**画用紙にクレヨンシリーズ/ツナハル**

□画用紙にクレヨン [7]
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園児がいなくなったあと、今月の打ち合わせや園内の掲示板の張替えをしているときに人影を見つけた。
美しい深紅のワンレンが印象的な、艶やかな女性。
外見からすると外国人だろうか。完璧なボディラインを惜しげもなく曝け出すファッションは見る者の目を引く。
門の外側から彼女がじっとこちらを見ているものだから、関係者なのかと気になりハルから声を掛けた。
「なにかご用でしょうか」
「――子供たちはもういないのかしら」
「ええ、みんなおうちに帰りました。ご家族の方ですか?」
同じ女性なのに、彼女を見ていると色っぽくてドキドキする。
長く色っぽいまつ毛に涼やかで艶めかしい瞳、穢れを知らない雪のように白い肌、ぷっくりと熟れた果実みたいに甘くて魅力的な唇。けれど雰囲気はどこか挑戦的で普通の人とは違う妙な迫力がある。
例えるなら大輪の真っ赤なバラのような女性だった。
1輪だけでも人々の記憶に焼き付くほど気高く美しい花なのに、棘があって気安く近づけそうもない。
女性の雰囲気に押されそうになりながら、ハルはぐっと腹に力を込めて歩み寄る。もし関係者であれば話を聴く必要があるし、そうでなければお引き取り願わねばならない。
近づいて女性と真正面から向き合ってみると、遠目から見ていた以上に美しかった。
その人が纏う空気はハリウッドスターのようにキラキラと華やかで、同時に心まで惹きつける妖しい色香。豊満な胸に括れたウエスト、スラッと伸びた手足。完璧なボディライン。同性でも思わず見惚れてしまうほどの麗人だ。
独特なオーラに気圧されながらもハルは再び女性に声を掛けた。
「私で良ければ…お伺いしますが」
「――いないのならいいわ」
彼女はそう言うと、そっと目を伏せてハルに背を向け立ち去った。
…なにか事情があるんでしょうか。
美しい女性の一瞬の眼差しにさびしそうな影がちらりと見えた気がして、ハルの心にいつまでも引っかかっていた。

* * *

「じゅーだいめー。あのね、“好き”って10回言ってー」
「はいはい。好き好き好き好き……」
綱吉の膝に乗った隼人が、いま保育園で流行っている「10回ゲーム」を綱吉に問いかける。
ハルはそんな二人をニコニコ眺めつつ夕食後の片づけを終わらせて、皆が集まる居間へとお茶を運んだ。
今日は綱吉の仕事が早く終わると前もって分かっていたため、ハルは彼らの家へ訪れていた。みんなで食卓を囲み穏やかな時間を過ごしていると本当の家族のような幻想に駆られる。
…なんて勝手な妄想ですかね。
つい都合のいい夢をみた自分に咳払いを一つして、ハルは綱吉の隣に腰を降ろした。
「…好き好き。10回言ったよ?」
「えへへー。ありがとうじゅうだいめ」
「――え?それだけなんだ」
「うんっ!」
隼人は頬を染めて幸せいっぱいの笑顔を綱吉に向けた。ただ単に「好き」だと言ってほしいだけだったらしい。
それを見ていた武が綱吉の元へ走り寄って、隼人とは反対方向の膝に登り綱吉を見上げた。
「ツナー!じゃあ次、オレな!“ピザ”って10回言って!」
「ピザピザピザ……ピザ」
「ここは!?」
武は瞳を輝かせ、小さな手で自分の肘を指差す。柔らかな微笑みを浮かべた綱吉は武の鼻を指先でちょんとつついた。
「ヒジ」
「ヒザでしたー!」
「…いや、武。そこはヒジが正解だから。二人とも自由かっ」
不思議な遊びだったが、それはそれで面白いらしく3人ともケラケラと笑う。
隼人も武も園では元気いっぱいだけれど、綱吉と一緒だとはしゃぎっぷりが違うようにハルには見えた。それだけ二人とも綱吉のことが大好きなのだろう。
いつもは大人顔負けに口が達者な隼人も、園のみんなの中心になって引っ張ってくれる武も、綱吉の前では幼気な子供になる。それがハルにとって何より嬉しい。無邪気な子供たちと綱吉の姿を眺めていると心がほっこり温かくなって幸せな気持ちが広がった。
二人をまとめて抱え上げた綱吉が、今度は子供たちに問いかけた。
「じゃあ二人とも。“みりん”って10回言って」
「みりんみりんみりん…」
「鼻が長い動物は?」
「「キリン!」」
「ぶー。ゾウでしたー」
武も隼人も手を叩きながらキャッキャと歓声を上げる。綱吉もまた幼い彼らと遊ぶのは楽しいらしく、本当の親子みたいに仲睦まじい。
ハルもなにか出題してくれと子供たちにせがまれて、皆の楽しい時間が過ぎていった。


