海底散歩と四拍子
□たえまなく過去に押し戻されながら
4ページ/5ページ
次に東野が目を開けた時、其処は先程までいた横断歩道だった。
車の警笛(クラクション)がやけに五月蠅い。
だが其の聞き慣れた音が戻ってきた事実を示しているようで、東野は思わず口元に笑みを浮かべた。
一方、敦は自身の作戦で無事探偵社の皆を救出できた事に安堵の息を吐くと、何か思い出したかのように辺りを見渡す。
目的の人物は直ぐに見つかった。
敦は急いで駆け寄ると、両手を付き項垂れたように座り込む彼女――モンゴメリに話し掛ける。
「あの…若し、何か僕に出来る事が…」
「…っ!」
顔を上げて振り返ったモンゴメリは敦をキッと睨み付けると逃げるように走り去って行ってしまった。
彼女の後ろ姿を見乍ら、敦は居た堪れない思いに駆られた――彼女の眼には、涙が溜まっていたからだ。
「敦くん」
「早樹さん…僕」
「よく頑張ったね。まあ……女の子相手に中々酷い脅し文句だったけど」
「うっ」
「でも、仕掛けてきたのは向こうだからね。此方はあくまで自分達の身を守っただけだよ」
「そうですけど…他に手はなかったのかなって、そう思ってしまって…」
「ないよ」
東野の冷たい言葉に、敦は俯いていた顔を咄嗟に上げて彼女を見た。
東野は笑っている訳でも怒っている訳でもないようだが、只、何処を見る訳でもなく遠くを見ているように敦は思えた。
「あの時敦くんが考え出して起こした行動だもの、あれがあの時の最善策だったの。そして、完璧なんてこの世にはないの。完璧な策なんてないのだから、其れを求めるのは難癖以外の何物でもないの」
「早樹さん…」
「だから…あれで良かったんだよ」
「は、はい…」
「あああっエリスちゃん!」
敦が頷いたと同時に鼓膜が破れそうな程の大きな声がして、二人は真面目な話をしていたというのに盛大に肩透かしを食わせられた気持ちになった。
二人が声のした方を向けば、鴎外の前には少女――金髪の赤いドレスを着た女の子だ――が立っていた。
「大丈夫だったかい何処に行っていたのだい。心配したのだよう、突然居なくなるから」
「急に消えたらリンタロウが心配すると思って、そしたら泣かせたくなった」
「非道いよエリスちゃん!でもかわいいから許す!」
「…許すんだ」
「あ、はは…」
思わず呟いた東野の言葉に、敦は乾いた笑い声しか出てこなかった。
すると突然、敦の背中に誰かが飛び付いてきた。
小さな温もりと匂いに覚えのあった敦は、目線だけ後ろに移す。其処には、彼の思った通りの人物が居た。
「鏡花ちゃん!迎えに来てくれたの?」
「……心配した」
短い言葉だが、だからこその本音だったのだろう。
其れを理解した敦は、「ありがとう」と御礼を云ってにこりと笑った。
鏡花は小さく頷くと、今度は視線を東野の方へと移動させる。
「貴女も…」
「ん?」
「……無事で、良かった」
鏡花の言葉に東野は少しだけ目を丸くさせた。
鏡花が敦に懐いているのは知っていたが、真逆自分にまで気に掛けてくれるとは。
そう思うと目の前の少女が少し可愛く思えて、東野は鏡花に頭に手を乗せ乍ら「うん、ありがとうね」と云って微笑んだ。
「それでは、私達は失礼するよ」
ふと声がした方に3人が振り返る。
エリスとのやり取りを終えていた鴎外が其処にいて、敦は改めて彼の方に向き直った。
「先程は助言(アドヴァイス)有難う御座いました。そう云えばお医者さんなのですか?」
「元医者だよ。今は小さな寄合の仕切屋中年さ。…少年」
「…?」
「どんな困難な戦局でも必ず理論的な最適解は有る。混乱して自棄になりそうな時ほどそれを忘れては不可(いけ)ないよ」
「はい…!」
鴎外はふと何か思い出したように、ああ、と漏らして東野の方へと歩み寄った。
そして耳元まで近付く。
「…改めて勧誘に来るよ。その時までに返事を考えて置いてくれ」
その囁き声は、誘うような低音で其れでいて拒否を許さないような響きを持っていて。
東野は自身の手が小さく震えるのを感じた。
然し、小さく握り拳を造り息を吐くと鴎外を見据えて言った。
「申し訳ありませんが応えは決まっています」
「ほう。それで?」
「……私は武装探偵社(ここ)で出来る事をするだけです。他で出来る事を考える余裕なんてありませんので」
「…それは残念だ」
凛とした口調に、鴎外は一瞬驚いた顔をして、本当に残念と思っているのか判らない苦笑いで返す。
かと思うと、直ぐにマフィアの首領(ボス)に相応しいと云える嘲笑を浮かべた。
「…それでも、また勧誘させて貰うよ。今回直接遇ってみて、更に君の事を気に入ったからね」
「…そう、ですか。変わってますね」
東野の精一杯の皮肉に鴎外は何も返さず只、軽く微笑んでみせた。
そして、東野から少し距離を取り敦と鏡花の方を向くと「ではでは」と言ってエリスを連れて手を振りながら去っていった。
「……早樹さん?」
「うん?」
其の背を睨むように見詰めていた東野の異変を感じたのか、敦が彼女を呼ぶ。
敦に呼ばれ、我に返った東野は彼を見て小さく微笑んだ。
其の様子が逆に敦の懸念を駆り立てた。
「その…何か在りましたか?」
「何も。いつも通り」
「は、はあ…」
明らかに何か隠しているような口調に、敦は重ねて質問しようとした。
然し、その前に自身の腕を掴む力が強くなったのを感じて、ふと敦は其方を向いた。
「鏡花ちゃん?如何したの?」
「鏡花ちゃん…!?」
明らかに、鏡花の様子は異常だった。
当然だ、以前所属していたマフィアの首領(ボス)が先程まで居たのだから。
然し、敦は其のことを知らない。
だから、鏡花が脅え、縋るように座り込んだのを見て、驚いた様子を見せた。
東野も其処で彼女の異変に気付き、直ぐに駆け寄ると、震える鏡花の肩を支え乍ら、密かに呟いた。
「…思ったよりも、事態は大きく動いているという事かな」
…――然し乍ら、彼女も気付いていなかった。
今確実に起こっている事象は、東野自身の過去、そして未来にも関わる重要な出来事となって往くのだという事に。
NEXT… ⇒あとがき