Voice story

□優しい花
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私は彼の声が大好きだ。
優しくて温かくて、私の体ごと包み込んでくれるような。
悩んでいることがあっても彼の声を聴けばいつだって前に進めた。


彼は声優のお仕事をしている。
私はそんな彼を遠くから好きでいる一ファンだ。

でも、普通のファンではない。
一度だけ会ったことがある、話したことがある。
そして、触れられたことがある・・・ー。








仕事の帰り、バス通勤をしている私はいつものようにバス停のベンチに座ってバスが来るのを待っていた。
その頃の私は仕事に就いたばかりで上京してきたこの地域の土地勘も無く、
1人道に迷うこともしばしばあった。


「早く慣れなきゃな....」


目の前に停まったバスに乗り込む。
残業終わりで少々遅いこの時間帯は比較的空いていて。
安堵しながら空いた席に座ってふぅ と溜息を吐く。

ふと窓を見ると、相も変わらず都会の街の夜は高層ビルや車などの明かりが眩しい。

しばらく眺めてある事に気づく。


(えっ?)


暗くても分かる。
明らかに私の知っている景色では無いことに。


(ま、まさか、バスを乗り間違えた?!)


「す、すみません!降ります!」


認識した瞬間に焦った私は停車ボタンを連打して勢いよく席を立ち、停車したバスから外に飛び出した。
と、出てきたもののここがどこなのかは分からない。






「どうしよう..」


ふらふらとベンチに座る。
どうやって帰ろう。


(あ、そうだ!)

思い出したように携帯を取り出し、時刻表機能で調べてみようと試みるが、
まず都心から離れているここがどこの停留所なのか暗くて確認する事すら出来ない。

とうとう困り果ててしまった。

都内の見知らぬ地域にたった1人。
なんて心細いんだろう。
もうこのまま家にも帰れなくなってしまうのだろうか。


諦めかけていたその時だった。


「大丈夫、ですか?」
「へ..?」


急に優しい温かな声が聞こえてきた。


「君..今にも泣き出しそうな顔をしていたので、つい。」


言われて初めて視界が滲み始めている事に気付く。


「あ....。」
「えっと、何か困ってたら僕で良ければ話聞きます。」


見ず知らずの人に相談するのはどうだろうかと思ったが、今の私にはそんな事を気にしている余裕もなかった。
素直に頼ってみよう、と思った。
これは今考えればだけれど、きっと彼の優しいオーラと心底心配そうに私を見つめる瞳に頼れると感じたからだと思う。


「ここがどこなのか分からないんです。〇〇停留所に行きたいんですが、バスを乗り間違えちゃったみたいで急いで降りてきて..。私..、上京してきたばかりで..もうどうしたら良いか...っ」


不安から震え出し、言葉が途切れ途切れになってしまう。
そんな私に彼は優しく微笑んで。


「そうだったんですか..それは不安ですね。でももう大丈夫!僕が方法を教えますから。
...まず、ここからは ー・・・」


(あぁ・・・ちゃんと、伝わった)


なんて温かい声なのだろう。
聞いているだけでとても安心する。
彼が帰るための手段を教え終わる頃には私の不安は消え、いつの間にか気持ちが落ち着いていた。


「ありがとうございます..!」
「いえいえ!僕も上京したての頃は色々と不慣れな事が多くて不安な思いをしていたので..。貴方の気持ちが分かるだけですよ。」


そう言って眼を細めるものだから
つい私は踏み込みたくなった。


「あの、お名前は...ー」


ポツポツ


タイミング悪く急に降り出してきた雨。
今日の予報は晴れだと朝のTVで見ていた為傘を持ち合わせていなかった。
そこまで酷くはないけれど、何となくこの雨は止みそうにない気がする。
まぁ、これくらいなら停留所に着いたら走って家まで帰れば、、なんてそう思っていたのだが。


「どうぞ。この傘使ってください。」


すっとビニール傘が手渡される。


「え?そんな!貴方のが無くなって...」
「良いんです。僕は家近くなので。あ、これコンビニのなんで全然返すこととか気にしなくていいです!」


なんて優しいのだろう。
東京にいる人でここまでしてくれる人がいるなんて、と
自分の持つ東京のイメージを覆されたと同時に押し寄せる申し訳なさ。
ただただ有り難い..。
また、泣きそうだ。


「ふふっ。そんな顔しないで。」


ふわっと頭に乗せられた手から、柔らかい感触が伝わってくる。
この状況を把握した途端、自分の頬の温度が急激に上昇していくのを感じた。

束の間の心地良い圧からすぐに解放されると、彼は下ろしていたリュックを何処か恥ずかしそうな表情で背負う。


「え、えっと、すみません。き、気をつけて帰って下さいっ」


そして、走り出そうとしてこちらをふと振り返った。


「..あ、僕 花江夏樹っていいます」


じゃあ!と言ったのち、彼は雨の中走り出して東京の街へ遠く消えていった。


「花江..夏樹さん....」


私は彼の姿を見えなくなった後もずっと眺めていた。
いや、正直に言えばその場から動けなかったのだと思う。

触れられたところが、熱い。

まだ熱の残る顔を私は押さえながら、ふわふわと頭が回る感覚にいつまでも囚われていた。








優 し い 花



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