イケ戦 短編

□稲荷神
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年が明け、半月程経った頃、安土城に可笑しな文が届けられた。

常ならば誰ぞに託されたとしても、城門を警護する兵に言づて、その兵が城内の将に伺いを立てて文を受け取る。

そしてその将が文を受け取り中を検め、検分した後、必要なれば城主へ報せる。

そういった手順が踏まれる筈なのだが数日前に届いた文は、全く予想外の場所へ置かれていたのである。




本来、飾りや物見の役目である天守を住まいとする城主がいる其処、天主の欄干の側にあった。




夜は遅くに床へ就き、朝は明け方に目覚める。

眠りの浅さには定評のある信長の、直ぐ側に置かれていたのだ。

当の本人さえ、文が置かれていたその日にも何の気配もなく気づけば其処にあったと言う。




軍議にてそう述べた信長に、右腕の秀吉も首を捻り訳の分からなさに頭を抱えた。

気配に敏い主君が気付かず、それも天主まで昇って来るとなると余程の手練れ以外は有り得まい。

それが秀吉と各々の見解であった。

怪しげな文を手渡されしげしげと眺める秀吉は、きっちりと折り目正しく畳まれたそれを眺め不意に我に返った。




「まさかとは思いますが、信長様」

「何だ、秀吉」




脇息に凭れ、扇で仰ぐ主君に恐る恐る問う。




「中をご覧になられたのですか…?」

「俺の枕元にあったのだ。見ない訳にもいかんだろう」

「誰の差し金かも分からないないのですよ!術でもかけられていたらどうされるのですか!」

「案ずるな。問題はなかった」

「そういう事ではなく…!」




尚も言い募る秀吉から視線を逸らし、その向かいに座し、涼しい表情の光秀へ目を向けた。




「光秀、この事、貴様はどう思う」

「御館様にも気取られぬとなれば、手練れと見て違いありますまい。ただ、」




薄っすらと口角の上がる口元からは考えが読み取れない。

信長は続きを促した。




「ただ、それが真に人であったなら、の話ですが」

「人じゃない線もあるってのか?」




光秀の横にいた政宗も、種は違えど不敵な笑みを湛えた面白げにしていた。

乱世の将にしては珍しく右目を隠しつつも、奥州の独眼竜とまで呼ばれるその勇猛さは折り紙付き。

その破天荒さ、見目の良さからか城下の娘達からも羨望の眼差しを受ける存在である。




「有り得なくはないだろう」

「ま、確かにな」




行儀悪く胡坐の上で頬杖をつく政宗は肩を竦め、形だけ納得した。

そこへ軍議の場にしては底抜けの明るい声が飛ぶ。




「えーと、つまり、どういうことですか?」




広間の視線が一斉に其方へ向く。

淡い色合いの着物を纏い、小首を傾げる妙齢の女の名は舞。

先の本能寺の際に、火の中から信長を救いだし安土城に身を置いている。

曰く、五百年先の世からやって来たとかでこの時代にはない知識や物を持っていた。

俄かには信じ難い話でもあったが、幾月か過ごす内、城にも慣れ世話役として顔も知られるようになってきた。




政宗の更に隣にいた家康は、話が進まぬとばかりに溜息を隠さず、それでも補足してやる。




「幾ら腕の良い忍だって言っても信長様が気付かない訳が無い。だったら、その文を置いたのは人じゃない何かじゃないか、ってこと。アンタ本当に物分かりが悪いよね」

「ああ、そういう…。って一言多いよ!」




頬を膨らませる舞に悪びれもせずまた息を吐く。

すると秀吉の横に控えている三成はやや真剣な声色で隣を仰いだ。




「中には何とあったのですか?」

「あ、ああ」




信長が問題なかったと言うならばそうなのだろうが、直に目にしなければ判断は出来ない。

この時期に文だけを寄越すというのも、例え傘下の大名だとしても可笑しい。

まして主君の枕元に直に置いてあったというのだから尚更、と三成は切れの良い頭でそう考える。

はっとした秀吉が畳まれたそれを丁寧に開き、中にある手触りの良い和紙を広げる。




視線を落として書き出しを見て、直ぐに眉が寄った。

