海底散歩と四拍子

□有頂天探偵社
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「…只今」



自身の玄関先で、ポートマフィア首領直属遊撃隊所属の樋口はボソリと呟いた。
何時もなら妹が出迎えるのだが、丁度出掛けているのか家は真っ暗で静まり返っている。
『君は自分がこの仕事に向いていると思ったことは有るかね?』
ふと、彼女の上司から云われた辛辣な声が樋口の頭の中で再生された。そして、何度もその言葉は繰り返される。
樋口は鞄を投げ出すと、其の場に座り込んで。



「そんなの……有る訳ないでしょ…」



堪えきれない想いを一人、小さく吐露した。
暫くそうしていたが軈てのそのそと立ち上がると自身の部屋に戻り着替えようとして、思い出したように演算機(パソコン)を開いた。
深い理由があった訳ではない。
ただ、今日の昼間に電網(ネット)の掲示板でつい零してしまった相談の書き込みに、誰かから返事がないか、何となく確かめたくなったのだ。





「……あ」




掲示板には一件、返事があった。
こんな相談というより愚痴のような書き込みに返事をしてくれる人がいるなんて…。
樋口は内心少し驚きながら、返事の主を確認する。其処には、『管理人』という文字。




「管理人さんが自ら…?」




確か此処の掲示板の管理人は殆ど書き込みをせず、厭くまで運営中心に活動していた筈だ。
そんな管理人が私の書き込みに自ら返事を返すなんて、何を書いてくれているのだろう…。
期待3割・心配7割、そんな面持で樋口は返事を読む。





『先輩の大怪我というのは大丈夫なのですか?先ず、先輩の怪我が早く治ることを祈っています。
却説(さて)、貴方の悩みを読みました。
私は普段、あまりこういった場で書き込みはしません。私よりも巧い言葉で解決へ導ける人が多くいる事を知っているからです。
それでも今回は、貴方の悩みに返せる言葉があると思い、書き込ませて頂きます。
貴方がどんな内容の仕事をしているかは判りませんが、きっと誰だってその仕事が自分に向いているかどうか悩んでいると思います。私だって、何度も悩みました。やっと慣れてきた今だって、悩むことはあります。でも只、』






樋口はその続きを読んで、小さく息を飲んだ。
そして天井を仰ぎ、ゆっくりと飲み込んだ息を吐き出す。
込み上げた想いを噛み締める様な表情で、一度目を閉じる。





『でも只、これが自分の出来る事なのだと教えてくれた人がいて、私はその言葉を信じています。
人がどう思おうと 私は自分の信じる道を進むだけなのです。
貴方は如何ですか?貴方の信じる道は確かに其処で合っていますか?
若し、その道で合っているのだと思うなら』




ゆっくり目を開くと樋口は顔を上げたまま視線だけを窓へ移した。
其処には、静かに月が夜空に佇んでいた――まるで彼女を見守るように。
漸く顔を下した樋口の頬に、一筋の涙が伝った。





『他人の声なんて気にすることなく、貴方の道を進めば良いのです』




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人がどう思おうと
僕は自分の信じる道を進むだけだ。
(『ガリレオの苦悩』東野圭吾)



2016.10. 花月
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