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□しあわせをさがして
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【しあわせをさがして】


 茹だるような暑さの中、あなたに隠れて、私は校舎の影。蝉の鳴き声と私の顎を伝う汗が流れ続けている。雨は降らないらしい。なんだ、天気予報の嘘つき。
「好きなんだ」
 重くないけれど軽くもない、ただただ優しい低音だと思った。じっくりとこんな風に好きだなんて言われたら、きっとこれから先ずっと、その人の傍にいたいと思ってしまうくらい。でも、その言葉は私の胸にずしんと重く響く。軽くなくて重い。元々そこに存在していたかのように響いた優しい音は、私の心を潰してしまいそうなほどに重くて苦しい言葉を紡ぐ。
「……っ私も」
 あぁ、どうしてこうも、上手くいかないのだろう。
 今日のテスト、学年一位だった。体育の授業ではバスケをやったけど、いつも通り、私は得点王。友達は多い。女子も男子も、仲良しだ。これだけ恵まれているのに、あなたにだけは恵まれない。鳴き続ける蝉を、少しだけ憎らしいと思った。あんな風に、生きる為だけに叫べたらいいのに。零れそうになる涙をぐっとこらえても、なんにも変らず、あなたは泣きながら、私ではない人の胸に縋りついているだけで。
二人のしあわせを壊さないようにそっと溜息をついた。



「ねぇ、二組の水川(みながわ)君さ、彼女出来たんだって」
 明後日は終業式だ。もうすぐ夏休みに突入する。高校二年の夏、誰とどんなふうにして遊ぼうか。ぼんやりと窓の外を眺める。知らない鳥がぐるぐると空を回っていた。
「聞いてるの? 沙弓(さゆ)!」
「うん」
 生返事。空から目をそっと外して、教室内を見渡す。ぐるりと一回転した視線は、空に戻ろうとしたけれど、阻止された。面倒くさそうに友人の真里菜(まりな)を見ると、嬉しそうに笑っている。
「それがさ、彼女って……うちのクラスの、笹川美優(ささがわ みゆう)らしいよ?」
 第一ボタンが苦しい。夏だっていうのに、こんなにぎゅうぎゅうにして。教師は皆クールビズ。羨ましい。私だって、涼しくしたいのに。
「でさぁ、沙弓って、美優と仲いいでしょ?」
「まぁ」
 ぴきっ。視界に罅が入った気がした。返事がどんどん自信をなくす。目が揺れ動いて、ぐるぐると空を優雅に回っていた名も知らぬ鳥は、何処かへと飛び去ってしまった。
「色々聞いてみてよっ。なんて告白されたかとかさっ」
 真里菜はきっと、目をキラキラさせている。見なくても解ってしまうのが非常に嫌だ。だけど、それはどうしたっていつも変わらないこと。真里菜が真里菜でありつづける限り。彼女はいつも、こうして期待通りのままでいてくれる。だから私は、真里菜が好きだと思う。
「ね、沙弓?」
 問いかけを無視して、椅子から立ち上がった。いつも通りの私でいたい。明るくて、面白い。友達が沢山いて、勉強もスポーツもできる、女子高生。屋上の扉は施錠されていない。私が入学する直前に、常時解錠状態にしておくことにしたそうだ。ラッキーだと思う。だってここでは、生の空を見られるのだから。
「……『好きなんだ』」
 自分の声で言えば、こんなにも軽く聞こえるのは何故だろう。目を閉じた。夏の生暖かい風がゆるりと頬を撫でて、さわりと去っていく。チャイムが鳴った。もう教室には戻りたくない。今日はずっとこうして、空を見ていたい。鳥のように自由に、飛び回れたらどんなに心地よいのだろう。人間として生きていることを、こんな風に後悔してみる。無駄なことをやっていないと、必要なことが映えない。こうして生きていく。
「『……私も』」
 あなたと同じように言ってみても、ねぇ。こんなに違って、こんなに空しいのはどうして? 私はあなたを美しいと思っていたし、好きだと思っていた。ずっと一緒にいたいけど、ずっと友達ではいられないと、私がこんな風にあなたを愛していること、あなたは知ってる? 誰にも言えない、溜めこんだ想い。吐き出す場所すらない。それはずっと深くに、こっそりと仕舞われていたのに、逃げ場もなく溜まっていけば、膨らんで膨らんで、破裂するだけ。死ぬまでそうして、あなたへの愛を隠して生きなければいけないの。あなたはこんな風に、私が苦しんでいること、知ってる? 目を開いた。さっきよりもずっと、空がくすんで見えた。




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