短編小説
□逃げ惑う乙女心
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夜、寝る準備をしていたら、柳瀬さんからの着信。
何事かと思ったら「明日東京戻るんだけど、土産とかいる?」とのこと。
「ええ? お土産なんていいですよ」
「はあ? せっかく福岡来てんだから、なんか食いたいもんとか欲しいもんとかねえのかよ」
「欲しいものですか……。そうですねえ、強いて言うなら牛乳が切れたので欲しいです」
「コンビニかスーパーで買え」
「はい、明日買って帰ります」
「いや、待て。買うな」
「え、でもシリアル食べたいし……」
「なあ。明日の夜、部屋行っていいか?」
「あ、はい、大丈夫です」
「じゃあ明日」
「はい、お待ちしてます」
結局話がまとまらないまま短い電話が終わって、首を傾げながらベッドにもぐりこむ。
なんだったんだろう……。
柳瀬さんとお付き合いを始めて一週間。
でも柳瀬さんは舞台の本番中だし他のお仕事もあるから、この一週間一度も会わなかった。から、ようやく会えると思うと嬉しくてたまらない。
片想い歴数年。いとこである春くんの紹介で知り合って、何度も三人で出かけているうちに、いつの間にか恋をしていた。けれど相手は人気の舞台俳優。何度も諦めようと思ったけれど、募った気持ちを捨て去るには、時間が経ち過ぎていた。
それが春くんと、会社の先輩江口さんのお陰でお付き合いをさせてもらえるようになるなんて。
もしかしたら、今が人生で一番幸せな時期かもしれない。
なんて。柳瀬さんには話していないし、恥ずかしいからこの先も話さないと思うけど……。
次の日の夜、仕事から帰って着替えもしないまま部屋の片付けを始めた。
前に柳瀬さんがこの部屋に入ったときは少し散らかっていたけれど、付き合い始めて初の訪問くらい綺麗にしておきたい。
シャツの腕をまくって髪をまとめ、モップがけをしていると呼び鈴が鳴った。
ああ、あと少し。ティッシュやコットンやあぶら取り紙でいっぱいのくずかごを空にしたい……!
くずかごは後回しにするとして、急いで玄関の扉を開けると、すごくラフな格好をした柳瀬さん。
柳瀬さんはわたしの恰好を見て「なにしてんの」と怪訝な顔。
「あ、いや、その、柳瀬さんが来るので部屋の片付けを……」
「そんな散らかしてんの?」
「まあ、わりと……」
「気にしないのに。部屋に来るくらいであんま気ぃ張ってると後がつらくなるぞ」
「言うほど散らかしてはいないつもりなんですが……。一応初訪問じゃないですか」
「前にも来たことあるだろ」
「……付き合い始めて初ってことです」
言うと柳瀬さんは固まって、でもすぐにそっぽを向いて、持っていたビニール袋をわたしに押し付けた。
中に入っていたのは。
「牛乳! わあ、ありがとうございます。福岡土産ですか?」
「まさか。そこのコンビニ」
「でも牛乳くらい、わざわざ買って来ていただかなくても良かったのに」
「うるせぇ。……ここに来るただの口実だっつーの」
「へ……?」
固まるのは、わたしの番だった。