すみれ色のしおり

□兄弟
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「鯰尾!」

「げっ、いち兄…」

俺は手に持っているものをさっと後ろに隠す。
いち兄は俺の前まで来ると、目を尖らせて俺を見下ろした。

「今隠したのはなんですかな?」

「えっ、と…これは、その…」

いち兄は黒い笑顔で返答を待っている。

「……馬糞、かな?」

俺が答えないでいると低い声で俺の持っているバケツの中身を当てて見せた。
びくっ、と肩を揺らすと、いち兄は長いため息をついた。

「まったくお前は……それをどうするつもりなのか知らないけれど、人に投げる、などということは絶対するのではないよ。」

「…ち、違うって!今日俺馬当番だから長谷部さんに頼まれたの!馬糞は肥料になるから持って来いって!」

「……本当かい?」

「本当だってば!本人に聞いてみなよ!」

俺が必死な様子でそう主張すると、いち兄は不信な様子で去っていった。
もちろん、本当のことしか言ってない。
本当に長谷部さんに頼まれたのだ。
いち兄が俺を疑うのは、まあ、俺の普段の行いと、俺の言い方とか態度だと思う。
俺がわざとそうしているから。

いち兄には俺を含め沢山の弟がいる。
そして、その中でも兄に近い立場の俺はいつもいち兄に甘えてなんていられない。
落ち着いて2人で話だってそうそう出来ない。
話していると高確率で弟の誰かが来て、2人ではなくなってしまう。
別に、だからといって弟たちが嫌いなわけではない。
むしろ、弟たちのことは大好きだ。
でも、だからこそ、素直にに甘えられる弟が羨ましい。
弟の中にもそれが苦手な子もいる。
彼は俺なんかよりも大人で、働き者だ。
いつだったか、彼がいち兄に甘えられるようにって弟たちと協力して、2人の話のじゃまをしないようにしようって頑張った時期があった。
その時からだ。
俺はいち兄に甘えられるのかって思ったのは。
弟たちの中では兄分だけど、俺だって弟なんだ。
ちょっとは、そう思ってもいいじゃないか。
でも、俺にはたぶん無理だ。
いち兄にふざけてるってあしらわれるだけ。
別に甘えたいわけじゃない。
ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから、いち兄の弟になりたかった。
だから、思いついたんだ。
この方法を。

「鯰尾!」

「ん、いち兄?」

長谷部さんに馬糞を届けた後、いち兄がオレを後ろから呼び止めた。

「すまない、本当に彼の頼みだったんだね。」

そう言っていち兄は申し訳なさそうに俺を見た。

思いついた、というより気がついた、という感じだった。
最初は本当に怒られた時だった。
その時、気がついた。
今、いち兄の弟してるって。
怒られる時、いち兄はしっかり叱ってくれる人だから、ほかの弟が来てもそちらに少し待っているよう促して、お説教を続ける。
俺だけを、見ていてくれる。

「別に謝らなくていいよ。」

俺がそうしてるんだし。
それは声には出さない。
怒るのさえ止められたら、俺はいついち兄の弟でいられるんだろうか。
……というか、ここまで申し訳なさそうにされるとこっちが申し訳なくなるんだけど……

「…ほんと、気にしてないからね?」

「いや、お前がいつも馬糞は嫌いなやつに投げると言っていたとしても、馬糞を持っていただけで疑ってしまったなんて…」

そしてまた、いち兄はすまなそうに目を伏せる。

う、うわぁ、これ完全に俺が悪いわ…

「あ、あの、いちに「そうだ!」

「えっ、は、はい?」

いちにぃは突然顔を上げると、俺の両肩をつかむ。

「これから主の命で万屋に行くんだが、一緒に行かないかい?」

「え、え?お、俺でいいの?」

「申し訳ないことをしてしまったからね、甘味処で甘いものでも一緒に食べようか。」

ぶわあっと桜が一気に咲いた気分だった。
いち兄と一緒に、万屋…!
しかも2人で!

「ま、待って!すぐ着替えるから!玄関に先に行ってて!」

「はは、乱じゃないんだから、着替えなくても。」

「馬糞かき集めた服じゃ嫌でしょ?」

俺がそう言って笑うと、いち兄も、確かにそうだね、と困ったように笑った。
俺はその笑顔を見てから自分の部屋に転がり込む。
本当は兄弟として、粟田口の服を着て行きたかったから。
俺は長谷部さん並みの速さで着替えると、いち兄の待つ玄関へ急いだ。
すでに靴を履いて待っていたいち兄は俺が来るとにこりと笑う。

「さ、行こうか。」

「うん!……ん?」

俺が靴を履き終わると同時に、いち兄が手を差し出してきた。
俺がその手の意味がわからずいち兄の顔を見る。
いち兄はしばらく俺の顔を不思議そうに見ていたが、はっとして、恥ずかしそうにその手を後ろに隠した。

「す、すまない。弟たちと行く時にはいつも手をつなぐから、くせでつい…」

…あぁ、そういうことだったのか。

「え、俺も弟なのに手つないでくれないのー?」

俺はそう言っていたずらに笑ってみせる。
その時、軽い足音が聞こえた。

「あれっ、いち兄とずお兄どこいくの?」

偶然通りかかったらしい乱が不思議そうに首をかしげた。

「今から主命で万屋に行くんだよ。」

「え、そうなの!?僕も行きたい!」

乱が笑顔をほころばせる。
その反対に俺は心の中で残念に思った。
また、二人じゃなくなっちゃったなー…
俺がそう思っていると、いち兄が視線を合わせるように乱の前でしゃがんだ。

「すまない、乱。今回は鯰尾と一緒に行くんだ。また今度ね。…さ、鯰尾、行こうか。」

「えっ、あ、いち兄?」

いち兄はそう言って俺の手をとると、急ぎ足で玄関を出た。

「もう!いち兄約束だからねー!」

乱れの叫びを背中に、俺もいち兄に手をひかれるまま、玄関を出る。
いち兄が弟のお願いを断るなんて…

「…いち兄、乱のこと、良かったの?」

しばらく歩いた後、俺はいち兄の顔を見ながら言った。
俺は乱が行きたいと言い出した時、絶対三人で行くことになるだろうと思った。
でも、いち兄は断った。

「あぁ、乱とならたくさん行ったことがあるからね。それに…」

「それに?」

俺が首をかしげると、いち兄はクスリと笑う。

「乱が行くって言った時、残念そうな顔をしていただろう?」

「えっ、ほんとに!?」

俺は空いている手で自分の頬をおさえた。

「鯰尾は、感情が顔に出やすいね。」

「そ、そそそんなこと、今まで言われたことないけど!?」

「よく見ていればわかるさ。」

「よ、よく、見てる…?」

「だって、鯰尾は私の弟だろう?」

そう言っていち兄はニコリと笑った。

……あぁ、俺は勘違いをしていた。
最初から、俺はいち兄の弟だった。
いち兄はちゃんと、見ていてくれたんだ。

「えへへ、そうだね!」

俺の手を無意識に握ったままのいち兄の半歩後で、俺はいち兄の言葉に頬を緩ませながら万屋に向かって歩く。

それは少し暑い、晴れた日のことだった。
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