あやさきけ2

□キャッチボール
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「ねぇパパ」
「ん?」

 とある休日。

 執事としての仕事を一樹に一任して以来、その言葉通りの一日を過ごせるようになった僕がリビングで本を読んでいると、アイカが話しかけてきた。

「どうしたの?」
「これ」

 本を一旦閉じてアイカの方を向くと、アイカが何かを差し出してきた。

「これ」

 グローブとボールだった。
 これは確か、衝動買いしたお嬢様が使わないからといってアイカにあげた物だったはず。
 それを手に取り、尋ねる。

「グローブ? これがどうしたの?」

 まぁこれを渡してきたということは、そういうことなのだろうけど。
 僕の問いにアイカは笑顔で、そして予想通りの返答をしてきた。

「キャッチボール、しよ?」

 こうして、娘の一言によって。

 僕の休日の時間の使い道は、決定したようだった。





『キャッチボール』





 折角なので、近所の公園にやって来た僕たち。
 人のいない場所を選んで、そこでキャッチボールをすることにする。

「ここらへんでいいかな」
「うんっ!」
「じゃあアイカ、グローブ嵌めてー」

 アイカにそう言いながら、僕も左手にグローブを嵌める。
新しい……というか全く使っていないから、グローブが堅い。

「うわ……取れるかな、これ」

 野球経験がある人ならわかるだろうけど、新しいグローブというのは、買ったばかりのころは満足にボールが捕れる状態ではなかったりする。
 今ではスポーツ店等で直ぐに使えるよう多少は柔らかくなっているものの、自分好みの形を作りたい人などはそういったものは買わない。
 全く手の加えられていないグローブを、自分の手で好みの形に整えていくものなのだ。

「パパ……このグローブ、固い……」
「はは……」

 どうやらお嬢様が買ったグローブは、どちらも手の加えられていないものだったらしい。
 野球経験のないアイカには使いづらいだろう。

「右手を使えば捕れると思うから、大丈夫だよ」
「本当?」
「本当」

 まぁでも、ボールのほうは(何故か)子供が使うようなゴムボールだし、怪我することもない。
 キャッチボールをすること自体には問題はないはずだ。

「さて、じゃあやりますか」

 そういうわけで、キャッチボール開始。
 柔らかすぎるゴムボールに若干の違和感を覚えながらも、アイカの構えるところへとボールを投げ込む。

「うわっ……と、と」

 構えたところへ、山なりの軌道でボールは投げ込まれた。
 それをアイカは、見事にキャッチする。

「お、上手いじゃないか、アイカ」
「え? ……えへへ、そうかな」
「うん」

 捕り方が拙いのは当たり前だが、それでもボールはグローブから零れていない。
 ゴムボールをグローブで捕球するのは、小さい子供からすれば結構難しいのだ。

「じゃあアイカ、僕のここに投げてみて」

 照れくさそうに笑うアイカに、僕はグローブを向けた。
 グローブを胸の位置で構え、ここに投げるよう催促する。

「よーし……えいっ」

 可愛らしい掛け声とともに、アイカの手からボールが放たれる。
 砲丸投げのようなフォームから山なりを描いてボールがグローブに届く。
 見事なストライクだった。

「おぉー」
「どう?」
「いや……正直驚いたよ」

 記憶によれば、アイカとキャッチボールをするのはこれが初めてのはず。
 初めてでここまで投げれるのは驚きだった。

「アイカってキャッチボールとかしたことあったっけ?」
「え? ないよー」

 流石はヒナギクの血を受け継いでいるだけある、とでもいうのだろうか。
 それともアイカの身体能力自体を凄いと言うべきなのだろうか。
 どちらにせよ、アイカがやったことに変わりはない。

「アイカは本当、何でも出来るんだなぁ」

 流石自慢の娘。父親が僕で本当申し訳ない。
 冗談まじりでそう言うと、

「パパの娘だから出来るんだよ!」

 と力強く言われた。
 迷うことなくそう言ってくれる辺り、本当にヒナギクに似ていると思う。

「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「うん!」

 アイカの笑顔に僕もつられて笑いながら、僕はアイカにボールを返す。



 …



「ところでさ」
「ん?」

 しばらく山なりのキャッチボールを続けて、僕はアイカに尋ねた。

「どうして急にキャッチボールがしたいって言い出したの?」
「それは……」

 アイカへボールを返しながら、言葉の続きを待つ。

「昨日、学校でね」

 アイカがボールを投げる。

「うん」

 僕がボールを捕る。
 投げる。

「友達が」

 捕る。

「うん」

 投げる。

「その子のパパとね」

 捕る。

「うん」

 投げる。

「キャッチボールしたんだって」

 捕る。

「それで、アイカもやりたくなったのかな?」

 投げる。

 そのボールをアイカが捕ったところで、一度アイカは両手を下げた。
 キャッチボールが中断される。

「うん」

 中断されるが、会話のキャッチボールはまだ続いている。

「というかね、そういえば私、パパとキャッチボールしたことないなぁって思ったの」
「そう、だね。思えば僕、アイカとそういうことしたことなかったかも」

 買い物などは頻繁に行くが、キャッチボールなどはやったことがない。

「うん。ママとは剣道やったことあったけど、パパとはやったことなかったから。だからやりたいって思ったの」
「そっか……」
「私はもっと、パパとキャッチボールとかしたい」

 ひょっとしたら、アイカは僕が気づかない時でもそういうサインを出していたのかもしれない。
 ただ言葉にしないだけで、僕が気づかないだけで。
 父親として、それは娘のことをよく見ていないということになるのではないだろうか。

「そう……か」

 自分がもし周りから、いい父親に見られていなかったとしても、娘の前では――――アイカにとっては最高の父親でいたい。

「子供は親の宝、って言うしね」

 ならば今までのようなことではいけない。
 もっと、今以上にアイカに目を向けよう。
 アイカがそれを望むのであれば、答えてあげるのが父親というものなのだから、きっと。

 よし、と小さく呟いて、僕はアイカに言葉を掛けた。

「じゃあやろうか、続き。今日は疲れるまで、思いっきりやっちゃおう」

 どうせ明日も休みだ。クタクタになるまで娘と遊んだって罰は当たらない。


 そうときたら。

 僕はグローブをパン、と叩いた。

「さぁこいアイカ。次はここだよ」
「よーし、わかったー!」

 構えたグローブを見据えて、アイカが大きく振りかぶる。

「私の完璧なコントロールを見よ!」
「はは、もう何度も見てるけどね」

 娘の元気すぎる声に苦笑しながら僕は思う。

「(これは……今日の帰りは遅くなるだろうなぁ)」

 それなりの時間キャッチボールをしたというのにこの元気。
 夕方になるのは間違いない。

「……ま、いいか」

 帰りが遅くなればヒナギクが何か言いそうだけれど、それはその時に考えればいい話だ。
 それよりも、僕は。

「なんか言ったー!?」
「なんでもないよ」

 振りかぶったままの状態で静止しているこの娘とキャッチボールをすることが、楽しくて仕方がないのだから。



End




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