海底散歩と四拍子

□たえまなく過去に押し戻されながら
2ページ/5ページ




――まるで巨大な嵐が来る前触れかのように異国の客人が現れた、翌朝。

探偵社では或る報道(ニュース)が騒ぎの元となっていた。
其れは『7階建ての建物が一夜にして消滅した』というもので、建物にはポートマフィアのフロント企業が入っていたと画面の向こう側で深刻そうな面持で報道記者が話す。
騒ぎは其れだけではない。
見送りの為に出た賢治が消息不明なのだ。

この騒動に国木田は既に捜索を始めていた谷崎に、敦と東野と共に賢治を探すよう指示をした――「敵と接触しても戦わずに逃げろ」と忠告して。





「ナオミ、矢ッ張り社に戻るンだ。危険過ぎる!」



只、彼らにとって予想外だったのは谷崎の妹であるナオミが兄と共に捜索をすると聴かなかったことだ。
現に信号が青になるのを待っている間も谷崎は説得を試みるが、「建物ごと消せるだから何処行っても同じよ」とナオミは全く聞く耳を持とうとしない。




「ねえ敦さん、そうでしょ?」

「え!?そ…それはまあ」

「…いや、探偵社に居る方が幾分かマシだと思うけどね」

「そうだ早樹さんの云う通りだ!其れに敦君、君と違ッて妹には異能力が無い!足を引ッ張る」

「何よ兄様、ナオミの云う事は何でも聞くと云ったじゃない」

「き、昨日のアレはお前が無理矢理――ハッ!」




谷崎は其処まで言うと途端に顔を赤らめ、「何でもありません」と恥ずかしそうに顔を隠した。
反対にナオミは勝ち誇ったように微笑を口元に浮かべる。

…この兄妹は一体何をやっているんだ。
如何しても呆れ顔を隠すことの出来ないまま、東野は小さく肩を竦めた。
ちらりと目を向ければ敦は二人の会話を何ともいえない表情で眺めていて、大方如何反応すれば良いか判らないといった感じなのだろうと東野は密かに推測した。




「ほら、そろそろ青に変わるよ」




話を逸らすように東野が先の信号を指させば、まるで狙ったかのように信号が青へと変わる。
谷崎は先程の気恥ずかしさを隠すように先頭を切って横断歩道を渡り始めると、其の後を追う様に、敦と東野が続く。




「兎に角、危険だから戻るンだ」

「あらあら。何なら昨日の懇願を思」




違和感ある途切れ方に、3人は不審に思って振り返った。
然し、其処に居るはずのナオミの姿はなかった――まるで、初めから居なかったかのように。




「……ナオミ?」

「…ま、真逆」

「敵さん…ね」




東野の冷静な言葉に、谷崎は途端に顔を青くして駆け出した。
当然、焦る谷崎に「谷崎さん、危険です」と背中を追う敦の声が届く訳もなく。敦の隣で「ああもう」と東野が半ば自棄になって溜息を漏らす。
そんな二人の内心とは裏腹に人混みを掻き分けていく谷崎は途中、白衣の男に衝突した。
押されたことでよろめいたその男は、前から勢いよく倒れる形となる。




「だ、大丈夫ですか!」

「敦くん、此処は私が。潤一郎くんを追って」

「判りました!」



的確な指示に敦は頷くと、直ぐに谷崎の後を追った。
其れを見送ってから、東野は男に尋ねる。




「すみません、此方の社員がご迷惑を…大丈夫で」



男の顔を覗き込んだ東野は其処で不意に言葉を止めた。
目の前に居る白衣の男は、完全に初対面だ。
然し乍ら、東野にとって其の男は初めて見た顔ではなかった。

男は固まった表情の東野を見て、不思議そうに首を傾げる。




「うん?如何したのかな」

「あ、いえ……お怪我はありませんか?」

「ああ大丈夫だよ。ありがとう…――それより」




男が何か云い掛けようとしたその時。
世界は歪な程に変化した。




「……なっ」




人形や玩具(おもちゃ)が溢れ、空は不気味な程に赤く染め返る。
まるで御伽噺の世界に、東野は居た。
直ぐに状況を確認しようと辺りを見渡せば、東野以外にも大勢の人が今の状況を理解出来ないといった風に戸惑っている。




「これは…」

「早樹さん!」



不意に名を呼ばれて振り返れば、先程まで谷崎を追っていた筈の敦が此方まで駆け寄って来ていた。




「これは一体…敵の異能力なんでしょうか」

「……まだ何とも。でも」
「皆さんようこそ、アンの部屋へ!」



言葉を遮られるように、奇妙な空間に女の声が響き渡った。
驚いて敦が声がした方を向けば、其処には赤毛の少女が立っていた。その少女は確かに、昨日組合(ギルド)の団長の後ろで控えていた女だと東野は気付く。




「あら嫌だわ、沢山の方たちに見詰められて。あたし初対面の方とお話しするの苦手なの。でも駄目ねちゃんと説明しなくちゃあ、皆さんお困りだわ。だってこんな見知らぬ所に突然連れてこられたんですもの。あたしだったら心臓が飛び跳ねて――」
「ナオミは何処だ」




