海底散歩と四拍子

□ある探偵社の日常
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「……それで、なんで太宰さんが此処にいるんですか」



東野は一度溜息を吐くと振り返って、我が家かのように寛いでいる太宰を睨み付けた。


人食い虎こと虎になる能力を持っていた少年を無事保護をしたその夜。
非番なのに夜遅くまで付き合わされ、早く帰って休みたい…と東野は内心で思っていた。


…のはずなのに。

何故か、太宰は東野の部屋に上がり込んでいた。
しかも、堂々と。




「それは今日から私も此処で住むことになるからだよ、早樹。敦君に部屋を紹介したら部屋が足りなくなったんだ、仕方ない」




そう、先に出た虎に変身する能力者こと中島敦を保護のため探偵社の社員寮に紹介した…までは良かった。
しかしその結果、部屋が足りなくなってしまったのだ。
探偵社の社員たちはその事実に気付き、話し合う…かと思えば、殆ど暗黙の了解かのように太宰と東野を相部屋とすることに決めたのだ。

それは、東野が反対する暇もないくらい速く、一瞬のことだった。




「…仕方ない、なんてことないでしょう」

「そうかい?」

「だからその……相部屋になるとしても違う組み合わせがあったでしょう。異性で相部屋になる必要もない、というか」

「へー。私のこと、ちゃんと異性として見てくれているのだね」

「ちがっ…!そ、そういう意味じゃなくて!!」



心底嬉しそうにニヤリと笑う太宰に、東野は思わず顔が熱くなるのを感じながら、必死で批判をした。
太宰はそんな彼女を更に楽しそうに眺めながら、まあ…と言葉を続ける。




「心配しなくても、探偵社の皆は私たちが恋人関係なのだと理解しているよ」

「……イマ、ナンテイイマシタ」

「何故片言なんだい?だから、探偵社の皆、私たちが恋人関係だと、理解しているよってば」

「……」

「早樹?」



太宰の呼び掛けに反応がないかと思うと、東野はフラッと体が揺れた。そしてそのまま、勢い良く膝と両手を突いた。
突然のことに太宰が東野の顔を覗き込めば、表情はかなり愕然としている。




「……私、明日から探偵社でどんな顔をしていればいいの」


「そんなに落ち込むようなことかい?」

「だ、だって私たちは…」
「…早樹」




唐突に、太宰が東野の名を呼ぶ。
その声は、先程までとは頓と違っていた…――それは冷たく、まるで無感情で。

あまり聞かないその声色に驚いて手を地面から離し顔を上げれば、いつの間にか此方まで来ていた太宰と目が合う。
太宰は余裕ある笑みを浮かべていた…――しかし、その目は笑ってはいない。




「…正直なところ、私はそろそろ限界なのだよ」

「な、何がですか…?」



太宰の様子に、東野は自身が出した声が緊張していることに気付く。
いつもと違う雰囲気の彼から逃げるように東野は立ち上がろうとするが、その前に太宰に手首を掴まれてしまい、そのまま引っ張られてしまった。
気付けば背後には壁。そして目の前には太宰。

太宰の顔が近くにあることが恥ずかしいのか、東野は直ぐに顔を逸らす。
太宰はその様子を見て、小さく溜息を吐いた。




「まず一つ。今日は何時まで待っても名前で呼んでくれない」

「そ、それは…二人きりの時じゃないと言わないって…」

「だが、今は二人きりだ。それにそれまでも二人きりだった機会はいくらもあった。…まあ一度呼んでくれたが無意識のようだったからね、除外させてもらうよ。
そして二つ目。敦君の手を握ったり頭を撫でたりしていた」

「…え」



太宰に言われて東野は思い返してみる。
そういえばそのようなことをしたような気がする。
…――だが勿論、其処に恋慕の情はない。強いていえば、同情…いや、同調、というべきか。

そして此の男、太宰が東野の想いに気付いていないはずはない。
気付いていて、目の前の男は拗ねているのだ。


其れに気付いた東野は、先程までの緊張は何処へやら。思わず笑みが零れてしまった。




「意外と、嫉妬深いですね。…――治さんって」

「そう。意外と嫉妬深いのだよ、私は」

「それで?どうしたら嫉妬深い治さんは許してくれるの?」

「そうだね…」



太宰は少し考える素振りを見せてから、何か思い付いたかのように少しだけ目を輝かせた。




「歌を歌ってくれたら許してあげよう」

「…私の、ですか?」

「そう。君の歌だ」



東野は太宰の案を聞いて、何故か表情を暗くさせた。
まるで、『歌』に何か悲しい思い出でもあるかのように。




「でも私は…」

「君の歌が良いのだよ」



其処まで言うと太宰は一度止め、東野の耳元で囁く…――其の声色は優しく、酷く甘ったるい。
まるで、東野の心を絡めとるように。





「鈴花(スズカ)さんの歌ではなく…君の歌がね」




太宰の言葉に東野は少しだけ驚いた顔をして彼を見つめる。
しかし直ぐに目線を逸らし、小さく溜息を吐いた。

それだけで、太宰には彼女が次に何を言うかが読めた。だから、彼女から近すぎた距離を少しだけ離すことにした。
一定の距離を取れた東野はもう一度だけ太宰を見る。
少し恨めしそうに。でも少し、悲しそうに。




「……ホント、物好き」




そう小さく漏らし、東野は軽く息を吸った。
そして、歌う。

曲自体は明るい曲調のバラードだ。
彼女が最近聞いた、誰か人気女性歌手の歌だったはずだ。
その声は芯があって……其れでありながら何処か、包み込むような歌声をしていた。
それは雲一つない夜のように澄んでいて。
まるで、月のように柔らかく綺麗な声だ。



太宰は目を閉じたまま、彼女の歌声に耳を傾ける。
その右手はいつの間に繋いだのか、東野の左手を優しく握っていた。
…――まるで、東野が独りじゃないと。そう伝えているかのように。




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