海底散歩と四拍子

□たえまなく過去に押し戻されながら
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敦は味噌汁の匂いで、目を覚ました。
其処には見慣れ始めていた天井が広がっていて。
其のまま何と無しに視線を下して、映ったものに思わず目を見開くと布団から抜け出し後退った。

其処に在ったのは、円卓に並ぶ美味しそうな湯気を浮かべる御飯や味噌汁――所謂、朝食の数々。
そして。





「お早う御座います」



****



「同棲なんて聞いてませんよ!」




探偵社に着いて早々、敦は酷く慌てた様子で太宰に詰め寄った。
敦の少し後ろでは、今朝彼の朝食を作った主…そしてこの混乱の原因である鏡花が控えている。
其れを同じ机の島である早樹は見て、思わず苦笑いを浮かべた。
…話は聞いていたけど、本当に敦くんの部屋に行ったとは。

太宰は敦の必死さとは対照的に平然とした様子で、彼の愛読書である『完全自殺読本』を手に答える。




「部屋が足りなくてねえ」

「しかしその、矢張り同性の方が良いのでは……その、早樹さんとか」

「それは駄目だよ、早樹は私と同棲して愛を育んでいる処だからねえ」

「ええ!」



太宰の一言に、敦は驚きの余り頭が停止したようでピタリと動きが止まった。
そう云えば敦くん知らなかったんだっけ…。
ははは…と小さく笑いを零せば、まるで古びた絡繰(からくり)人形のようにぎごちない動きで敦は東野の方を見る。




「敦くんが来た時点で部屋が空いていなくてね、探偵社全員の陰謀に負けてそうなっちゃったの。あと、決して愛なんて育んでないからね」

「は、はあ…」

「本当に早樹は照れ屋さんだねえ。まあそれは兎も角、同棲の件は彼女は同意してるよ」



太宰がねえ、と敦の斜め後ろに向かって尋ねれば、鏡花は「指示なら」と顔色一つ変えず答えた。
そう言われても納得していない様子の敦を太宰は手で招く。すると何やらこそこそと何か話し始めた。
大方、口八丁で敦くんを納得させようとしているのだろう。彼、純粋だし。
ちらりとその様子を見守っていた東野はそう予想して、書類作成に戻る。暫くすると敦は、「判りました、頑張ります!」と言ってスクッと立ち上がって席へと戻っていった。




「遊ばれてるねえ敦くん…」

「まあ、止めはせんがな」



東野が小さく呟けばそれが聞こえたようで、隣に座って同じく書類作成をしていた国木田が反応をした。




「それより太宰、ポートマフィアの囚われていた件の報告書を出せ。早樹は既に取り掛かっているぞ」

「好い事考えた!国木田君じゃんけんしない?」

「自分で書け」

「早樹ー…」
「しません」



まるで話を振られることを予期していたかのように、早樹は太宰の呼びかけに対して食い気味に否定した。そして太宰の呼びかけなんて無かったかのように、演算機(パソコン)で作業を続ける。

続きを待つ小さな間。
だが、続きなんて当然来る訳もなく。
太宰は態とらしく溜息を吐くと、「本当に早樹は恥ずかしがり屋さんだねえ」なんて零す。

…否、今のは恥ずかしがり屋とは違うような。
敦は二人のやり取りに疑問符を投げ乍ら、苦笑してその様子を見守る。
と、何か思い付いたような様子を見せた太宰が彼女から視線を移し、敦の方を向いた。




「敦君。今日は君に報告書の書き方を教えようと思う」

「こ……この流れでですか?」

「君にも関わる話だよ。ねえ、早樹」



無視を決め込んでいた東野だったが大事な話に戻ったことを理解したようで、作成していた手を止め敦の方を見た。




「敦くんに、懸賞金を懸けた黒幕は誰か…って話」

「判ったんですか!?」

「ポートマフィアの通信記録に依ると」



東野の話を引き受けるように、太宰は通信記録の複製情報(コピーデータ)の入った記録媒体を片手に続ける。




「出資者は組合(ギルド)と呼ばれる北米異能者集団団長だ」

「組合(ギルド)は都市伝説の類だぞ。構成員は政財界や軍閥の要職を担う一方で、裏では膨大な資金力と異能力で幾多の謀を底巧む秘密結社――まるで三文小説の悪玉だ。そんな連中が何故敦を?」

「そこまでは流石に通信記録にはなかったから、本人に訊くしかないだろうけど…」

「まあ、逢うのは難しいだろうねえ…けど、巧く相手の裏をかけば――」



太宰がそこまで言い掛けた所で、まるで巨大な羽音のような騒々しい音が探偵社の頭上を通った。
それとほぼ同時に、谷崎が探偵社の扉を勢いよく開ける。



「大変です!」



その慌てた様子からも、何かが起きていることを予想させた。

探偵社社員たちは急いで、事の状況が判る場所――社屋へと移動する。
前方から見える道路では、巨大なヘリがまるで当たり前のように鎮座していて。
其処から、3人の人物が降り立っているのが見えた。
金髪のどう見ても異国人を思わせるその男は2人よりも前に立ち、にやりとふてぶてしく笑った。




「先手を取られたね」



そんな呟く声がして、東野は静かに隣を見た。
それと同時に、手に温もりを感じて。
視線を落とせば、隣にいた太宰の手が東野の手と重なっていて。

何か云い返そうとして。
でも、重なる手の温もりが何処か必死なように思えて。
東野は握り返すこともないまま、引き離すこともしないまま、只、大きな鳥が羽ばたいているのを見つめた。



