海底散歩と四拍子

□たえまなく過去に押し戻されながら
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「彼らに任せて大丈夫なのかい」



鬼遊(おにごっこ)を続ける仲間を見守っていた東野は不意に、背後から声を掛けられた。
今、この場には東野ともう1人しか居ない。
東野は視線を外さないまま、問いに答えた。




「ええ、大丈夫ですよ。私は、彼『ら』を信じているので」

「そうか其れは残念だなあ」



後ろに居た男が近付いた気配がした。
そして、彼女の耳元で囁く。




「私は君の活躍が見てみたかったんだがね……影猫(ファントムキャット)君」

「……へえ」



男の言葉に、東野は自身が思っていたよりも冷たい声色で応えた。
それが驚きからなのか、それとも焦りからなのか、自分でも判らなかった。




「私のことをご存じとは…流石ポートマフィアの首領(ボス)、森鴎外先生…って処でしょうか」

「おや…私の事を知っていたのかね」



白衣の男…元い、ポートマフィア首領(ボス)である森鴎外は、目を見開き本当に驚いたというような顔をした。
其処で漸く東野は鴎外を一瞥して、「それはまあ」と肩を軽く竦めてみせる。




「影猫(ファントムキャット)に『情報』は必要不可欠な物でしたから」

「流石。我々ポートマフィアから情報を盗むだけのことは有るね」

「……それで、情報を盗んだ私の事を抹消でもしに来たのですか」

「真逆!」



彼はまるで演技かと疑うような感嘆符で一驚すると、直ぐに二コリと笑う。
その見せる笑顔ですら矢張り演技のようで、東野は内心落ち着かなかった。




「今日君に遇ったのは偶然だ。其れに君の事を抹殺する心算は毛頭ないよ…今の処はね」

「……そうですか」

「寧ろ私は君を勧誘したいと思っている位でね」

「勧誘…?」

「ああ」



東野は訝しみ乍ら、釣られるように鴎外の方を向く。
漸くきちんと向き合った東野は、少しだけ後悔した。

何故なら。




「…東野早樹君――ポートマフィアに入る気はないかね」




鴎外は確かに口元に笑みを浮かべていた。
が、その眼は鋭くそして冷たく、東野を絡めとる様に見ていたのだ。
東野は一瞬で恐怖を感じ、そして改めて思い知らされる――この人は、マフィアの首領(ボス)なのだと。

何時割れるか判らない氷の上を歩くような緊張感に、東野は一瞬で口の中が乾くのを感じた。




「…私、暴力とか荒事は苦手ですよ」

「だが、出来ない訳ではないのだろう?そうでなければ、武装探偵社に所属し続けることは難しい筈だ。それに、マフィアというのは暴力だけが仕事だけではない」

「……私は」




何か言い返さなくちゃ。
そう思うが恐怖で思ったように声が出ない。
と、その時大きな物音がして、東野は咄嗟に振り返った。
東野と鴎外が話をしている間に敦が反撃を開始していたようで、丁度アンの猛攻を潜り抜け扉の前に立ち、鍵を刺そうとしていた。
東野は直ぐに異変に気付き、声を上げる。




「敦くん、その鍵を手放して!!」

「え?」



東野の待ったの声に敦が振り返ったその一瞬、鍵が変形し敦を狙ったのだ。
敦は既の処で避けたが其れでも躱しきる事は出来ず、頬を切ってしまう。
それでも攻撃を止めない其れに、敦は思わず手を離してしまった。
床を滑る鍵を拾い乍ら、モンゴメリは楽しそうに声を上げる。




「あらあら大事な鍵なのに」

「鍵でドアを開けたら勝ちじゃないのか!」

「そう、開けられればね。こんな鍵をどう使うのか、私も見当つかないけど」




つまりだ。
敦たちに、最初から勝つ方法はなかったのだ。

その現実に絶望する敦だが、モンゴメリとアンによる追いかけっこは終わらない。
身体的に……何より精神的に、敦に限界が迫っていた。




「……拙い、かな」

「おや、君の信じる少年が逃げようとしているようだけど」



鴎外の言う通り、弱気になってしまった敦は外へと繋がる扉の方へと向かっている処だった。
東野は「…仕方ないね」と小さく溜息を吐くと、其の白い扉の前に立ち塞がるように立った。

当然、突然進行方向に人が現れた事で敦は驚き、急停止しようとする。
でも、虎化してスピードも上がっている状態で急に止まるなんて難しい訳で。

――敦は打つかる覚悟で、思わず目を瞑った。





「……駄目だよ少年、敵はあっちだ」



だが、実際に二人が衝突することはなかった――鴎外が、敦が追いかけっこの際に身体に巻き付けた飾帯(リボン)を引っ張ったからだ。
急に後ろに引っ張られたことにより、敦は背中を床に打ち付けた。

東野も打つかる覚悟で構えていた為、この思いもしない展開に只、開いた口が塞がらず放心状態になっていた。




「この場合(ケエス)での逃亡はお勧めしない……あ、いやその、高が街医者の言葉を信じて貰えるならばだが」



敦の視線に一度前置きをしてから、彼は言葉を続ける。




「彼女の言葉を信じるなら、ドアから逃げれば君は記憶を失う。敵の手管も捕らえられた仲間の危機も忘れ、敵は進撃を続ける――佳い事を教えよう」

「え?」

「戦戯(ゲエム)理論研究では危害を加えて来た敵には、徹底反撃を行うのが論理的最適解とされている。徹底的に叩くのだ」

「でも方法が…」

「…――君も。今逃げるのは得策では無いと伝えたくて、この扉の前に立ったのじゃないのかな?」



鴎外が視線を移せば、敦も釣られて扉の前で未だ呆然としている東野を見た。
東野は其処でやっと自分に話しかけられている事に気付き、ああ、と声を漏らす。




「そ、そうですね…敦くん」

「早樹さん……僕」



敦は其処で、自分が此処で逃げる事が彼女を置いていく事、そして其れは詰まり彼女を裏切る事に気付いた。
気付いた途端、申し訳なさが心の中を押し寄せてきて、敦は項垂れるように俯いた。
東野は敦の方に近付くと、その少し身長の高い頭にポンと手を乗せた。




