あやさきけ2

□師走
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 12月に入り、師走の時期がやってきた。
 学校では先生たちが忙しそうに職員室を駆けまわり、今年のうちに終わらせなければならない作業に追われている。

「ちょっと京之介、早く終わったならこっち手伝いなさいよ!」
「うるせえ! まだ終わってないんだよ!」
「はあ? ちょっとなんでまだ終わってないのよ! 鈍くさいわねえ!!」
「少しも片付いていないお前には言われたくないわ!」

 忙しさの余り、先生たちの苛立ちも相当溜まっているのだろう。
 忙しい雰囲気と怒号によって、12月の職員室はデコレートされていた。

「は〜……忙しそうだねえ」
「そうねえ」

 そんな様子を、職員室の入り口から二人の人物が覗いている。
 一人は意思の強い琥珀色の瞳に呆れの色を浮かべ。
 そしてもう一人は、空色の瞳に好奇心の色を浮かべて。

「どうするアイカ? 出直す?」
「いんや、忙しい時にこそ行くべきだよね!!」
「……アンタって子は……」

 そう、言わずもがな、綾崎母娘である。
 アイカの母の姉である雪路に用事があって、二人は今日この職員室を訪れていた。
 提出しなければならない書類を渡すだけなので大した用ではないのだが、眼前の光景を前にしては、少しでも時間を使わせてしまうことに若干の抵抗を覚えてしまう。

