CROSS・HEART:main story

□Story.12 港町の黒猫
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 下を向いているせいで前髪が彼女の目の表情を隠す。しかし、その口元は――
「もし、こっちの邪魔するなら――――どうしたってええねんな?」
「……コハク、さん?」
 微かに震えた声を紡ぐ朱が、三日月を描く。見つけた。纏わりつく『現状』を変えてくれるかもしれない、不確かな――そして考えられる限りでは唯一の『条件』。転がり落ちたレモンの先に『それ』はあった。

『何とでも言える。そういったことも、結局は意志なのだ。この世を支配するのは、意志だ』

『だから、自分は、例え自分の意志が間違っていると、叶わないと知っていても』

 数時間前、店で戯れのように浮かび上がり、喧騒と暖色の灯りに消えていって思考。
 だが、これは本当に、心の底から生まれたものだった。――自分は、まだ、諦めていない。
 平穏と現状のなかの黄色い果実と、新しい――否、過去に失ったモノを取り戻せるかもしれない、不確かな真実。

 さあ、どちらを拾うか。
 そうだ、今、選び取れば叶うかもしれない。

 自らの意思で。

「……よう解らんけど、人生に一度くらいでっかい賭けしてみてもええかもな」
 その答えに、リェスは笑む。
「あ、一つ補足なんだけど、レーヴァテインだって言っちゃ駄目だよ。余計なことされて変なふうに発動しちゃったら大変だから。もし何か訊かれても、どうしても必要だって、適当にごまかしてね」
 話が進んでいくなか、彼女達より数歩離れた場所で成り行きを見守っていたメノウは戸惑いを覗かせていた。何か言おうと口を開きかけるが言葉は出ずということを先刻から繰り返す。水鏡を見つけてからの彼女の行動はあまりに突拍子もない。確かに、『そこに映っていたもの』に驚かずにはいられなかった。しかし、そのレーヴァテインがどうこうという話とは繋がらないように思える。それとも、水鏡と共に彼女は何かを見つけたのか――
(……いや)
 余計な思考を振り払うために、彼女は小さく首を振った。
(私は、リェス様の御意志に沿うだけ――)
「それじゃあ、うーん……お引っ越しは三日後くらいでいいかな? コハクちゃんもヒスイ君も今住んでる家があるでしょ? 詳しいお話はその時にでもまた改めて」
「……って、えっ!?」
「もう、メノウちゃんってばそんなに驚かないで」
 まるで子猫に言い含めるように優しげに笑うリェスだが、今まで静観を決めていたメノウもさすがに声を上げた。 
「お部屋なら沢山余ってるよ?」
「そういう問題では……」
「だって、その方が何かと便利だし」
「リェス様……!?」
「一緒に住む人は多い方が楽しいよ?」
「ですが……!」
「もっと、誰かと一緒に居るってことが……したい」
「リェス様……」
 リェスの柔らかな笑顔が曇ることはなかったが、代わりにメノウの瞳に影が差す。彼女は再び後ろへ下がると、それきり何も言わなかった。
「向こうもそれなりに戦えるみたいだし、一回でカタがつくとか思ってないよ。長期戦になるなら……ね」
 コハクとヒスイはぎこちないながらも頷く。何も追求することができない空気であるからして、そうするしかない。
「あ、『お仕事』のときは向こうに『飛ばして』あげるからね! ここへ帰るには転移水晶使ってね、今度渡すから……じゃあメノウちゃん、二人を送っていってあげてくれる?」
「あ、いえ、送るだなんて悪いですから……そういえばここってどの辺りで――」
 ヒスイが言いかけたところで、リェスが小さく首を振る。
「この家、基本的には転移魔法でしか出入りできないの。不便でごめんねー。二人のお家ってどの辺り?」
「何やて?」 
 思わず訊き返すコハク。この短時間に有りえないような話を聞いたり出来事をいくつも目の当たりにしたものの、幸い驚くという感覚はまだ麻痺していなかったようである。つまりは転移水晶を持っている者しか出入りできないということか。これはもはや不便だとかそういう問題ではない。もしくはあえて不便にしているとでも言うのか。特定の者しか入れないように、そして、出さないように。
(……隔離されとる?)
 考えながらも、今の段階でその意味に行きつくことは不可能であることは分かっていたため、素直に会話を続けた。
「ウチはニヴル地区の東側」
「あ、オレもです。南寄りですけど」
 聞けば近所とまではいかないものの、二人の現住居はそれなりに近いといえる場所に位置していた。ニヴル地区はほぼ中央にコハクが働いている店のある通りがあり、治安は特別良いとも言えないが、別段悪くも無い。懐が平均より多少寂しい者も多く住む地域だ。
「じゃあ転移場所と近いね、良かった。えぇと、ニヴルへの転移水晶は今メノウちゃんが持ってたっけ?」
「はい」
 二人が話をしている傍ら、コハクは小さく呟く。
「……ヒスイ、ええの?」
「はい。どうせ短い命ですし。“一度くらい大きい賭けしてみてもいいか”ってやつです」
 ――『短い命』。見遣ると、何の感慨もなさそうな横顔があった。獣人であるという時点で、それは逃れることのできない運命だ。彼にとっては生まれたときから当たり前のことで、覚悟をするとか、感傷的になるだとか、そういうものも何もないのだろう。
