連載小説

□お兄さんとわたし
1ページ/1ページ




 もう二週間、お兄さんが店に来ていない。
 仕事が忙しいのか、それとも彼女との時間を過ごしているのか。わたしにはそれを知ることなんてできないし知る権利もない。もうお兄さんに抱いた微かな恋心は捨ててしまったほうがいいのかもしれない。むしろそうするべきだ。所詮お兄さんとわたしは、名前も知らない「客」と「店員」でしかないのだから。
 その夜は、夕方までの大混雑が嘘のように穏やかな時間が過ぎた。さすが日曜の夜。きっとみんな明日からの仕事や学校に備えて早めに帰宅し、国民的アニメを見ながら夕飯を食べ、今頃は憂鬱と戦っているのだろう。
 そんなことを考えながら、がら空きの棚に本を詰めていると「あのーすみません……」と控えめな声が聞こえた。顔を上げた先にいたのは、常連の男性だった。いつも歴史小説を買っていくサラリーマン風の男性だ。
「CDを探しているんですが」
 男性が言う。
「はい、なんのCDでしょう」
 立ち上がりながら聞くと、男性はポケットから紙を取り出しわたしに見せる。そこに書いてあったのは、外国のロックバンドの名前と曲名。驚いた。洋楽も聴くのか。てっきり演歌や民謡を聴くのだと思っていた。歴史小説イコール渋い音楽だと勝手に思い込んでしまっていた。いや、バンド名や曲名をメモしてくるのだから、普段洋楽は聴かないということか。
 こちらです、と洋楽のコーナーへ案内してそのバンドのCDを探すけれど、あるべき場所には一枚もない。試しにレジに戻ってパソコンで確認してみたら、計三枚の在庫があると出た。これは別の棚に入っているな。その旨を男性に伝え、一緒に探してみることにした。バーコード管理のCDは三枚あるけれど、それとは別にパソコンに在庫数が表示されない部門管理の商品もあるから、もしかしたらそっちにもあるかもしれない、と。部門管理のCDが並ぶワゴンの中も探すことにした。
 端から順にタイトルを見ていると、背後で男性が「面倒なことを頼んですみません」と申し訳なさそうな声を出した。
「大丈夫ですよ、必ず見つけますから」
 そう答えると、男性がCDを探しに来た理由を話してくれた。
「実は最近気になっている子が洋楽好きらしくて。普段僕は、その……演歌や民謡や、昔の曲ばかり聴いているので洋楽や流行りの歌には疎くて……」
 ああ! やっぱりそうなのか!
「でもちょっとでもその子と雑談がしたくて、好きだと言っていたバンドのCDを探しに来たんです」
「じゃあそのために、必ずCDを見つけてみせます」
 健気な男性に癒されながら、必死になってCDを探した。結局CDコーナーを端から端まで全て見て、バーコード管理されていた三枚と、部門管理から三枚見つけることができた。加えて途中で男性が思い出した他のバンドのCDも四枚。計十枚のお買い上げ。会計が終わると男性は「店員さんのお陰で助かりました、本当にありがとうございました」と満面の笑みを浮かべ、何度も頭を下げて、帰って行った。
 あの男性と洋楽好きの女性、上手くいくといいな、なんて。わたしもつられて笑顔になりながら、元いた棚に戻ろうとすると。
 レジのすぐ正面の棚、少年漫画のコーナーにお兄さんがいて、足を止めた。しゃんと背筋を伸ばして立ち読みしている。いつの間に来店したのか。いつの間に正面の棚にいたのか。それにすら気付かないくらい、わたしは接客に集中していたのか。今日は私服だ。仕事はお休みらしい。
「いらっしゃいませ」
 ぺこりと頭を下げながらお兄さんの背後を通り過ぎようとする、と。
「すいません」
 声をかけられ、またすぐ足を止め振り返る。
「これの三巻、在庫ないですかね?」
 そして、持っていた少年漫画の表紙を見せながらそう言った。
「確認しますね、足下失礼します」
 もう一度ぺこりと頭を下げてから、足下の引き出しを開ける。本の在庫が山ほど詰め込まれた引き出しの中を順番に見ていくけれど、残念ながら在庫はない。試しに隣の棚の引き出しも開けてみたけれど、やっぱり在庫はなかった。
「すみません、ないみたいです」
 言いながら顔を上げると、お兄さんが残念そうな顔で「そっすか……」と答え、持っていた漫画を棚に戻す。ここは普通の本屋ではなく買い取り販売店だから、お客さんが売りに来なければ在庫は増えない。だから在庫がないのは仕方のないことだけれど、そんな表情をされたらわたしまで残念な気分になってしまう。でもどうにもできないのも事実だった。そしてせっかく久しぶりに店に来てくれたのにこんな結末。残念で仕方がない。
 どうすることもできず、ただ黙って引き出しを閉めると、お兄さんは「どーもス」と頭を下げて、踵を返した。
「ありがとうございました、またお越しくださいませ」
 わたしも、そんな言葉しかかけることができなかった。レジカウンターや店の奥からも続けて「ありがとうございましたー」が聞こえてきて、お兄さんの足音が消えると店内に話し声はなくなり、スピーカーから流れる流行りの曲が、やけに大きく聴こえた。





[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