並盛中の校舎裏。 そこに一人、しゃがみ込んで泣いているポニーテールの女の子がいた。 彼は彼女に気づくと傍まで近づき、立ったまま語りかける。 「何泣いてんだよアホ女」 ■そばにいる理由・1 「泣いてないです!」 一番見られたくない人に見つかってしまった。 せっかく誰にも知られずここまで辿り着いたのに、とハルは大急ぎで目から溢れだす雫を手の甲で拭う。 彼に弱みを見せたら最後、どんな風にからかわれるか分からない。 彼はいつも不機嫌そうに街を歩き、敵意をむき出しで、しょっちゅうケンカをしている乱暴者。ハルから見た獄寺隼人は「アウトローでデストロイな人」という認識だった。 獄寺が唯一心を許すのは、彼が主と心に決めている沢田綱吉だけ。 そしてハルは沢田綱吉に恋心を抱いている。 そのためか獄寺とハルはぶつかり合うことが多く、顔を合わせれば口論が絶えない。 ハルにとって獄寺は天敵と言っていい人物だ。 そんな人に涙でぐしゃぐしゃな顔を見られたなんて、敵に弱みを握られたに等しい。 ただでさえ今のハルの気分は底辺を這っていた。 いつものように獄寺からきつい言葉を投げかけられても、言い返す気力なんてきっと残っていない。 だからせめて、虚勢でもいいから涙を止めて何でもないふりをしたいのだけれど、感情は上手くコントロールできなくてハルの黒々とした大きな瞳から大粒の涙が止めどなく溢れていた。 「きったねえ顔してんな」 獄寺は相変わらずな口調でハルに言葉を投げかけた。 …女の子が泣いてる時に、なんでそういうヒドイこと言えるんですかね!? 心の中で思ってはみたものの、実際酷い顔をしているのだろう。 泣いたせいで目の周りが熱く、恐らく充血もしている。自分では見えないけれど、相当不細工な顔をしているはずだ。 両手で頬を包んでそれとなく隠してみたものの、一度見られてしまっては言い訳すらできない。 バカにされるだろうか。鼻で笑われるだろうか。 この人の事だから、もっとひどいことを言ってくるんじゃないか。 ハルのそんな心配を余所に、獄寺は無表情のままただ静かにハルを見下ろしていた。 「笹川がさっき廊下にいたけど、お前、行かなくていいのかよ」 笹川京子とハルは学校は違えど友達同士で仲がいい。 獄寺はそれを知っていて、珍しく親切心のつもりで教えてくれているのだろう。 「いいんです」ハルは言った。「ハルは今、友情と恋愛を天秤にかけてるんですから」 京子が校舎にいることは知っている。さっきまで彼女とハルは一緒にいたのだから。 そこでハルは京子から相談されたのだ。 綱吉に告白しようと思っている、という内容の話だった。 ハルも京子も同じ人を好きになった。だから、彼女は先にハルへ話を持ちかけたのだという。 決して牽制している訳じゃない。大切な友達だから、抜け駆けはしたくなかったと京子は言った。 京子の考えも分かるし、気持ちも嬉しい。 だけどそれって、ハルにいちいち報告しなきゃいけないことですか? 京子ちゃんが自己満足したいだけなんじゃないですか。 ハルが傷つくことくらい、考えなくてもわかるじゃないですか。 自分の中にドロドロした重い何かがむくむくと膨れ上がる。 綱吉が以前から京子に恋心を抱いているのは、周知の事実。 お互いに片思いしていたのだと気づけば、100%上手くいくに決まっている。 ――ズルいです、京子ちゃん。 ハルの性格上「告白なんてやめてくれ」と言えるわけがなくて、つい「そんなの関係ないですよ!頑張ってください京子ちゃん!」なんて、思ってもないことが口を突く。 人から言わせれば、ハルは他人に嫌われたくないために調子のいいことばかり言う「優等生」タイプなのだろう。もちろん自分でも分かっている。こんな時にですら良い格好をしようとする自分自身に嫌気が差してきた。 京子が悪いわけじゃない。自らの気持ちを押さえつけてでも、ハルは人に悪く思われるのがイヤなのだ。 バカバカしいと分かっているけど、やめられない。本音を言えない。 京子には強がって笑顔で送り出したけれど、居ても経ってもいられなくなってここまで逃げてきた。 なのにこんな現場を獄寺に見つかってしまうだなんて。 獄寺は何も言わずハルの隣に腰かけた。 タバコを胸ポケットから取り出し、フィルターを口にくわえて火をつける。 ハルが落ち着こうと深呼吸を繰り返している間、彼は黙ったまま紫煙を燻らせ続けた。 いつもならハルと一緒にいれば嫌味の一つも飛んできそうなものなのに、今日はやけに大人しい。 