連載小説

□店長とお別れ
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 須田さんが言い出した店長とわたしの不倫疑惑は、あずみんが朝番のみんなに説明してくれたおかげで、大事にはならなかった。噂が思うように広まらなかったのが面白くないのか、須田さんは「崎田さんが朝番スタッフの悪口言ってたよ」と言い出したらしい。というのを、朝番のみんなから聞いた。不倫は一瞬疑ったが、わたしはスタッフの悪口をスタッフに聞かせるタイプではないと結論が出たらしい。だから朝番のみんなは直接わたしに言ってきたのだ。
 前の標的は佐藤さん。次の標的はわたし。きっと須田さんからの攻撃は、わたしが負けるか逃げ出すまで続くのだろう。
 仕事中、作業をしながらいずみんとDVDコーナーの話をしていたら「喋ってる暇があるなら手ぇ動かしなさい!」と怒鳴られた。買い取りの査定中、箱のないオールドゲームの値付けに手間取っていたら「遅い!」と怒鳴り、買い取ったゲーム機の掃除をしていたら「下手くそ!」と怒鳴られた。品出しされていない商品がレジカウンターに溜まっていた時は「崎田さん仕事好きなんでしょう? ぼやぼやしないで早く品出しして」と言われ、ようやく品出しを終えて戻ると「包装のお客さんずっと待ってるよ、あなたが企画したんでしょ、早く包みなさい」と言われた。
 この頃になると店長や副店長にも話が伝わり、ふたりはわたしを守るようにシフトを組み直してくれた。須田さんとわたしが同じ時間帯に働かないように。希望休が重なってどうしても無理な時は、店長か副店長が必ず同じシフトに入ってくれた。
 他のスタッフも、極力須田さんの噂話に乗らないようにしていたらしいけれど、もう不倫どうこうではない。須田さんは店長とわたしが仲良くしていることと、スタッフたちがわたしを擁護しているのが気に食わないのだ。
 罪悪感でいっぱいになった。
 わたしが店長と仲良くしたことで、色々な仕事を残業してまでこなしたことで、店の雰囲気を悪くしてしまった。きっとこの雰囲気をリセットするためには、わたしが辞めるしかない。
 それを決意したのは、店長の疲れた表情を見たときだった。

 昼番の勤務を終えてタイムカードを切り、すぐ横のパソコンデスクにいた店長に話しかけた。最近は店長と雑談することもカードゲームをすることもなくなっていたから、話しかけるのは随分久しぶりのことのように思えた。
「くま」
「え?」
「目の下、くますごいよ」
 店長が声を押し殺してくくくと笑う。ファンデーションで隠していたのに、仕事中に落ちてしまったらしい。
「どうした?」
「はい、ええと、その……。仕事を、辞めようかと思っています」
 言うと店長は、棚の隙間からレジカウンターを見、そこに須田さんがいないのを確認してから、わたしを見上げた。
「社員になるって頑張ってたのに、辞めちゃっていいの?」
「これ以上、みんなに迷惑かけたくないので」
「崎田さんに迷惑かけられた覚えはないけど」
「そもそもこうなってしまった原因はわたしですから」
「そんなことない。気を配れなかった俺のせいだよ」
「いえ、店長には感謝しています。本当に楽しい職場でした」
 店長は心底残念そうな顔でパソコンのディスプレイに視線を移し、ふうっと息を吐いた。
「実は、地元に戻って赤字店の店長をやらないかって言われてる」
「え?」
「ずっと迷ってた。月島くんを店長にふさわしい男に育てたいって思ってたし、崎田さんのこともある。でも次に来る店長は凄く厳しい人だから、きっと月島くんをちゃんと指導してくれるだろうし、崎田さんも辞めてしまうなら……。俺は地元に戻るよ」
 わたしは、この恋の終わりを知った。
 元々叶わない恋だった。でも店長が同じ県内にいるのなら、どこかでばったりということもあるかもしれない、と。心のどこかで期待していた。でも店長はここを離れて行く。終わり。もう終わりなのだ。
「シフトが出てる今月中はいてくれるよね?」
「はい。店長も、いてくれますよね」
「勿論。お互いあと半月。楽しくいこう」
「はい……」
 楽しく、なんてできない。大好きな仕事も、大好きな人も、遠くに行ってしまうのだから……。

