短編

□腕一本
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「腕の一本でもあげたらいけないと思うのよ」
「はい?」

 ヒナギクさんが突然そんなことを言ったので、僕は読んでいた書類から目を上げた。

「どうしたんですか? 突然」

 そのまま視線をヒナギクさんに向けると、「これよ」と言って僕に見開きのページを見せてきた。

「これがどうかしたんですか?」
「このページの、この行」

 指を指された所を見てみると、なるほど。
 ヒロインらしき女性を助けるために、主人公が戦う場面だった。
 冒頭でのヒナギクさんの言葉は、この主人公の台詞を見ての感想だったらしい。

「そういうことですか」

 僕が納得した様子を見て、ヒナギクさんは「そうよ」と頷いた。

「ナギから読めって言われたから読んでみたのだけれど……腕の一本や二本あげたところで、結局この先ヒロインを守ることは出来ないと思うのよ」
「それは……まぁ」

 ヒナギクさんの言うことも最もだが、こういった台詞というのは、文章に緊迫感を出すために様々な作品で用いられているものでもある。
 僕自身はこういった自己犠牲の台詞はとても好きだし、場の情景を浮かべやすくしてくれると思っている。
 だが、ヒナギクさんはそうではないようだった。

「この先もヒロイン守っていく気なら、腕の一本どころか擦り傷一つ負わないような強さを身に付けるべきだわ」
「あはは……ヒナギクさんらしい意見ですね……」

 ヒナギクさんの意見に、僕は苦笑するしかない。
 ヒナギクさんは腕を組んで、言葉を続ける。

「私なら腕の一本どころか、髪の毛一本たりともあげたくないわね。こんな奴に」
「と言いますと?」
「出来ることなら、大好きな人に、身も心も捧げるわ」

 もちろん一生ね、と言い切ったヒナギクさんは、本当、女の子にしておくには勿体無い位に格好良い。
 ヘタすればこの主人公よりもずっと、主人公属性が強いのではないだろうか。
 そんな、口に出したら絶対に怒られることを考えていると、ふと思ったことが一つ。

「……ヒナギクさんのそういう相手って、誰かいますか?」
「そんな相手?」
「だから、ヒナギクさんが身も心も捧げたい、と思うような……」

 駄目だ、恥ずかしくて後半は声が小さくなってしまう。
 これではまるで、その人物が僕であってほしいと言っているようじゃないか。
 思わず頬が熱くなるが、そんな僕を気にした風もなく、ヒナギクさんは言った。

「ハヤテ君に決まってるじゃない」
「……へ?」

 ヒナギクさんの言葉が、一瞬理解出来なかった。
 少しのタイムラグを得て、その言葉が身体中に染み渡ってきた。

「あ……そ、そうなんですか」
「当たり前でしょ」

 馬鹿なこと言わないの、と呆れた表情のヒナギクさんの視線を受けて、頬どころか体中が暑くなって来た。
 だってそうじゃないか。
 今のヒナギクさんの言葉は、まるで―――。

「まぁ……プロポーズみたいな言葉だけどね」

 ―――結婚を申し込んでいるかのような、言葉だ。
 自分の言葉が恥ずかしくなったらしく、ヒナギクさんの頬も紅潮していた。
 僕もヒナギクさんも、恥ずかしさの余り口を開くことが出来ない。

 二人きりの空間に、気恥ずかしい空気が漂う。


「……その」

 少しばかりの時間が過ぎて、耐え切られなくなったヒナギクさんが口を開いた。

「何か、言ってよ」
「え?」

 頬を上気させながら、上目遣いでこちらを伺うヒナギクさん。
 その瞳は何故だろう、少しばかり不安の色が見えている。

「……あ」

 その理由は直ぐに分かった。
 当たり前じゃないか。
 プロポーズのような告白をしたのに、相手から何の返事もないのだから。

 不安になるのは当然だ。

 ただでさえ男らしくない立ち位置にいるというのに、何をやっているんだ僕は。
 心の中で自分を叱責して、僕はヒナギクさんにしっかりと向き合った。

「ヒナギクさん」
「……何よ」

 言う言葉は決まっている。
 二番些事というのが、本当に情けないのだけれど。


「僕が、人生を捧げたいと思っている女性は、ヒナギクさん以外考えられませんから」


 二番些事の言葉でも、ヒナギクさんは安心したように、笑ってくれた。
 その笑顔を見て、僕は思う。


 もう少し先、ちゃんとした言葉を言うときは、僕の方から必ず言おう。
 その時はどうか、『捧げたい』なんて受身的な言葉ではなくて、『貴女の人生全部くれ』と言えるような男気を持っていますように。

 そんな、余りにも似つかわしくないことを思いながら、僕もヒナギクさんに笑顔を返すのだった。




End
  




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