その変化に広間にいた皆が不思議に思う。

上座で悠然とする信長だけは悪戯小僧のように目を細めていた。




「信長様、これは…」

「光秀の言う通り、それを置いたのは人ではない。人ではないが、印を見てみよ」

「……肉球、ですね」

「「「「はあ?」」」」




溢された三成の呟きに文を見ていない者は抜けた声を上げた。

時候の挨拶も前略などとも書かず、用件のみを書き連ね、最後には差出人の名すらなく、捺されていたのは獣の肉球。

これだけ見れば童の悪戯とも取れる。

しかし悪戯にしては字が達筆過ぎており、そもそも童ならば信長の枕元に文を置くどころか城内に入り込めさえしない。




痺れを切らした家康が苛立ちを含んだ口調で秀吉に言った。




「秀吉さん、何て書いてあるんですか」




問われた秀吉は微妙な表情をして、内容を読み上げる。




安土に御坐す武将方 即日 我が社へ来られたし

明くる年の 相見(まみ)えずして 豊穣なし

断らざるを 待ち侘びて候




聞き終えた政宗と家康は、厭味ったらしい書き方に顔を顰め、光秀は何事か思い当たったのか肩を揺らす。

舞に至っては内容自体は理解したものの、何故顔を顰めているのかや笑っているのか疑問のようできょとんとしている。

じっと紙の上に視線を落としていた秀吉が顔を上げ、上座を見た。




「信長様、確か今年と昨年はあそこへ行かれてはいませんでしたが」

「ああ、それでこのような文を寄越したのだろうな」

「忙しさにかまけていたからですかね」

「かまけていたからといって、無視は出来まい」

「これから御発ちに?」

「文には即日とある。直ぐにでも行かねば怒り狂って何が起きるか分からん」

「……支度をします」




戻って来るまでに溜まっていそうな仕事を思うと、秀吉は気が重たかった。

信長が言葉短く軍議の終わりを告げると、各々支度をしに腰を上げ広間を出て行く。

一人状況に取り残されている舞は、部屋へ戻る道すがら秀吉に問うた。




「あの、秀吉さん。どうなってるの?」

「ああ、ちゃんと説明しないとな。さっきの文、あれは稲荷神の遣いからの文だ」

「稲荷神ってお稲荷様?」

「そうだ。それは知ってるんだな」

「当たり前だよ!でも何でそのお稲荷様の遣いが文を寄越すの?」

「あー…それは…」




言い難そうに目を泳がせ人差し指で頬を掻く。

そこで舞の部屋に着いた為、招いて続きを聞くことにした。

言葉に甘えて、侍女が用意しておいた火鉢の側に腰を下ろし、それを囲んで話す。




「基本神社には毎年新年の挨拶に行っていたんだが、昨年と今年は信長様への謁見も増えてな。行くに行けなかったんだ」

「それでお稲荷様が来いって言ったんだ」

「正確には遣いがな。だがこんな事があるとは俺も思わなかった。神仏から直接文が来るなんてな」

「まぁ、それは普通は信じられないよね…」

「信じ難いことが起きたからこそ、信長様も仰っていたように社に行って置かないと後で何が起こるか分からない」

「触らぬ神に祟りなしってやつ?」

「そう、それだ」




秀吉が苦笑して言う。

答えには舞も納得し広間でのあの空気に理解が追い付いた。

五百年先の世でも近所の神社への参拝は毎年行うもので、その年忘れてしまったりしても次の年には出来るだけ行くようにしていた。

それを翌年も来ないつもりなのかと危惧した稲荷神の遣いは態々文を寄越したのだ。

神の遣いから直接文を届く場面を目にすることになるとは、此方に来た時は考えもしなかったと舞は何処か感慨深く思う。

それだけこの時代は神仏や自然との繋がりが大事であるということなのだ。




「私もお供した方がいいのかな」

「そうだなぁ、文には書いていなかったが、信長様はお前を連れて行かれるだろうし。一応支度はしておいた方がいいかもな」

「うん、分かった」




素直に返事をする舞に目を細め、秀吉は柔らかく頭を撫でた。




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