中編小説

□うましか(鹿編)
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 並んで校門をくぐり、昇降口まで続くゆるやかな坂を上っていく。
 歩幅が狭く、しかも汗だくで疲れているであろう彼女のためにゆっくり歩きながら、こっそり隣を盗み見た。
 髪が伸びたせいか化粧をしているせいか、それとも初めて私服を見たせいか。あの頃とはまるで別人のようだ。背もこんなに低かったっけ。声もこんなに柔らかかったっけ。会話をする度蘇る記憶を懐かしみながら、今得た情報を記憶していく。
 彼女と一緒に第一体育館や駐輪場を見て、昔あった数々の出来事を思い出していく。自転車逆さま事件やくまさん事件……。事件と呼ぶにはあまりにも些細なことだったけれど、高校生の日常で少し変わったことが起こればそれはもう大事件。しかも全て犯人が分からず仕舞いだった。彼女と僕には共通の思い出はほとんどないから、学生時代の話をしようとすると自然とこういう内容になってしまうのだ。
 職員玄関に辿り着き、彼女が事務室のガラス戸をたたく。出て来た用務員さんは僕たちが在学中お世話になったひとだった。見慣れぬ白髪頭に時の流れを感じる。最初は来客用の事務的な対応をしていた用務員さんだったけれど、僕たちが用紙に書いた名前を見ると、嬉しそうに「思い出した、文芸部の笹井さんと、遅刻魔の小林くんか!」と言って笑った。
 できればそれは思い出してほしくなかった。苦笑したけれど、彼女が柔らかい笑顔で僕を見上げたから、僕もつられて笑ってしまった。

 ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら野球観戦が行われている三階の合同講義室に向かった。声援は外まで聞こえていて、充分盛り上がっているということは分かっていたが、近くで見ると凄い迫力だ。卒業生や在校生が数十人、うちわやメガホンを持って大型テレビの中の球児たちに声援を送っている。
 見知らぬ人たちが一体となっている光景は感動的だけど、とても入っていける雰囲気ではなかった。この人たちのボルテージは最高潮。一方遅刻してきた僕たちはゼロからのスタート。ここに何食わぬ顔で紛れ込み、わーきゃー騒ぐというのは想像できなかった。
 僕の前に立って教室を覗き込んでいた彼女も、同じことを考えていたようだった。困ったような顔で僕を見上げるから「少し、話さない?」と誘った。彼女は静かに頷いた。





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