→STORY
□裸足の探偵
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裸足の探偵
「ここでいい 停めてくれ」
ちょうど地下鉄の駅を通り過ぎようとした頃____
後部座席で膝を抱える彼がふと思いついたように言った。
「? はい」
こんな往来で降りようというのか。
と少し訝りながらも私は直ぐさま路肩に車をつけた。
後部ドアを開けるため先に降車しようと急ぐ私に制止の声がかかる。
「いい 野暮用だ。ワタリはここに」
「…わかりました L」
無造作に踵のつぶれたシューズに裸足の足を差し入れると、彼はボリ、と頭をかきながら____
いつものように背中を丸め、まだ人通りもまばらな通りを歩き始めた。
あまり彼の口から「野暮用」などという台詞は聞いたことがなかったので少し気にかかる。
私は上体を捩って車中からゆらゆらと遠ざかっていく彼の様子を窺ってしまう。
まさかそのまま地下鉄に乗るわけでもなく。
彼は駅へと降りる階段の入り口の前で退屈そうな顔でに立ちつくした。
ジーンズのポケットに両手をいれて、いかにも所在なげな様子だ。
ラフな白いシャツとサイズのあっていない大きめのパンツ。
ひょろりと細い身体。
櫛をいれることを嫌う洗いっぱなしの黒髪。
日中の陽射しにあまりそぐわない白い肌。
こう離れていては
あの闇そのもののように 貪欲で捉えようのない視線の意味を探ることはできないが…
いかに飄々とした素振りをしていても、彼のまとう空気はそこだけ異質だ。
いや…
それは彼の正体を知る、私にしかわかるまい。
その特異さ。才。
その存在の価値を____
今 彼の前を通り過がる者の、いったい誰が気づくというのか…。
ふと、一人の女が彼の前で足を止めて立ち尽くしているのを認め、ひやりと冷たいものを感じる。
ダークスーツを着た、細身で長い黒髪の若い女性__。
…Lの素顔を知る者であるはずがない
と、なにか言葉を交わしているらしい様子に、私は日系であろうその女の姿に目をこらす。
「ああ…彼女でしたか」
思わず安堵の笑みが洩れた。
特徴のない、らしいスーツ。
おそらく復職したのだろう。
南空 ナオミ…
Lに関わる例の事件で、ロサンゼルスにおいてLの手足となり動いてもらった休職中のFBI捜査官だ。
彼女の働きは素晴らしく、事件は最悪の事態を迎えることなく解決できたのだ。
そうか…。
表立って礼を伝えることのできない彼は……。
L……。
「!!」
ほんの少し感傷的な思いで微笑んだ私の口元は、しかし驚愕に貼りついた。
なんということだろう…
彼が唐突に南空ナオミに飛びかかり…いや、抱きつこうとしたではないか。
南空は明らかに怯え、身体をひねって彼の奇行を振り払って躱し…
「ああ……」
私は思わず目を瞑った。
躱した姿勢から上半身を沈め、空中で一回転。
しなやかな身体から勢い良く伸びた両足のかかとが、もろに痩せた双肩に食い込む。
衝撃にふらついた足がよろよろと後ずさり__
ためらうことなく地下鉄の階段を転げ落ちていく彼の様を見てしまったから、だ。
あれがカポエラというものか…。
実際見るのとビデオで見るのと随分違うものだ…。
流石に慌てた様子で南空ナオミが階段を駆け降りていく。
一瞬 派手に背中から墜ちていった彼が心配になって自分も向かうべきか躊躇したが、、、
身体能力においても彼には何ら不安はない。
案じなくとも受け身くらいとっている。
先程の奇行も、南空の強烈な反撃も予測したうえでの行動…。
おそらく彼なりの意味があるのだろう…。
…あると信じたい……。
「野暮用だ」
ことさらついでのように。
それ以上何も告げずに車を降りた彼の心中を思い。
私はそっと。
彼の希少なプライベートタイムに、心の中で会釈した。
070509