イケ戦 短編
□女の正体
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燃え盛る本能寺から信長を助け出した女の内一人が森の中へ逃げ込んだ。
連れ戻すよう命を受けた秀吉が馬に乗り直ぐに駆け出す。
もう一人の女、五十鈴は呆けているのか無言のまま其方に目を向けていた。
愉快だと言わんばかりの信長が五十鈴を見る。
「貴様は逃げんのか」
その声で我に返り、ふ、と首を向ける。
松明を燃やしているというのに白い面差しからは感情が抜け落ちたのか、能面のようであった。
それを見て光秀は僅かに眉を動かす。
聞けば五十鈴は舞と共に信長を叩き起こし、腰の刀を借りて曲者を切り捨てたらしい。
今は三成が用意した着物に着替え身綺麗にしているが、先程まで顔や見慣れぬ着物にまで血が飛び散っていた。
平民であれば刀を握ったとしても人を斬り、こうも平然としていられる訳がない。
しかし間者がこうも無防備に背を向けるだろうか、と内心疑問を浮かべる。
『逃げても馬の足には追い付かれますから』
淡々と言い放つ。
頭の回転が速いのか諦めが早いのか。
信長がまた機嫌良く笑った。
「ほう、彼奴よりは状況判断が出来るようだな。貴様の名も聞いておこう」
『……』
答えあぐねるかのように僅かに視線を彷徨わせ、一度だけ光秀に向ける。
それは直ぐに逸らされたが信長が見逃す筈も無く。
「光秀の縁者か」
「はて、この様な小娘、記憶に御座いませんが」
「…此奴のこの目、貴様に似ていると思わんか」
顔を覗き込まれ、信長の長く少しだけかさついた指に顎を掬い上げられる。
間近に迫っても睨み付ける五十鈴の左目は、光秀の珍しい琥珀色と同じであった。
右は父譲りの普遍的な茶、本来なら遺伝で同じ色になる筈が遺伝子に異変が生じたのか、左は異なる色に生まれ付いた。
五十鈴は左右違うこの目を余り好ましく思っていない。
両親ともに日本人だというのに髪色は薄く、左がこの色である所為で幼い頃から良い思いをした経験がない。
若しくは弟のように丸々母に似て生まれればまだマシだったろうにと。
弟の瑞月は他人が見れば光秀と瓜二つの容姿をしている。
北の地の血でも入っているのではと疑う程色白で、髪も銀に近く、目の色はそれこそ蜂蜜か琥珀に見えるのだ。
血を分けた姉弟であるので、そのことを妬ましく感じたことなど一度もない。
けれど、何故自分のみこうなのかと思いもする。
苛立ちに任せ荒れるばかりだった過去を思い出しかけて、信長の手を振り払った。
その勢いにやや目を見張っていた。
『お察しの通り、そこの光秀さんの縁者ですよ。但し、五百年も経ってますけどね』
自嘲を乗せて鼻で笑う。
「見ろ、当たったぞ」
「しかしこの娘の世迷言が真であるなら、血も薄れましょう」
「紛い物の目を入れられる訳も無かろう」
「如何あっても縁者にしたいのですか」
「その方が面白い。時を越えてきた女が貴様の血を継いでいるなど、特にな」
食い下がる主君の愉悦に滲む顔から視線を五十鈴へと向ける。
態とらしくはあるが、何処か面倒そうな空気が漂うのを五十鈴は感じた。
「偽れば俺がその舌を引っこ抜いてやろう。名は」
『……明智、五十鈴』
嘗てこれ程までに自分の名を名乗るのを躊躇ったことはない。
嫌そうに名乗った五十鈴を見て、信長は勝ち誇り光秀に「そら見ろ」と言わんばかりにしていた。
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