「あのー、ツナさん?…聞いてもいいですか」
子供たちが寝静まった後、二人きりになった部屋でハルはずっと心に引っかかっていたことを切り出した。
「――隼人くんのお母さんのことなんですけど」
先日の話を切り出そうか迷った。
あの時に出会った女性はもしかしたら、隼人の母親なんじゃないかと考えたから。
最近はハーフの子供も珍しくはない。かと言って、訳あり風のあの美女が隼人の関係者かどうかも定かではない。下手に話して余計な心配を彼に掛けたくはなくて。
ハルの質問に綱吉は少し目を見開き、すぐに細めた。
「そういえば二人のことを話したことなかったね。隼人の母親はピアニストだったんだって。俺も実際にはお会いしたことないんだけど、生まれつき病気がちだったらしくてね。写真で見たことがあってさ、隼人に似て綺麗な銀髪の人だったよ」
――銀髪。あの女性とは外見が違う。彼女は真っ赤な髪色だった。
ハルの直感は間違いだったらしい。彼女は別の誰かを探していたのだろうか。彼女の寂しそうな瞳はハルの心に焼き付いて離れない。なにか深い事情がありそうで。
ハルがぼんやりそんなことを考えていたら、綱吉は話を続けた。
「武の母親も生まれてすぐ亡くなったみたい。詳しくは知らないんだけどね。俺は二人の父親と知り合いだったから」
「そうなんですか。…すいません、変なこと聞いちゃって」
「ううん。普通は両親がよく分からない子供なんて怪しむと思うし。色々と事情があって、あんまり人には言えないんだ。――ごめんな」
彼らの父親とどういう関係なのか、その父親たちは今どうしてるのか。どうして血縁者でもない綱吉が引き取っているのか。
ハルの中で疑問は次々に浮かび上がるけれど、綱吉が言いづらそうにしているのにそれ以上は訊ねられなかった。
――ただ、彼が隼人と武を本当に大切にしていることは分かる。今日だってそうだ。
義理や人情だけであんな幸せそうな表情を浮かべることはないだろう。
軽い気持ちで子育てができるほど子供を預かることが甘くはないと、保育に携わる人間ならば分かるから。
それだけの覚悟が彼の中にある。
ならば今、あれこれ詮索したところで綱吉は子供たちのために絶対に口を割らないとハルは思った。
いつか、彼自身のことも含めて。時がきたら話してくれると信じてるから。
綱吉はハルを自分の胸へそっと引き寄せた。
「大切なんだ。あの子たちも、ハルのことも」
「はい」
「――俺を信じて」
ハルの肩をぎゅっと抱く指の力強さが、切なく胸に迫る。
綱吉の言葉に、ハルは少しだけ彼の片鱗が見えた気がした。恐らく彼は何も問い詰めようとしないハルに気づいていて、その状況に甘えている。「信じて」と言った綱吉には、ハルに対する後ろめたさと不安が付きまとっているのだろう。
確かに彼は秘密が多い。
実家や住んでる場所は分かるけれど、毎日仕事が相当忙しそうだが何の職業かすらハルは知らない。付き合ってみるといよいよ謎が深まっていく一方だった。
ハルはそれでもいいんです。真っ直ぐな貴方を好きになったんですから。
上手く嘘をつけなくてだんまりになってしまう不器用さや、子供たちと過ごすときの幸せそうな笑顔、一生懸命子供たちと向き合い姿を見ていれば、誰かを陥れるようなマネができるヒトでは絶対にない。心根の優しい純朴な青年だ。
「信じてます。――大好きです、ツナさん」
この人に掛けると決めたのは自分。ならば、信じて待つしかない。
糸のように細く流れる微かな不安は、瞼と共に心の奥へと閉じこめた。



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