同じく此の異様な空間に閉じ込められていた谷崎が、少女に向かって尋ねる。
少女は一瞬ハッとしたような表情をしたが直ぐにまた笑顔で「あらご免なさい、その説明が最初よね」と気を取り直した。



「探偵社の皆さんはあちらよ」




そう云って少女が指さした方には、黒く重厚そうな扉があった。
急いで谷崎が扉の窓から覗き込む。
其処には不気味な空間が広がっていた。
暗くまるで谷崎達が居る空間とは真逆の雰囲気の其処にあるのは、沢山の手――それは人形の手のようで。
然し、その手は余りにも大きいのだ。
そして沢山の手はあらゆる人を、掴んでいた――何方が人形なのかと錯覚してしまいそうな、そんな構図だ。
そういった奇矯な風景の手前には、谷崎達が捜して居た賢治とナオミの姿もあった。
谷崎は其れに気付くと、直ぐに扉を開けようとノブを捻る。然し、びくともしない。



 
「鍵なしでは開かないわ。開くのはあっち」



少女が指す方向には、先程の黒い重厚な扉と相反するような、白く小綺麗な扉があった。
今度は敦が窓を覗く。
すると、其処にはつい先刻(さっき)まで彼らが居た通りが見えた。
然し、其の通りを歩く人達に動きはなく、まるで時間が止まったように静止していた。

そこで少女は自身がモンゴメリだと名乗り、此処が彼女の異能力で創った空間であり白いドアから何時でも出られるのだと話す。



「……お仲間を取り返したくなければですけど」

「それで?私たちは如何すれば仲間を帰して貰えるのかしら」

「簡単よ。この部屋のアンと遊んで頂きたいの――いらっしゃい、アン」



東野の言葉にモンゴメリはニヤリと笑い乍ら、其の名を呼ぶ。
彼女の背後に現れたのは、巨大な人形だった。
モンゴメリと同じように赤毛で三つ編みをしていおり、袖の膨らんだフリルのついた白い服を着ている。
只、その造形は余りにも不気味で異形である其れは、一般の人を震え上がらせるには十分だった。




「アンは遊ぶのが大好きなの。すこし甘えん坊だけど可愛いのよ」


モンゴメリはそう説明するが、そんな言葉が異能力と関わることのない人に届く訳もない。
その恐怖から逃げるように、一般の人達は外へと出られる扉に向かって、走りだした。

当然だ、部屋の中の記憶何て彼らには必要ないのだから。




「あらあら…残ったのは4人だけ?」



静寂が部屋に戻ると、残っていたのは探偵社の3人、そして先程谷崎が打(ぶ)つかった白衣の男だけになっていた。
敦は振り返ると、白衣の男に「逃げた方が佳い」と説得する。
然し男は、捜して居る女の子が扉の向こうに居るかも知れないのに逃げたら後悔すると言って首を振った。




「……判りました」

「……」

「…早樹さん?」

「……いや」

「ルールは簡単よ。可愛いアンと追いかけっこをしてタッチされたら皆さんの負け。捕まる前にそのカギでドア開ければ皆さんの勝ちよ。人質をお返しするわ。それで、参加されるのは誰?」



敦と谷崎は一度見合うと、それが決まっていたことかのように互いに頷き合った。
そして二人は振り返ると、東野の方を見た。



「早樹さん」

「…うん?」

「早樹さんは彼の安全を確保して貰ッてもいいですか」

「…判った。御免ね、こんな時に私の異能力は無力だから」




そう言って東野が見せたのは、彼女にしては珍しい弱々しい笑みだった。
敦はその見たことのない表情に少しだけ驚いた顔をして、何か決したように東野の両手を包み込むようにして握る。
突然の敦の行動に東野が目を丸くすれば、敦は柔らかく微笑んだ。




「そんな事ありませんよ!その…僕は早樹さんが居てくれて佳かったと思ってます。なんか早樹さんが居ると、安心出来ますから」

「…ありがとう、敦くん」



敦の言葉を受け入れるように軽く目を閉じた東野は、軈てゆっくりと目を開けるとふわりと微笑んだ。
かと思うと先程までの弱った表情は直ぐに消えて真っ直ぐな視線を敦に送る。




「大丈夫、君なら出来る。私は信じるよ」

「…っ!は、はい!」

「それで参加者は決まったのかしら?」




彼らのやり取りに痺れを切らしたようで、モンゴメリが尋ねた。
再び敦と谷崎はお互いに視線を交わすと、谷崎が「二人同時でも良いのか?」と問う。
するとモンゴメリはまるで気にしないと云った様子で「勿論よくってよ」と快諾した。


谷崎の空間に虚像を映し出す『細雪』が有れば勝てる――。
探偵社の全員がそう、思っていた。

だが、それが甘い考えだったと直ぐに彼らは気付かされることになる。




「準備はよろしくて?レディー…」




モンゴメリが「ゴー!」の合図を掛ける。
もう其の瞬間には、谷崎の背後にアンが出現していた。
疾過ぎるアンの動きに、誰もが反応する事が出来ないまま。




「ひとりめ、捕まえた☆」



モンゴメリの狂ったような笑顔が、彼らを凍り付かせた。



.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