□理由があるなら
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「乱菊に…会わせたって下さい」

それまで、かつての仲間にさえ躊躇い無く刃を向けてきた市丸ギンは、力無く懇願した。
そこに、藍染と共に反旗を翻し、その手を血に染めてきた面影は、もはや無かった。

藍染側に付いた動機が、彼の幼馴染である乱菊に由来し、そもそもは藍染を討つという目的の為に裏切りの汚名を着た事を知った十番隊隊長日番谷は、敢えて市丸ギンの身柄を拘束する事はせず、彼の望むとおり、自身の部下との面会を果たしてやった。

「乱…。なんで来てもうたんや、乱菊。なんでいつも待っとらんで、追いかけてくるん…。なんで……乱菊……なんでなん…」

瓦礫の片隅に冷たく横たわる女の姿は初めて出会った幼い時と重なり、どれだけ時が流れても変わらず、彼女を愛しいと思う気持ちが薄れていない事を突き付けてくる。
違うのは、あの日秋空を映していた透き通る青い瞳は、もう開かれる事はないと言う事だけ。

「お前が此処に居るからだろ、市丸。」

繰り返しうわ言のように嘆くギンに、失われた右腕の付け根を押さえながら日番谷が近づいた。
敵意が無い事を感じたのか、それとももう戦意を喪失していただけか、ギンは身構えることもなく、ただ”分からない”といった表情で細い目を更に細めた。

「松本はずっとお前の事を気にかけてたんだ。おそらく、お前が藍染達と一緒にソウルソサエティから居なくなるずっと前から、お前の事を誰より気にかけて」

命を救われ、同じ時間を生きて来た半身だったのに、なぜ男はは急に離れて行ってしまったのか。
どれだけ考えても答えは見つからないまま、まるで他人よりも遠い存在になってしまっても、乱菊はギンの行く末を案じ続けていた。

「お前が心の底で松本を想っていたように、松本もお前を想ってたからだって、なんで分かんねえんだよ。……なんで……なんでこんな方法しかなかったんだよ。お前ら二人は、揃いも揃って馬鹿野郎だぜ…」

男はもう一度乱菊の名を呟くと、動かなくなった彼女の体を腕に収め、固く抱きしめた。
隊舎の廊下ですれ違う度、遠目で彼女を見かける度、無邪気さを孕んで触れた子供の頃とは随分変わったとは思っていた。
けれど抱きしめてしまえば目で見るよりずっと、華奢で、女の体をしていたのだと分かる。
対照的に、自分は痩身長躯の一人の男として、この場に居る誰とも違わない。
女である乱菊と、男であるギン。
触れてしまえば、これが自分の求めた先の本当の答えなのだと行き着いたのかもしれないのに。

(なんでもっと早くこうせんかったんやろな。ずっと、乱菊を守りたかって。それだけやのに。ただそれだけやったのに、いつからこんな風になってしもたんかな)


「乱…」

ギンがこれまで人前では決して使うことの無かった、幼い日の呼称で乱菊を呼んだ。
瞬間、辺りに滲み出ていた霊圧のざわめきがピタリと止まった。
さながら嵐の前の静けさに、それがこのすぐ先に起こる事の前兆だと気が付いたのは、日番谷だけであった。
叫ぶのが早いか、男の霊圧が跳ね上がるのが早いか、僅かな動作を見せる事無く、男の霊圧は一気に全開になった。

「市丸――っ!!」

日番谷の声に、ギンは肩越しに振り返った。
いつかの隊舎屋根で対峙した時と同じように、薄く開いた瞼から薄氷の瞳を覗かせて。
鬼道の詠唱の間も与えず、市丸ギンはその腕に乱菊の亡骸を抱いたまま、砂煙を巻き上げてその場から姿を消した。

こうなる事くらい、容易に予想出来た。
乱菊を失くした後の市丸が、どんな行動に出るか。
後に残った自身の副官の血溜まりを前に、日番谷は悔しさを滲ませた。



***************



荒れ地の果て。
誰も居ない静かな雑木林の地に男は降り立った。
瞬歩で乱れた乱菊の髪を優しく指で払いながら、何故乱菊が死ななければならなかったのか、考える。


――決まってんでしょ。あんたが居るからよ
――お前が此処に居るからだろ



(せやな…。僕も、乱が居ったから――)

“何故”“どうして”と、何度も反芻して出した答えは、あっけないほどシンプルな物だった。

乱菊と出会わなければ、希望も展望も変化もない生活で、ただその日を生きるだけだった。
何時死んでも構わないと思っていた生活に、乱菊が入り込んで、全てが変わった。
乱菊が居たから、今まで生きてきた。
乱菊は、市丸ギンという人間の全てだった。
彼女が居ない世界など、何の価値も無い。

ギンは微かに笑うと、乱菊を腕に抱いたまま自らの左胸に神槍の切先を向けた。

(もう、置いていったりせんよ)

隙間風の入るあばら屋で、乱菊と別れた時。
互いに護挺十三隊に入り、絶対的な立場が変わり、距離が離れた時。
十番隊隊舎の上で、刃を交え、敵対を露わにした時。

隠し続けた本心とは裏腹に、幾度となく乱菊を置き去りにし続けてきたけれど、もう自分を偽ることは無い。

「これからは、ずぅっと一緒や。乱菊」

双瞼を閉じ、二人が暮らした家を思い浮かべた。
ギンはその引き戸を開けた。それはもう軋むことは無く、隙間なく滑らかに、ギンを中へいざなう。
野菊が活けられた棚。壁につるされた干し柿。ふわりと煙る夕餉の鍋。
懐かしい居間には、美しく成長した乱菊が座り、ふわりと笑いながら振り返った。


――ギン、おかえりなさい。


ずっと待ち望んだ光景に、ギンの仮面が剥がれていく。
子供の様に満面の笑みを浮かべながら、男はもう二度と口にすることはないと思っていた言葉を音にした。


「ただいま。乱菊…」


切先がキラリと光り、伸びた神槍がギンの胸を貫いた。
二人は土の上に静かに伏せ、白無垢を身に着けた花嫁の様に、乱菊の上に男が着ている虚圏の服の裾がさらりと落ちた。

〜終〜

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