イケ戦 短編

□稲荷神 続
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稲荷神の背後から回って舞の元まで歩み寄った光秀は、軽く肩に手を置き、外へ向けさせた。

戸惑って見上げると常に浮かべる薄ら笑いが浮かんでいる。




「あの、光秀さん?」

「先に行って伝えろ。後から戻ると」

「光秀さんは残るんですか?」




不思議に思ってきょとんとすると困ったような顔をした。




「小娘が一丁前に俺の心配とは」

「あっ、また小娘って言いましたね!もう何度言ったらやめてくれるんですか!」

「小娘は小娘だろう。それとも、此処に残るか」

「ひゃっ」




耳元に息を吹き込まれ肩が跳ねる。

身を捩って離れれば、乗っていた手はすんなりと解かれ勢いで敷居を跨ぐことが出来た。

頬を赤らめながら精一杯睨むが、暖簾に腕押し糠に釘。

いつも通り揶揄われただけであった。




「早く行け。信長様がお待ちだ」

「…ちゃんと、戻って来て下さいね」




それには答えず喉を鳴らしている。

答えが返ってこないことに一瞬食い下がりかけたが、秀吉の呼びかけに気を取られ振り返る。

足音をなるべく立てぬよう段差を下りて信長の側に駆け寄った。




舞のように下りてこない光秀に、秀吉は不審げな顔をする。

それに気づいて今し方光秀の言っていたことをそのまま伝えた。




「光秀さん、後から戻ると言ってました」

「は?何でだ?」

「それは、分からないけど…」

「どうせいつもの野暮用だろ」




割って入った政宗に二人は視線を遣る。

この寒さでも奥州より暖かく感じるのか、羽織の前を開いている。

野暮用程度で納得は出来ぬ秀吉が眉を寄せる。




「稲荷神様も言ってたろ。夜更けに時々来てるって」

「それはそうだが、何も今でなくとも」




そこへ信長の声が飛ぶ。




「思うところでもあったのだろう。放って置け」

「思うところ、ですか」




鸚鵡返しする秀吉を一瞥し、信長は未だ本堂の入り口に立つ光秀に顔だけを向ける。

既に稲荷神は中へ戻ったようでその姿はない。

主君が向いたことに気付いた光秀が緩やかに頭を垂れる。

それだけ目に留めると、さっと踵を返し石畳の上を歩き出す。




新年の参拝だったのに、と秀吉は思うも信長がそう言うのであれば言い募る理由はない。

呆れと共に湧いた微かな苛立ちを殺して、舞の手を引いた主君の後を追った。




*****




幾つかの背を見送った光秀は、軋む扉をゆっくりと閉じて体を奥へ向けた。

其処には先程と寸分違わず脇息にしな垂れる白い姿がある。

不意に込み上げる懐郷ともつかぬ感情を収め、目の前に静かに腰を下ろした。

途端につきのが転がるようにくっついてくる。

またそれを腕で抱き留めてやり、仕方なしに膝に座らせる。




撫でろと言わんばかりに見上げてくるものだから、額から前髪を攫うように撫で上げてみた。

それすら嬉しいのか締まりのない緩んだ笑みを浮かべていた。

すると前からくすくすと笑う声が。




《ほんに其方はつきのに懐かれておるのう》

「……夜更けに顔を合わせておりますれば。ですが、一時の気の迷いかと」

《ふ、何でも良い。気が向けば遊んでやれ》

「仰せの通りに」




頭を下げられぬ代わり、目を伏せる。

頷いた稲荷神は足元に控えるあさのと、光秀の膝に乗るつきのに命じた。




《あさの、他の灯りを消せ。つきのは酒を》

《《畏まりました》》




立ち上がった童女二人は各々に命に従い、あさのは部屋の隅を周り、蝋の上で揺れていた火を摘まんで消す。

つきのは左の戸口に姿を消し、盆に徳利と盃を二つ乗せて戻って来た。

その間に稲荷神が片手を揺らし何やらしていた。




先程まではぴったりと閉じられていた扉からも外界の冷気が染み込んでいたが、その手が揺れた後は嘘のように止んで。

信長達がいた時のように、神気を纏わぬ人の身でも暖かく思えた。

手を揺らしたことで外界と此処とを隔てたのだろうと直ぐに察しが付く。

しかし言った通り、これ迄もこのようなことは幾度か目にしたからか、驚くことは無かった。

単に現世から見えなくなっただけだろう、と。

序でに、これから光秀が問う事柄を外へ聞かせぬ為であろう、とも。




(お優しい方だ)




光秀は思う。

聞かれたとて稲荷神の都合が悪くなる訳でも無いだろうに、人一人が担う役目を慮る。

恩着せがましくもせず、意味など知らずとも良いとばかりに何も告げず。

果たしてこの神に益があるのだろうか、そこまで考えて頭の隅に追いやった。




(俺などが考えても仕方が無い。何故構うのかも分からぬというのに)




つきのが注いだ酒を口に含んだ稲荷神は、一度嚥下し俄かに口の端を吊り上げる。

目も口も細まり、正しくその貌は狐。

光秀もそれに倣い、注がれた盃を傾け唇を濡らす。




《諸々の話をすれば良いか?》




脈絡のない問いではあれど、それが光秀の望んだものであると踏んでの確認であった。

す、と目つきを鋭くし、微かに頷く。

すると脇息に預けた側の手で指折り、諸国諸大名の動向を諳んじ始めた。




《先ずは西だが、瀬戸の海賊とやらが何やらまた妙な動きをしておる》

「妙な、とは」

《表立って掲げておるのは安芸の安寧。だのに堺の商人(あきんど)、外つ国の者から根こそぎ武器を買い占めておるらしい。あくまでも外からは見えぬようにな》

「以前から節々に可笑しな動きがあったのは掴んでおりますが、ここにきて、となると」

《仕掛けてくる積もりやもしれぬなぁ》




笑いが止まらぬとばかりにくつくつと低く嗤う。

光秀の脳裏に、日焼けた体格の良い男が浮かび、直ぐに次の手、その次の手が弾き出される。

その様子を見てもいないのか、今度は所変わってこれ迄も幾度も刃を交えてきた相手のことが紡ぎ出された。




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