あやさきけ2

□秋刀魚
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『秋刀魚』


「秋刀魚が食べたい」
「は?」

 愛娘の一言に、ヒナギクは思わずそう聞き返していた。
 季節も秋に近づいた、そんな頃。
 確かに秋刀魚と言えば、字の如く秋が旬の魚ではあるが。

「……本当にいきなり言うわね、アイカ」

 時刻は夕方に近い。もう少しで夕飯の支度を始めようと考えていた頃だった。
 いきなり言われて少し戸惑ったが、準備出来ない、ということはない。

「でもどうして急に秋刀魚?」
「どうしてって……秋だから?」
「なんで疑問形なのよ」

 特に意味はないということだろう、とヒナギクは理解し、ため息を一つ。
 そして頭を少し働かせて、考える。

「そういえば今日、秋刀魚が特売だったわね……」

 朝刊の折り込みチラシを思い出しながら呟くと、アイカの目が輝く。

「本当!? じゃあ買いに行こう!」

 身を乗り出してきたアイカに、ヒナギクはもう一度ため息を吐いた。

「どんだけ秋刀魚が食べたいのよ……」
「秋と言えば秋刀魚じゃん!」
「まあ……魚ならそうだと思うけれど」

 綾崎家から近所のスーパーまではそれほど距離はない。
 特売だからといって、秋刀魚が一匹も残っていないということもないだろう。
 しかし、秋刀魚だけを買いに行く、というのは何となくヒナギクは嫌だった。

「ちょっと待って。どうせ行くならついでに何か買ったほうが……ポイントも貯まるし」
「えー。いいじゃん秋刀魚だけで! ポイントだってそれほど貯まらないよー」
「黙らっしゃい。今日買っておけば後で買わなくても良くなるでしょ?」
「……なんかママ、面倒くさい」
「何とでも言いなさい」

 全く、最近の子供はここまで堪え性がないのだろうか。
 秋刀魚は買うのだから、その位良いと思うのだが。

 子供と自分の感覚の違いに少しばかりジェネレーションギャップを覚えながらも、ヒナギクは携帯を開く。

「? 誰に電話するの?」
「パパにラブコール」
「うざ」

 ぼそっと呟いたアイカの頭を引っぱたきながら「痛っ!」、愛しの夫の番号へコール。

『もしもし? ヒナギク?』
「あ、ハヤテ? 今大丈夫?」
『大丈夫だよ。それよりどうかした?』
「今から買い物に行くんだけど、何か足りないものってあったかしら?」
『足りないもの? うーん……そういえば洗顔が少なくなってたような。確か予備買ってなかったよね?』
「洗顔ね。他には?」
『後はそうだなあ。ビール……はまだあったし、ボディソープとシャンプーの予備ってあったっけ?』
「ちょっと待って」

 話しながら洗面台へ移動する。
 綾崎家のそういったものは、洗面台の下に収納されているのだ。

「うん、まだあるわ」
『そっか、分かった。じゃあ必要なものはそれくらいかな』
「洗顔はいつもので良いのかしら?」
『そこはヒナギクに任せるよ。多分買い物から帰ってくる頃には、僕も帰ってこれると思うから』
「分かった。じゃあ行ってくるわね」
『気をつけてね』
「うん。じゃあ、バイバイ」

 ピ、とハヤテの電話を終えると、アイカがジト目でヒナギクを見ていた。

「……何?」
「べーつーにー? 相変わらず仲が良いんだなあって」
「まあねえ」

 ふふん、と鼻をならして、誇らしげにヒナギクは笑った。

「いつまでもラブラブなんだから。さ、じゃあ買い物に行きましょうか」
「……秋刀魚を買ってくれるということで今日は多めに見るけど、パパとラブラブなのは私だって同じなんだからね!」
「はいはい♪」

 娘の言葉を軽く流しながら、財布とエコバッグを手に持つ。

「アイカー、コンセントとかは大丈夫ー?」
「大丈夫、さっき抜いておいたから」
「それは結講」

 靴を履いて、いざ買い物へ。

「さてと、それでは出発〜」
「秋刀魚秋刀魚秋刀魚〜」
「本当、どれだけ秋刀魚が食べたいんだか」

 鼻歌交じりに秋刀魚を求めるアイカに苦笑いを浮かべながら、ヒナギクも歩き始めた。

「うわ〜。もう外は暗いんだねえ」
「秋だからねー」
「秋だからだねー」

 見上げた空には、夕方にも関わらず星々がうっすらと輝き始めている。
 そんな薄暗い空を見ながら、娘とゆっくりと歩を歩めながら。

 ヒナギクはふと思った。


「それにしても秋刀魚って……私の娘の我儘、少し渋すぎない?」
「何か言った? ママ」
「いいえ、何にも?」

 それでも娘の嬉しそうな表情を見れば、そんなことは些細なこと。

 早く帰って焼いてあげなくちゃね。

 夕飯の秋刀魚を美味しく頬張るアイカを想像して思わず微笑みながら、ヒナギクは歩く足を早めた。

 九月、秋。
 いつも賑やかな綾崎家にしては随分と穏やかで和やかな、そんな日のこと。



End




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