短編集

□君を思って
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「お…終わらない…」


目の前にある書類の束。これを終わらせないと明日が大変な事になる。今日中に終わらせなければならない。…のに、終わる気配が全く無いのは何故だろう。
右肩にぽんと手が乗っかりその人物を見上げると課長のローさんが不敵な笑みを浮かべている。


「残業…だな」


性格の悪いローさんは明らかにこの状況を楽しんでいる。


「(そもそも休んだ後輩の分をやってたのが原因なんだ…!)あの…手伝ってもらう訳には…」

「却下だ、頑張れよ先輩。おれは先に帰る」

(!終わらない理由分かってるんじゃないか)


ローさんは宣言通り本当に帰ってしまった。他の人も帰った後なので職場に居るのはあたしだけ。


(こわ…く、ない…!怖くないもん!これ終わらせなきゃいけないんだから)


自分に言い聞かせて机に向かう。奥の席は真っ暗だけど見ないフリ。かさかさ鳴ってるけど気のせい。





陽が傾いてきて窓から差し込んでいた光は何処へやら。今は机上のライトだけが頼り。
さっきまでの強がりも、暗闇の中一人作業を続けていれば恐怖心が煽られる。

ペンを指先でくるくる回して溜め息を一つ。


「……………待っててくれてもいいのに…」










「終わったー…!」


残業を始めて早四時間、時計の針は午後十時を指していた。さっきまで微かに聞こえていた雑音も今は綺麗に消えている。


「これは…明日やろう。明日出来る事は明日にしよ」


提出書類を持って立ち上がるとふと目に入ってきたのは、ローさんの机上にちょこんと座っている小さなぬいぐるみ。
ベポと言うキャラクターで、ローさんはそれが甚くお気に入りらしい。


(ふふ、見た目に合ってないよローさん)


職場を出て事務所へ向かう。最後に職場を離れる人は事務所へ職場の鍵を戻すのがルールだ。





(あれ?電気がついてる)


意外な事に事務所の電気はついていた。誰かが残っている証拠。こんな時間まで大変だな、なんて思いながら事務所の扉をノックした。


「失礼しま…あれ?」


其処に居たのはやはり意外な人で。その人は窓際の席に腰を掛けて缶珈琲を飲んでいた。
扉の近くにあるボックスに鍵を戻してからその人物に近付くと、向こうも気付いてくれたらしく、振り返り様に目があった。


「遅い、何時間やるつもりだったんだ」

「終わり次第帰ろうかと…と言うか、其処で何してるんですか?」

その人、ローさんはあたしが終わるのをずっと待っていてくれたみたいですこぶる機嫌が悪い。こんなに遅くなるとは思っていなかったみたい。
苛々するくらいなら帰ってても良かったのに…、なんて思いながらも本当は凄く嬉しい。悔しいから言ってあげないけど。


「……帰る」


すっと立ち上がってあたしの横を通り過ぎていく。


「あ、待っ…わっ…!」


とろとろしてたらまたどやされそうで、慌てて後を追い掛けようとしたら固くて温かい物を頬に押し付けられた。
驚いてそれに手を伸ばす。


「これ…」


それは、あたしが最近嵌まっているホットミルクティーの缶。でもこの会社の自販機には無い筈なのに。

もしかしてわざわざ買ってきてくれた…?


「何をにやついてるんだ」

「ふふ…、いいえ。ありがとうございます」





普段は部下たちに恐れられる程厳しいくせに、ベポが好きな可愛い一面もある。

知ってるんだから。
…あたしには他のみんなより少しだけ甘いって事も、ね?





end
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