 ダメ人間の姉とはいっても、やることはしっかりとする姉だ。
 姉の旦那が「全然片付けていない」と言っていたが、恐らく目には見えない所から片付けていたのだろう。

「だってだって! どんな様子なのか、もっとハッキリと見たいじゃない!?」
「忙しいんだから、用を終わらせたら直ぐ帰るわよ」
「えー」

 だから用を済ませたら帰ろう、と言っているのだが、愛娘の方は母の方針には不満のようだ。

「つまんなーい……」

 口を尖らせつまらなそうに呟くアイカに、ヒナギクは額に手を当てながら言う。

「全く、誰に似たんだか……」
「ママじゃない?」
「そんなわけ無いでしょ」
「じゃあパパだ」
「……ありえる、のかしら……」

 空気を読めるようで読めない自分の夫を思い出し、ヒナギクはため息。
 だが、だからといって忙しい先生たちの時間を余計に割かせても良い理由にはならない。

「でも、用が済んだら帰るんだからね」
「…………ケチ」
「はい?」
「ナンデモナイデス」

 三度目の正直。
 アイカもヒナギクの方針に納得してくれたようなので、ヒナギクは笑顔で手元の白桜を元に戻したのだった。



 そんなやり取りを終え、二人は職員室へと入る。

「失礼します」
「失礼しまーす」

 慌ただしく動いていた先生たちは、入ってきたヒナギクたちの姿を見て一端作業を止めた。

「桂じゃないか!」
「お久しぶりです」
「久しぶりだなー。元気だったか?」
「ええ、おかげ様で」

 昔から白皇にいる教師ならば知らない者はいない生徒会長に、ヒナギクを知っている先生たちが近づいてきた。

「すっかり人妻が板についたなあ。はっはっは」
「あはは……そうですか?」

 自分を囲んでくる先生たちに挨拶を返しながら、ヒナギクは目的の人物の元へと移動する。

「お姉ちゃん」
「ん? あら、ヒナとアイカじゃないの。どったの?」

 汚い机を整理していた雪路が、少し驚いた表情を浮かべて二人を見る。
 その反応に、ヒナギクは呆れ顔を浮かべた。

「どうしたのって……もう、書類を持ってきてって言うから持ってきたんじゃない」
「書類……? ああ、そんなのもあったわねえ」
「はあ……」

 人妻になったといえばこの姉もそうなのだが、根本的にズボラなところはまだ治っていない様だ。
 旦那の苦労が目に見えて来る。

 雪路を見ると、既に片付けの作業に戻っていた。
 姉の態度にため息をつきつつも、ヒナギクは書類を雪路に差し出す。

「まあ良いけどね。取り敢えず、はい。言われてた書類」
「ああ、ありがと。その辺に置いといてくれる?」
「その辺って……」

 雪路の言われた通りにしようとするが、雪路の机の上は書類を置く「その辺」というスペースすらない。

「置く場所が無いのだけれど」
「え? あー……じゃあ京之介の机の上にでも」
「おい!」

 作業を続けながら、京之介が突っ込む。
 何というか、この姉は本当にもう……。

 ヒナギクはため息を吐くと、アイカに持っていた書類を手渡した。

「義兄さんの邪魔なんて出来るわけないでしょ。はあ……アイカ、ちょっとこれ持ってて」
「ほえ? 渡したら帰るんじゃないの?」
「渡せたら、ね。この状態じゃまだ渡せないから」
「あら。悪いわねえヒナ」
「全くよ」

 嬉しそうに声を弾ませる雪路にジト目を向けながら、ヒナギクは机の上の物を整理し始める。

「しかし何ともまあ……」

 作業を始めて数分しか経たないが、その時点でヒナギクはほとほとと呆れ返っていた。
 視線の先は勿論雪路の机の上。
 どこの学校でも使われているようなその事務机は、菓子箱や玩具の山、山、山。
 これは一体どこのお子さんの学習机なのだろうか。
 いや、残念ながら歴とした教師の机である。
 この姉の授業を受けている生徒たちが不憫でならない。

「一体何しに学校へ来ているの? お姉ちゃんは」
「何おう! 勿論仕事に決まってるじゃない!」
「……仕事の物が一切見当たらないんだけど」

 菓子箱をゴミ袋に入れたと思ったら、今度は剣玉。剣玉を足元のダンボールに入れたと思ったら、今度は携帯ゲーム機。
 授業で使うノートとか、生徒から提出された課題とか、そのようなものは一切ない。
 ヒナギクはアイカに目を移すと、流石のアイカも、苦笑を浮かべていた。

「……何ていうか、雪路姉ちゃんって凄いね。いろんな意味で」
「ええ、全くよね」
「え? 何々いきなりそんな事言って。褒めたってお酒ぐらいしか出せないわよ〜」
「「…………はあ」」

 話に割り込んできても下らない事しか話さない雪路に、ヒナギクとアイカは何度目かのため息を吐いた。



 …



 そこから大体三十分程経って。
 ゴミや玩具で溢れかえっていた雪路の机は、見違えるほどに綺麗になっていた。

「終わった……」

 椅子に腰掛けて呟くヒナギクに、雪路は上機嫌に声をかける。

「うひゃー綺麗綺麗。さっすがヒナ、私の妹!」
「あーはいはい……」

 返事すら億劫で、適当にあしらう。
 ヒナギクの足元には、雪路の玩具が入ったダンボールが何箱も積まれていた。
 それほど広くない事務机のどこに、これ程の物を置く場所があったというのだろうか。
 ヒナギクには疑問で仕方がない。

「す、凄いね……」

 引越しを思わせるようなダンボールの量に、アイカが声をあげる。

「雪路姉ちゃんがダメ人間だってことは知っていたけど……ここまでだったなんて」
「ようやく分かったようで嬉しいわ、アイカ……」

 母娘共々、疲れた表情で頷く。
 今ではヒナギクだけではなく、アイカですら、雪路が教師をここまで続けられていることに疑問を覚えていた。

「さて、何はともあれ、これでようやく書類を置けるわけね」
「あ、そうだった。すっかり忘れてたよ」

 途中から目的が変わってしまっていたので、当初の目的を忘れていた。
 アイカは持っていた書類をヒナギクに手渡す。

「はい、これ」
「うん。ありがとうアイカ」

 アイカから書類を受け取り、そのまま雪路へと差し出す。

「というわけで、はい。書類」
「お、了解了解。確かに受け取ったわー」
「……頼むからしっかりと受け取ってよね」

 コーヒー片手に書類を受け取る雪路に、ヒナギクは不安しか覚えない。

「というか、散々人を付きあわせておいて、何自分だけコーヒー飲んでるのよ……」
「んあ?」

 こういう場合、手伝った自分たちにも用意するのが大人の礼儀、というものではないだろうか。
 いや、こういった気遣いはアイカでも出来るのだから、大人云々の問題ではないのかもしれない。