「……せやな」
「二人とも、転移するから傍に」
 リェスと二言三言交わしたメノウは先刻のように転移水晶を取り出す。しかし通している紐が若干違うところから、先程のものとはまた違う水晶であると分かった。話からすると、こちらはそのニヴル地区付近の転移場所とやらに通じるものだということか。
「じゃあまたねー」
 金の光が周囲に舞い上がり、一瞬にして増したそれは視界を覆う。その寸前に見えたのはリェスの笑みと、離れたところで壁に背を預ける青年。こちらに興味はないようで、視線はどこぞへと向けている。リェスに連れられては来たものの一度も話に入ってこなかったため、正直存在を忘れかけていた。これからはあの者とも同居という形になるのだろう。
(無愛想な旦那やなー……)
 そう思っているうちに、身体が浮遊感に包まれた。ついさっき痛みをもって学習したばかりなので、今度は『落ちる』ではなく『着地』をした。木の軋む音。床だ。
 辺りを見回せば、室内だった。家具が一切ない。窓からは月明かりが差し込み、空しか見えないことから二階だろうと知れた。
「ここは……」
 ほぼ同時に降り立ったヒスイも周りに視線を遣る。小部屋とでも呼ぶべきだろうか。物が無いゆえ狭くは感じなかったが、いざ生活するとすれば広いとは言い難くなるだろう。
「ニヴルの東端の『人の寄り付かない古ぼけた空き家』……という体の、あの屋敷から市外へ出る際の転移場所だ。少々埃っぽくてすまない。たまに掃除はしているのだが……」
「東端の空き家……って、もしかして、あの、幽霊が出るとかいう?」
 彼女の言葉から、コハクはかなり昔に常連の一人がしていた話を思い出した。この地区の東の端の寂れた一画にある古い空き家で、黒く長い髪の女の幽霊を見た者がいるという。
「ああ、そのような噂が流布していると耳にしたことがある。しかし心配は要らない。それは恐らく私だ。この家から出るときは姿を見られないようにしているのだが……以後は二人も気を付けてくれ。……こっちだ」
 意外なところで真相を知ってしまった。多分この事実を知るのは、自分たちを含め、この世でも数人しかいないに違いない。メノウは部屋を出て二人を階段へ案内すると、灯りも点けずに下り始める。微かでも光が灯っているのを誰かに見られては面倒といったところか。彼女は慣れているのだろう、まるで見えているように下っていく。コハクとヒスイは壁に手をつき、一段一段確認しながら進んでいった。
「……私には、正直なところリェス様が何をなさろうとしているのかは分からない」
 不意にメノウが呟く。彼女が一階へと着き、やや遅れて二人も降り立つ。
「ただ、私から言えるのは……」
 彼女が振り返る。差し込む月明かりが、彼女の白い肌を、黒い髪をなぞり、伝う。
「リェス様と、その、仲良く……というのもなんだが、親しく接して差し上げてはくれないだろうか」
 その美しさに、そして思わぬ言葉に、二人の時が止まる。
「リェス様は事情がお有りで、あの敷地から外に出ることができない。普段関わっているのは私と……不本意ではあるが、オニキス――例の白衣の男だけだ」
 微かに俯き、長い睫毛が黒曜の瞳に影を落とす。
「それゆえリェス様が仰る件とはまた別に、関わりをもって差し上げてほしい。私がこのように頼むなど、出過ぎた真似であることは承知の上だ……ただ、些細な内容で構わない、言葉を交わしたり……」
 声の響きは淡々とし冷静であったが、その奥からは明らかに表面とは正反対のそれが滲み出ていた。
「少しでも、リェス様に……」
 今までは寡黙でやや表情が乏しい女性だと感じていたが、彼女の持つ涼やかな相貌や振る舞いで実際よりそう見えていただけなのかもしれない。実のところは表情も、そしてそれを作る感情も豊かなのではないかと思う。
「すまない、突然……」
「友達思いなんやな」
「い、いや、リェス様は主で、その、友達というのは……」
「善処するわ」
 辺りに人影が無いことを確認すると三人は扉を静かに開け、外へと出る。冷たさを帯びた外気が頬に触れ、コハクは途端に現実に引き戻された気がした。別に夢を見ていたわけではなく、すべて現実なのだが。
「では三日後の夕刻に、またここで」
 幸い二人とも帰りの道は分かったので、各々帰路に着いた。自分の靴音だけが、誰も居ない路地に響く。コハクは暫く歩いてから振り返る。そこに居たはずのエルフの少女の影は既に消えており、ただ夜空に星彩が散っているだけだった。
「店に何て言うかなぁ……」
 彼女は消えていたが、確かに現実なのだ。こうして買い出しから帰らなかった理由をどう説明するか、そして如何にして店を辞めることを切り出すかと考えているのがその証拠だ。恐らく、今の店を続けたままできることではない。頻度による忙しさという点ではできないこともないのだろうが、その内容からして一旦店やそれに関わる人々との関係は薄めた方がいい気がする。そして――
「……何て、言われるかな」
 家を出るなどと言ったら、同居人にはどんな顔をされるだろうか。
 様々な想いを胸に、コハクは静かに息を吐いた。

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