****



「ナオミちゃん、其の紅茶、私が持っていくよ」



給湯室でお茶の準備をしていた谷崎ナオミが振り返ると、扉の前で二コリと微笑む東野の姿があった。



「そんな。早樹さんにそんな事はさせられませんわ」

「でもナオミちゃん、ああいう成金っぽい男って結構嫌いでしょ」

「え、どうしてお判りに?」



少しだけ驚いたように目を丸くさせたナオミに、東野は「何となくそんな気がしたから」と苦笑で返した。
暫く悩んだ様子を見せたナオミだったが、軈て何か決めたようにうんと頷く。



「それでは…お願いしますわ」

「うん、任せて」





ナオミから紅茶を引き受けて、東野は社長室の扉を開ける。
既に社長室に通されていた異国の客人は、ソファにどっかりと座っており、二人の側近らしき男女はその後ろに控えていた。
東野は無言で机に紅茶の入ったカップを置くと、異国の男は不思議そうに首を傾げた。




「ほう、珍しいデザインだ。陶磁器は詳しいつもりだったが…どこのブランドかな?ロイヤル・フラン?あるいはエル・ゼルガか」

「隣の下村陶器店です」

「それは失礼…ん?」



男は何か気付いたように、福沢の元へ行こうとしていた東野の腕を勢いよく掴んだ。
驚いた東野は慌てて距離を取ろうとしたが、掴まれた手の力は強く、離れることも出来ないまま動きを止める。




「あの…何か」

「……そうか。君があの『癒しの歌姫(ヒーリング ディーバ)』の妹か」



何処か納得したかのような声を出すと、男は嘗め回すように東野を見つめる。
東野はその男の視線に、彼女にしては珍しく物怖じした。
何か探られているその視線が、酷く不快で。
振り解けないその力が、酷く怖い。





「……我が社員に手を出さないで頂きたいのだが」



暫しの沈黙を、福沢が破る。
其処で漸く男は、「ああ、済まないねえ。そんなつもりはなかったのだが」と云って、笑い乍ら東野の腕を離した。
やっと腕を解放された東野は男に小さく頭を下げると福沢の背後に附く。
それを確認するように見送ってから、男は紅茶を手にし口を開いた。



「フィッツジェラルドだ。北米本国で『組合(ギルド)』という寄合を束ねている。そのほか個人的に3つの複合企業(コングロマリット)と5つのホテル、それに航空会社と鉄道と――」
「フィッツジェラルド殿」



フィッツジェラルドと名乗った男の言葉を遮り、福沢の強い視線が彼に尋ねる。




「貴君は懸賞金でマフィアを唆し我らを襲撃させたとの報が有るが、誠か」

「ああ!あれは過ちだったよ、親友(オールドスポート)。まさかこの国の非合法組織があれほど役立たずとは!」



悪気も見えない笑顔で平然と言って除けると、フィッツジェラルドは「謝罪に良い商談を持ってきた」と机に置いていたアタッシュケースを開いた。
其処に入っていたのは、ケースの隅まで詰まった紙幣。
組合の団長はニヤリと笑って、言った。



「この社を買いたい」

「……」

「勘違いするな。俺はここから見える土地と会社、すべてを買うこともできる。この社屋にも社員にも興味はない。あるのは一つ」

「――真逆」

「そうだ。『異能開業許可証』をよこせ」

「何…」

「…成程」



眼を僅かに見開く福沢の隣で、何か諒解したように東野が小さく呟く。
それに気を止める様子もなく、フィッツジェラルドはペラペラと許可証を必要とする理由を話すが、それを福沢は「断る」と一蹴した。




「命が金で買えぬ様に許可証と替え得る物など存在せぬ。あれは社の魂だ。特務課の期待、許可発行に尽力して頂いた夏目先生の想いが込められて居る。頭に札束の詰まった成金が易々と触れて良い代物では無い」

「『金で購えないものがある』か。貧乏人の決め台詞だな。いくら君が強がっても社員が皆消えてしまっては会社は成り立たない。そうなってから意見を変えても遅いぞ」

「御忠告、心に留めよう。帰し給え」



福沢の言葉にフィッツジェラルドは「また来る」と言って素直に立ち上がる。
其処で話は全て終わったのだと理解した東野は、外にいるだろう人物に向かって「お客様の御帰りでーす」と声を掛けた。すると直ぐに扉が開き、待機していた賢治が見送りの為に現れる。
フィッツジェラルドは社長室を出ようとして、福沢達の方を振り返った。




「明日の朝刊にメッセージを載せる。よく見ておけ親友(オールドスポート)。俺は欲しいものは必ず手に入れる」



其処まで言って、フィッツジェラルドは視線を福沢から彼の背後に立つ人物の方へと向けた。
視線が交わる。
そして、組合の団長は不適に嗤った。




「…君もだ、『癒しの歌姫(ヒーリング ディーバ)』の妹君」

「……」





招かれざる客達が去った社長室に残ったのは、此の部屋の主とその探偵社社員の二人のみで。
僅かばかりの沈黙の後、探偵社社員である彼女はゆっくりと口を開いた。



「あの…先程はありがとうございました」

「ああ…――如何思う」



『何を』とは言わなかったが、彼女は先程の組合(ギルド)の長のことを云っているのだろうと判断し、少しだけ考えるように顎に軽く手を当てた。




「ああ云っている以上、今日中にでも何か行動を起こすでしょう。警戒するに越したことはないかと」

「そうか」



福沢は一瞬沈黙して、東野を揺らぎのない真っ直ぐな眼で見た。



「頼んだぞ」

「承知しました」



東野は其の眼に応えるように丁寧に一礼して、社長室を出て行った。



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