくらいにアツい毎日を送っている、かな。
 ――勿論、二人一緒に。




End





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