あやさきけ

□男たちのバレンタインデー
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 2月14日。
 この日は世に言うバレンタインというイベントであり、恋する少女達に少しば
かりの勇気を与えてくれる日でもある。
 好きな男の子にチョコをあげたいという想いが交差する日。

 そんな大切なイベントであるバレンタインデーだが、ここ最近では色々な形が
出来てきた。


 例えば。


 とある一軒家のキッチンで、愛する女性の為にチョコを作る彼等のように。





『男たちのバレンタイン』





 広大な土地、三千院家の敷地内にある不相応な一軒家。
 言わずともお馴染み、綾崎家の台所では、包装が解かれたチョコレートの
包みが散乱していた。

 2月13日。バレンタインの前日。
 東宮康太郎が綾崎ハヤテのところへ訪れたのは、その日の朝のことだった。

『僕にチョコレートの作り方を教えてくれ!』
『はい?』

 朝の挨拶よりも先にでた言葉に、ハヤテの目が点となった。

『えーと……』
『泉にチョコレートをあげたいんだ!!』
『泉さんに?』
『最近じゃあ男がチョコを渡すのが主流になりつつあるってテレビで言ってた!

『それはつまり、逆チョコってこと?』
『そうそれ!』

 息つぐ暇なく言葉をまくし立てられていたハヤテだったが、漸く康太郎の言わ
んとすることを理解する。

 逆チョコとは言葉の通り、男性が女性に対しチョコのこと。
 そういえば最近良く耳にするなぁ、とハヤテは思う。
 要するに康太郎は、


『俺は泉に逆チョコを渡したいんだよ!』


 とのこと。

『ふむ……』
『頼めるのは綾崎しかいないんだよ!』

 期待を寄せた目で康太郎はハヤテを見る。
 その視線を受け止めながらハヤテは少し考えるそぶりをし、

『……実は僕もヒナギクとアイカにチョコを作ろうとしてたんだ』
『―――っ! じゃあ、』
『力になれるかどうかわからないけど、僕で良ければ』


 優しい笑みを康太郎に向けた。



 …



「な、なぁ綾崎。本当にこれで上手くいってるのか?」
「うん、大丈夫だよ。そのままそのまま」

 そんなことがあって、今綾崎家のキッチンは男たちの戦場と化していた。
 ヒナギクとアイカは出掛けているので、使い放題だ。

 現在彼等はチョコレートを溶かし、再び別の型で固める作業の真っ只中。
 溶けたチョコをへらでゆっくりと掻き混ぜながら、不安そうな声で康太郎はハヤテに尋ねる。

「ほ、本当か? 本当に大丈夫か?」
「大丈夫だって」

 チョコを作るのは初めてだというので緊張するのはわかるが、少し落ち着いて欲しい、とハヤテは苦笑しながら思う。
 鍋の中のチョコは良い感じに溶けている。
 もう少しで型へ流し込めるはずだ。

「そ、そうか……ははっ」

 ハヤテの言葉を聞いて、嬉しそうに康太郎は笑った。

「上手く出来るといいなぁ」
「……そうだね」

 その笑顔につられて、ハヤテの顔も綻ぶ。

 好きな人を想いながら作るものは、きっと何よりも美味しいだろう。
 それを知っているから、ハヤテもチョコの完成を楽しみに待つ。


「本当に出来上がりが楽しみだ」


 家族が喜ぶ顔を想像し、ハヤテはそう呟いた。





「お、おおお……」

 冷凍庫から取り出したチョコレートを見て、康太郎が唸る。

「こ、これ本当に僕が作ったんだよな……?」
「そうだよ。言ったろ? 心配するなって」

 ハヤテの言葉に頷く康太郎のチョコレートは、ちょっと歪なハート型だ。
 しかし初めてにしては上出来、合格点と言えるだろう。

「……うん、僕のも固まってる」

 ハヤテのチョコレートもハートだった。
 康太郎と比べ滑らかな曲線を描く、市販されていてもおかしくない程の出来栄え。
 自分と遥かに違う曲線美を描くチョコレートを見て、康太郎は「凄い……」と感嘆した。

「さすが綾崎だな……」
「そんなことはないよ。むしろ初めてだって言う康太郎の方が流石だと思うけど」
「え?」
「だって僕、初めてチョコ作ったときはそこまで綺麗に出来なかったから」
「そ、そうなのか?」
「そうだよ。 だから康太郎の方が凄いんだって」