 店長が店を離れ、わたしが仕事を辞めるまで一週間となり、新しい店長がやって来た。笠原さんという女性社員で、店長が言ったように厳しい人のようだった。笠原さんは早速、エプロンの上にカーディガンやパーカーを着ることと、そこに缶バッジやストラップをつけることを禁止し、長い髪は結ぶように指示した。ピアスも濃い化粧も禁止。つけまつ毛を付けた池田さんは化粧を薄くするように言われ、すっぴんでぷるぷるの肌をした跡部さんは化粧をするように言われた。極太眉毛がチャームポイントだった金本くんは、眉を整えろと言われ硬直。なにもそこまでしなくてもと思いつつ、みんな笑いを堪えるのに必死だった。
 初日の勤務が終わる頃、絵里子さんとわたしだけが笠原さんの元に呼ばれた。何事だろうと絵里子さんと顔を見合わせると。
「千葉さんと崎田さん、あなたたち今月いっぱいで退職するそうね」
 絵里子さんの退職は初耳だった。笠原さんは深いため息をついてわたしたちを見上げる。
「仕事を辞めるってことはもうやる気がないってことよね。私の店にやる気がない人はいらないから。今日いっぱいで辞めてちょうだい。シフトは私がなんとかするから。お疲れ様」
 呆然。そんな言葉がよく似合う瞬間だった。
 わたしは良い。あと数時間ある。でも絵里子さんは朝番だから、今日の勤務はもう終わってしまっている。感慨深くレジを打つことも、スタッフと別れの言葉を交わす時間もないなんて。そんな終わり方はひどすぎる。
 それでも絵里子さんは深々と頭を下げ「お疲れ様でした」と言った。

 最後の数時間は、買い取ったゲームソフトの商品化をして過ごした。ケースからディスクを抜き取り、品番を書いた袋に入れ、その番号順に棚に入れていく。最後にしては地味な仕事だけれど、こういう作業は何も考えずに没頭できるから好きだ。
 そうしていたら店長が、申し訳なさそうな顔でやって来た。
「千葉さんに聞いた。今日までになったって」
「ああ、はい。そういうことになりました。今までありがとうございました」
 頭を下げるとそこに店長の手が乗せられ、顔を上げることができない。
「ごめんな」
 店長の力ない声が聞こえた。
「もっと長く、一緒に働きたかった」
 わたしもです。言おうと思ったけどやめて、唇を噛みしめた。手に持ったゲームのディスクをぎゅうっと抱きしめ、頭から手が退けられるのを待ったけれど、頭が軽くなっても、顔を上げることができなかった。泣き顔を見られたくなかったからだ。
 少しして店内の音楽は蛍の光に切り替わり、武田さんたちが閉店作業を始める音が聞こえた。それに耳を傾けながら、わたしはひたすら、店長のスニーカーを見つめていた。

 月が替わってすぐ、店長と絵里子さん、そしてわたしの送別会が開かれた。その中に笠原さんと須田さんの姿はない。ふたりが遅番の日を見計らって開かれた会だと、あずみんが教えてくれた。
 店長は武田さんたち男性スタッフと左、絵里子さんは朝番のみんなと真ん中、わたしはあずみんやいずみんたちと右端のテーブルについた。
「辞めないでって言ったよ」
 あずみんはずっと不貞腐れた表情だった。
「ん、ごめんね」
「嘘つき」
「まあまあ。邑子の嘘もレアだよ、あずみん」
 そんなことはない。わたしはずっと嘘をついてきた。店長への気持ちを隠し続けてきた。大嘘つきだ。
「また飲みにいこ」
「同い年トリオでね」
「邑子、運転よろしく」
「それわたしだけ飲めないよね」
「あずみん免許とろ」
「やだ、無理、こわい」
 三人で笑って、ソフトドリンクが入ったグラスをぶつけた。
 その日は店長と会える最後の日なのに、言葉を交わしたのは別れ際、お疲れ様でした、の一言だけだった。
 こうして、わたしの叶わぬ恋は、終わりを告げた。







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