「云ったでしょ、信じているって」

「で、でも僕は…」

「余計な事を考えなくて良いから。今は、集中するの」



其処で東野は敦の耳元で、何かを吹き込むかのように静かに囁く。




「――君はもう、勝利の為の欠片(ピース)を持っているのだから」

「え、如何いう…」

「敦くん」



東野はゆっくりと離れると、敦に向けて優しく微笑んだ。
でも、その眼は真っ直ぐに。彼へと向けられる。




「君が頼りなの。探偵社の皆を……助けてあげて」




東野の言葉と笑みに、敦は勇気を貰った気がした。
そして逸らせない其の眼に、しっかりと応えないと思った。

敦は立ち上がり無言で頷くと、再び鬼遊(おにごっこ)の舞台へと立戻る。




「お話は終わり?やる気は戻ったかしら?そうでなくちゃ面白くないわ……でも、もう終わりよ」




モンゴメリがそう言った瞬間、地面から巨大な人形の手が現れた。
突然出てきたアンの手に、敦は跳躍する事でギリギリの所を躱した。
然し、其の判断が良くなかった。




「もう一体!?」

「そちらは二人なのだから当然でしょ?」




空中から出現したのはもう一体目の人形だった。
空中で姿勢を変える事なんて出来る訳もなく、敦は易々と人形に捕まってしまった。
抵抗する暇を与えさせないまま、扉から無数の手が伸び、敦を扉の奥へと引きずり込んでいく。
バタン。
無機質な音がして、扉が閉まった。





「はい、おしまーい★」



モンゴメリは大層嬉しそうに、明るい声でそう言う。一任務が終了したと言わんばかりの高揚感が窺えた。




「それで、おじさまとお姉さんはどうなさるの?…あ、お姉さんはこのまま私と来てもらうことになるわね、だってフィッツジェラルドさんが連れて来いって言ってたもの。もちろん抵抗したりその扉から逃げようとしたらアンが捕まえるから抵抗しないでよね。
おじさまは……感謝の印に見逃してあげてもいいわよ、だっておじさまの言葉のおかげで虎の彼に逃げられずにすんだもの。それとも――おじさまがアンに捕まった時の顔を見てみようかしら」

「……試してみるかい」




ペラペラと話していた筈のモンゴメリが鴎外の一言で静かになったことに、東野は思わず息を吞んだ。
少し前に立つ鴎外の表情は読めない。
然し、彼の纏う空気は重く、殺気すら感じられる。
きっと、先程自分を勧誘した時よりもこの空気は冷たい。
そう思うと、この目の前に立つ男の得体の知れない恐ろしさに東野は戦慄した。




「…無理だな。何故なら君は既に敗けている――ドアを見るといい」




鴎外に言われモンゴメリが咄嗟に黒い扉の方を向いた。
ドアが揺らめいたかと思うと、先程確かに閉まった筈の扉が開いていて、何故か沢山の手に捕まりながらも両手両足で枠に掴まる敦の姿があったのだ。

そう、モンゴメリの見落は一つ。
其れは、闘いは始から『二対一』だということだった。
谷崎が捕まりドアが開いたあの瞬間。
彼は自身の異能力『細雪』で、扉の映像を偽装したのだ。
東野は予め気付いており、其れが故に、敦が逃げる事を身体を張ってでも止めようとしたのだ。




「君は……思い違いをしている。僕は強くも人気者でもない。寧ろ生きる事はずっと呪いだった。だから他人を嫉み怨む君の情動(きもち)はよく判る。
本当は君にこの作戦を失敗して欲しくない。居場所を失って欲しくない!
でも――僕は弱くて未熟だから他に方法が思い付かない」



そう言って敦は何か引き寄せるような動きをした。
するとモンゴメリも釣られるように身体が動く。
其処でモンゴメリは漸く、自身に飾帯(リボン)が巻き付かれている事に感付いた――そう、敦が手に引き込まれる直前に結んだのだ。

敦は思いっきり飾帯(リボン)を引っ張ると、抵抗しきれずモンゴメリは彼の腕の中へと捕まる形になる。
其の状態で敦は『異能力を解除して解放しないと奥の屋(へや)に引きずり込む』とモンゴメリに脅しを掛けた。




「自分の創った空間に死ぬまで――否、死んだ後も囚われ続けたいか?」

「あ…あたしは失敗するわけには」

「今から手を離す。決断の時間は扉が一瞬しかないよ」

「だめ、待って……」




モンゴメリの待ったも聞かず……否、敦自身の体力が限界だったのもあったのだろう、体の力が緩み、枠を掴んでいた手を離した。
扉の奥から伸びる手が其の機会を見逃す訳もない。
敦とモンゴメリは手に引き込まれるまま、奥へと引きずり込まれていった。

東野はその光景を確かに見届けて、ゆっくりと目を瞑った。
――其れはまるで、何かに願うかのように。



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