 もっと自信もちなよ、とチョコレートのデコレートをしながらハヤテは言う。

「康太郎はチョコレートに文字、なんて入れるの?」
「え?」
「文字だよ、文字。 デコレーション」
「あ、ああ。そうだな、文字も書いたほうがいいか」
「ここにデコレーションの道具あるから、好きなの使って」
「おう!」

 元気良く康太郎は頷いた。
 デコレーションようのペンを手に取り、歪だけれども、想いが詰まったチョコレートに文字を書き始める。

「………」

 息を止め、極力丁寧に文字を書こうとする康太郎の姿を見て、ハヤテも「自分も頑張らないと」と呟いた。
 文字を書く作業を再開する。

 ヒナギクとアイカの二人分。 日頃の感謝と一杯の愛情を込めて、文字を書いていく。

 そして。



「―――出来た」
「出来ました」


 達成感溢れる声が、綾崎家の台所に響いた。
 男たちの前には、綺麗に包まれたチョコレートが丁寧に置かれている。

「後はこれを明日渡すだけだな」
「そうだね。 見つからないように冷やさなくちゃ」

 気づけば、もうそろそろヒナギクたちが帰ってくる時間だった。

「うわ、もうこんな時間なのか」
「集中してたからなぁ。時間の感覚なかったよ」

 好きなことをするほど時の流れは早く感じるとは言うが、好きな人を考えていると時間の感覚がマヒするらしい。
 ハヤテの言葉に「そうだな、同感」と康太郎は笑いながら頷いたのだった。



 …



「じゃあ明日、しっかり渡すんだよ」

 康太郎を玄関先まで見送る頃には、辺りはすっかり闇に包まれていた。
 チョコレートが溶けないようにと保冷剤を入れた袋を手に提げながら、康太郎は再びハヤテに頭を下げた。

「今日は本当にありがとう。おかげで泉にチョコを渡せるよ」

 康太郎の感情を代弁するかのように、手提げの袋が揺れる。
 その様子をまるで猫の尻尾のようだ、と内心可笑しく思いながらも、ハヤテも「こちらこそ」と頭を下げた。

「僕も一緒にチョコを作れて嬉しかったよ。いつもは一人で作ってたから」
「はは、そっか。じゃあ僕、そろそろ行くな」
「あ、うん。泉さんによろしく言っておいて」
「了解。そっちもヒナギクさんとアイカちゃんによろしくな」

 そう言って康太郎はハヤテに別れを告げた。
 初めて作った、想い人へのチョコレートを持って。
 康太郎は明日、ちゃんとチョコレートを渡すことが出来るだろう。
 照れくさそうに、でもしっかりとその包みを差し出しながら。
 そんな光景が容易に想像出来てしまう東宮夫妻は、本当にお似合いの夫婦だと思う。

 勿論、自分たちとて負けていないと思うが。

「……さて、と。僕も夕飯の支度でもしようかな」

 そんなことを思いながら、ハヤテは今しがた戦場だったキッチンへと再び足を向けた。
 もうじき帰ってくる、愛する家族のために夕食を作らなくては。

「今日は……何にしようか」

 チョコレートを作るときとはまた違った作る楽しみを感じて、ハヤテの顔は自然と笑顔になる。


 好きな人を想いながら作るものは何よりも美味しい。
 それはきっと間違いない。

「喜んでくれるといいなぁ」

 愛する娘と妻の嬉しそうな顔を想像しながら、ハヤテは冷蔵庫の扉を開いたのだった。



 …



「はい、アイカ、ヒナギク」
「うわ! ありがとうパパ!」
「毎年こんなに立派なチョコをありがとう。……もう、私の立つ瀬がないじゃない」

 して、来るべきバレンタインはやってきた。
 嬉しそうに、もしくは悔しそうに、自分のチョコを受け取ってくれる娘と妻。
 その二人の様子を満足そうに見つめながら、ハヤテは今頃チョコを渡しているであろう友人のことを考える。

「……ま、大丈夫だと思うけど」

 好きな人のためにあれほど一生懸命になっていたのだ。
 最後の最後で渡せなかったなんてヘマは、自分の友人はしないだろう。

「……頑張れ、康太郎」


 2月14日。

 女の子の勇気と想いが交差する、バレンタイン。

 その女の子のために勇気と想いを込めたチョコレートを作った友人の成功と健闘を祈りながら、ハヤテは娘と妻から貰ったチョコレートの包みを開けたのだった。

 彼らのバレンタインは、鍋の中の溶けたチョコレートのように、ゆっくり、甘い香りを漂わせながら過ぎていく。



End



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