ハルは不思議に感じながら、シンと静まり返った校舎裏で自分の気持ちを落ち着けていった。 …その矢先。煙を吐き出したのと同時に獄寺が口を開く。 「バカじゃね?そうやってライバルに10代目を取られてもいいのかよ」 「――っ!」 なんで貴方に、そんなことを言われなきゃならないの。 流石に目じりを吊り上げたハルは、キッっと隣を睨み付けた。獄寺は興味なさげにぼんやり宙を仰いでいる。 バカなのは重々承知だ。京子が告白してしまえば綱吉は良い返事をすることを分かっていながら、こんなところでただじっとしている自分が滑稽だと、ハル自身が一番理解している。 愛想よく笑顔を振りまくことしか知らないハルは、それでも大切な二人が幸せになるならと痛みをこらえて送り出したのに。 わざわざ獄寺さんに言われるような、ことじゃない…! 「ほっといてください!」 無神経な獄寺の言葉にハルの怒りが嵐のように襲ってくる。 「京子ちゃんだって大切なお友だちなんですっ!ツナさんも本当に素敵な人だから、京子ちゃんが好きになっても仕方ありません」 綱吉が前から京子のことを想っていたことも知っていた。 彼が京子の告白を受けて、有頂天になる姿を容易に想像できる。 …悲しいけれど、諦めたくはないけれど。 好きな人たちが幸せだと嬉しいと思う自分も、確かに存在していた。 結局ハルは京子も綱吉の事も大好きで、どちらかを選ぶことはできなかった。 「当たり前だ」ハルの言葉に大きく頷いた獄寺は言った。「10代目は素晴らしいお方だからな」 「ですよねっ。強くて優しいし、ドジなところも可愛いですし」 「うんうん」 「ちょっと残念なところもあるけど、そんなことは全然重要じゃなくて、すごぉーく魅力的な人だなって思います」 「アホの割にはわかってんじゃねーか」 獄寺とハルは犬猿の仲だったけれど、唯一「綱吉が一番」という部分では意気投合した。 …ああ、だからですかね。 ハルはふと思う。もしかして獄寺は、「同志」だから理解できる気持ちをくみ取ってくれているのかもしれない。 ぶっきらぼうな言い方しかできなくても、彼なりにハルを心配してくれているのだろう。 そう思えばココロは少しずつほぐれていく。 「ハルはツナさんが大好きなので――」 独り言のように小さく呟いたハルを、獄寺は真意の見えない静かな眼差しで見据えていた。 「ツナさんの気持ちも京子ちゃんの気持ちも、どっちも大切にしたいんです」 「バカだな、アホ女は」 「…ですよねぇ」 どうしようもないバカなのだ。今さら言い訳する気も起きない。 こうして涙があふれるほど悲しいけれど、二人が幸せになってくれるなら自分の気持ちも報われる気がした。 「――で、獄寺さんはいつまでココにいる気ですか」 「んあ?」 できれば彼から立ち去ってほしい。もう少しすれば、いつもの自分に戻れそうな気がするから。 いくら同志とはいえみっともない姿を見られるのもイヤだし、普段の彼ならすぐに立ち去っていくはずなのだが今の獄寺はそれをしなかった。 さっきから珍しいことばかりするで、ハルは却って今の彼にどう接していいかわからない。 「泣いてるアホ女と放っておいたら、後で10代目にお叱りを受けんだろ。10代目は仲間を大切にしてくださる懐の深いお方だからな」 「ツナさんの為ですか?」 「そうだよ。…おめーと同じだろ」 ――そうかもしれませんね。 ハルは心の中で呟いた。似ているのだ。自分と彼は。 傷ついたハルの心中を一番に理解してくれるのは、獄寺なのかもしれない。 そして綱吉のためと言いながら、悲しみに沈んでいるハルを捨てておけない不器用な彼なりの優しさが胸に沁みた。 「獄寺さんが優しいなんて、すごく意外です」 「だからアホ女のためじゃねえっつの」 「あー、かわいくないですぅ」 「果たすぞテメェ!!」 からかえばすぐに釣られる獄寺が可笑しくて、ハルは笑った。 さっきまで二度と立ち上がれないと思うほど落ち込んでいたのにもう笑顔が戻るなんて、ハル自身ですら驚きを隠せない。 「それでも。――ありがとうございます、獄寺さん。傍にいてくれて」 「おぅ」 敢えて深くは追求せずに、短い返事で答えてくれたのが嬉しくて。 認めたくはないけれど、彼のお蔭で気力が徐々に戻ってくるのを感じる。 「でもハルはツナさんを今でも大好きな気持ちは変わりませんよ。諦めるつもりなんてないですから」 「しつけーなお前。ストーカーかよ」 「ヒドくないですか!?純愛なんです、純愛〜!」 並中の校舎裏。 緑陰を抜ける風が木の葉を煽り、楽しそうに揺らいでいた。 |