「…………はあ」

 教師とは生徒に勉学だけではなく、社会を生きていく上での知識なども教えるものだと思うのだが。
 そう思うヒナギクであったが、よくよく考えれば姉は昔からこうだったなあ、と思い直す。
 ため息が出た。

「スマンなあヒナギク。雪路には俺からしっかり言っておくから」

 と、ヒナギクがどうしようもない雪路に頭痛を覚えていると、京之介が申し訳なさそうに、アイカとヒナギクにコーヒーを差し出してきた。

「あ、スミマセン。義兄さん」
「ありがとーおじさん」
「お礼を言うのはこっちだよ。それとアイカちゃん、「おじさん」はまだちょっと早いかなーとは思うんだけど……」

 京之介は苦笑を浮かべながら、自分のコーヒーを啜る。
 この嫁あっての、この旦那。
 だらし無い嫁と比較的しっかりしている旦那で、バランスがとれているということか、とヒナギクは思った。

「……大変でしょう、お姉ちゃんの相手は」
「はは、まあね」

 京之介は小さく笑って、言う。

「でも、毎日が楽しいよ」
「そうなの?」
「ああ」

 アイカの言葉に頷くと、京之介はちら、と雪路に目をやる。

「ガンプラとフィギュアが迎えてくれる毎日だったからな。だから、「おかえり」を言ってくれる人が居るっていうのは本当に嬉しい」
「……」
「ましてやそれが、ずっと好きだった奴なんだ。例えそいつがどうしようもないダメ人間だったとしても、そこも含めて、俺はそいつが好きなんだよ」

 言って恥ずかしかったのか、京之介の頬は、赤かった。

「ま、だから問題ないってことだ」
「…………お姉ちゃんは良い旦那さんを持ちましたね」
「ははは、そう言ってもらえると嬉しいよ」

 照れくさそうに京之介が笑う。
 だが、義妹に褒めてもらえたからだろうか、その表情は嬉しそうだ。
 そんな京之介に小さな笑みを浮かべながら、ヒナギクは言う。

「でも」
「え?」
「素敵な旦那を貰ったのは、お姉ちゃんだけじゃないんですよ?」

 とびきりの笑顔で。
 だが、どこか悪戯っぽい表情を浮かべながら。

「ちょ、ちょっとママ! 素敵な旦那を貰ったのは私もだよ!?」
「アンタは旦那じゃなくて「パパ」でしょうが」
「違うよ! 旦那なんだよう!」
「…………はは。俺の惚気を聞かせたつもりが、まさか教え子の惚気を聞かされるとはな」

 京之介は呟くが、眼前の元教え子の耳には入っていないようだった。
 自分たちそっちのけで、母と娘は言い合っている。

「…………師走、かあ……」

 まるで12月という忙しい時期を感じさせないこの場の空気に、京之介は思わず息を吐く。
 周りを見れば、教師たちはまだ忙しそうに走り回っている。
 呑気にコーヒーを啜っている者は、自分たちくらいだ。

「ま、嫌いじゃないな。こういうのも」
「何無理やり話締めようとしてるのよ。それ飲み終わったらこのダンボール運ぶの手伝いなさいよね」

 突然飛んできた嫁の言葉に、京之介は思わず苦笑いしてしまった。
 師走の合間の呑気な時間も、あっという間に終わりを告げそうだ。

「んじゃ、俺たちはもう少しやることがあるから、これでな。好きなだけゆっくりしていくといい……って、聞いてないか」

 一言ヒナギクとアイカに挨拶をすると、京之介は立ち上がる。

「京之介! さっさとしなさいよ!」
「へいへい。わあったよ、奥さん」

 若干苛立ち始めている最愛の妻に思わず笑ってしまうが、これ以上待たせると後々面倒そうだ。
 まだ若干熱いコーヒーを一気に飲み干し、薫京之介は、再び師走の中へと身を投じた。






 …





 数時間後。
 白皇学院高等部、職員室にて。




「……あれ? これって雪路お姉ちゃんたちの話だったの!?」
「主役が誰か分からない話なんて、今更じゃない」
「そんな――――!! 貴重な出番がああああ!!」
「お〜い君たち、そろそろ職員室締めるぞ〜」







End




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