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□触れたのは
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【触れたのは】


あなたは今頃、寒く冷たい土の下で眠っているのでしょう。
私は未だに、固く閉ざされたあなたの目を覚えています。周りの人間に、あなたの死を伝えてまわっています。そうでもしないと、あなたの死が、私の中で現実にならないからです。そうして周りから固めていかなければ、私はあなたの見知らぬ世界で過ごすことになってしまうからです。
そんなのは嫌だ。私はあなたの生きていた世界で、あなたの知っている世界で、あなたの体のある世界で、生きていたい。これからもずっと。あなたのように、寒く冷たい土の下で眠るまで、ずっと。

あなたの死をこうして形にするのは恐ろしく、悲しく、痛いです。拭っても拭っても、涙は止まりません。周りには大丈夫だと言って笑っていますので、迷惑はかけていません。多分、ですけれど。でも、大丈夫なはずは無いのです。忙しいからなんですか。あなたを忘れられるのですか。私には無理です。あなたはずっと私の中で生きています。家族を超越して、私はあなたを愛おしいと思っていたから。

本当は今すぐにでも掘り返して、形のないあなたを抱きしめたいです。でも、そんなこと、できないでしょう。してはならないでしょう。あなたの安眠を妨害するだなんて、許されないことです。


去年の春、野良だったあなたが私の元へとやってきました。まだ体も細く、小さかったあなたは、私や、私の家族に必死になって頭を擦り付け、媚を売った。それは本能だったのでしょう。それでも、私はそんなあなたが愛おしくて、愛おしくて、堪らなかったのです。

覚えていますか。あなたは私の携帯ストラップが好きだったことを。いつもいつも私の携帯ストラップを見つければ、すぐにじゃれついてきていたことを。やめてよって言って、私はそれを隠したけれど、本当は無邪気なあなたが可愛くて仕方がなかったのです。伝えたかった。だからあなたの真似をして、甘えた声でニャーオと鳴いてみたのに、何も通じなかったのです。私の喉は、上手く動かず、あなたに心を伝えられません。それが悲しくて、寂しかったのです。
覚えていますか。あなたはいつも私の姿を見ると、キャットタワーに登って、爪を立てて何度も鳴きました。私はそれが可愛らしくて、何度も頭を撫でました。
覚えていますか。私がガラスをつっつけば、あなたは逆方向から、ガラス越しに私の指にじゃれついたことを。母はガラスが悪くなるからやめてと言っていたけれど。だから私は母に隠れて遊びました。あなたと一緒に。

今日の朝、今日家に帰ってきたとき、私は無意識に、玄関の下駄箱の頭をたたきました。いつもそうすれば、あなたがやってきてくれたからです。そうしてあなたは私の手に頭を擦り付け、「行かないで」と言うように、「お帰り」と言うように、甘えてくれました。

覚えて、いますか。

私は覚えています。何もかも忘れません。涙が止まりません。愛しています。あなたをずっと、死ぬまでずっと。


なのに、あなたの温もりだけが思い出せません。

あなたの死を、最初に見たのは私でした。けれどそれは、あなたの死後、およそ3時間後くらいだったと思うのです。だってあなたはもう、硬くなっていたから。


その3時間前、私はスカイプなんかで、友人と楽しく会話をしていたのです。あなたが苦しみ、冷たくなる、その瞬間を見逃して。日常を楽しんでいたのです。


私はあなたを愛していると言うのに、私は、あなたが、あなたが死ぬその瞬間、あなたのそばにいなかった。その温もりを、最期のそれを手に取ることも、できなかった。


気付いた時には全て遅く、もうあなたはいない。その愛らしい声を耳にすることも、黒い美しい毛並みを撫でることも、まん丸の目を見つめ返すことも、暖かく柔らかな体を抱きしめることも、できない。なにも、もう、何も。何も、出来ません。


泣いたら悲しいから、悲しくなるから、泣かなかったのに、あなたを想うと、呼吸も上手くできない。苦しくて、胸が痛くて、私は咽び泣くのです。


あなたの最期に立ち会えなかったのに、あなたの温度も思い出せないのに、そんな私は、あなたを愛していると叫びます。何度も。

こんな私を、許してくれるでしょうか。私があなたを愛しているという事実は、伝わるでしょうか。


ニャーオ



伝わるで、しょう、か。



私が覚えているあなたの体温は、低く、硬くなった、体が、体が……


硬く冷たい体が、あなたの記憶を根こそぎ奪います。あなたのお墓の前に、立てません。私はきっと、掘り起こしてしまう。かき抱いてしまう。この胸に。あなたの骨を。



触れたのは、冷たい、温度。


冷たい、体。







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