中編小説

□真心を掌で包み込んで
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 会社の後輩と思いがけず不倫をしてしまい、それが原因で仕事を辞めた。思いがけず、というのは、彼が既婚者だと知らなかったからだ。入社当時から指輪はしていなかったし、残業にも飲み会にも積極的に参加していたし、寝癖がついていたりネクタイが曲がっていたり革靴が汚れていたり。朝昼晩コンビニ弁当を食べていることなんてしょっちゅう。そんな生活を送る彼を、誰も既婚者だとは思わないだろう。
 栄養不足なのか疲労なのか、口内炎と肌荒れがひどいと嘆く彼を部屋に呼び、手料理を振舞った。彼は大喜びでそれを食べ、ほぼ毎日部屋に来るようになって、いつの間にか男女の関係になって……。告白はしていなかったけれど、付き合っているのと変わりない関係だと思い込んでいた。同僚たちもそう思っていたようで、わたしが作ったお弁当を食べる彼に「今日も中村の愛妻弁当かあ?」なんて言ってからかっていた、のに。彼はにっこり笑ってこう言ったのだ。
「おれの奥さん家事全般できないので、中村さんからのお弁当はありがたいです」
 絶句した。オフィスにいた全員の目が点になっていた。
 言えよ! 既婚者だって教えておけよ! 既婚者なら抱くな、アホか! つまりうちに来ていたのは食事のため、抱いたのは性欲処理かただの食事のお礼ってことか! いくら天然でも許されないぞ、ボケ!
 知らなかったとはいえ不倫は不倫。しかも噂が噂を呼び、いつの間にか三段跳びで飛んで行ってしまったらしく、気付いたときにはもうわたしは社内の既婚者たちを食いまくるみだらな愛人。面倒事に巻き込まれたくないのか同僚たちは口を閉ざし、そして天然の彼が擁護してくれるはずもなく、居づらくなって、もう辞める意外の選択肢はなかった。





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