海底散歩と四拍子

□ヨコハマ ギヤングスタア パラダヰス
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「却説(さて)…と」




探偵社社員を見送って早々に報告書を仕上げた東野は、珈琲のお代わりを貰いひと休憩していた。
薄型端末(ラップトップ)で興味のある演劇を調べ、次の休みで行けないか計画を立てる。
彼女のちょっとした楽しみだ。
丁度観てみたいと思っていた公演が今度の休日でやっていて、つい笑みが零れる。
次の休みの予定はこれで決まりかな。

そんな事を考えながら時計を見ると、思っていたより時間が経っていたようだ。



「そろそろ戻ろうかな」




でないと、国木田さんに怒られそうだし。
生真面目な先輩の顔を思い出し、苦笑いを浮かべながら薄型端末を片付けると会計を済ませ、"うずまき"を後にした。





「…あ、昇降機(エレベーター)が上に上がってる」




探偵社は建築物(ビルヂング)の4階。
つまり、階段か昇降機で上がるしかないわけだ。
だが、昇降機は現在上にいる誰かを乗せて動いている。




「階段使ってもいいけど……どうしようかな」



運動自体は嫌いではないので、4階くらいなら苦にはならない。
それに…何故だろう。
昇降機を待っていると、厭な予感しかしないのだ。





「……よし、階段にし」



よう、と言う前に、チンと昇降機が着いた音が鳴り渡った。
ああ、駄目だ…と本能が告げたのと、昇降機が開くのはほぼ同時だった。




「……あ」

「……え」



昇降機の中に居た人物は、東野を見て目を丸くさせた。
かと思うと、昇降機を出て勢い良く彼女の元まで寄ると、その手を掴み建築物の外へと歩き出した。




「え、は、え…?」

「丁度良かった。これから"うずまき"に向かおうとしていた処だったのだよ」

「え、な、なんですか……太宰さん」



何時もより真面目な声色(トーン)で話す太宰に、戸惑ったように彼を呼ぶ。
すると建築物の外を出た処で、太宰は立ち止まって其処で漸く東野の方を向き其の繋いでいた手を離した。




「どうやら敦君たちが危機的状況にあるらしい」

「敦くんたち…が?」

「詳しくは後で話すよ。兎に角……」



其処で一度止めると衣囊から黒い匣の様なものを取り出し、東野に差し出した。




「此処から、彼等の居場所まで連れて行ってほしい」

「盗聴器……ですか」

「そう。依頼人の衣囊に入れておいたのだよ」

「成程……判りました」




太宰の事だから始めから気付いていて、仕込んだのだろう。
どうやって仕込んだのか…其れは少し気になったが、それよりも。
仲間の危機となら、能力を使うしかない。

東野は太宰から盗聴器を受け取ると、スピーカー部分に手を当て集中する。
スピーカーから受信器の部分へ……そして、電波に乗って送信器へ。
辿り着いた場所が、頭の中で広がった地図に点となって告げる。
それはまるで、優秀な位置情報システムのように。


情報を一気に処理し終えた東野は、息を吐くと太宰の方を見返し大きく頷いた。






「……行きましょう」





***


敦と谷崎兄妹は袋小路の路地で樋口と芥川と名乗るポートマフィアに襲撃を受けていた。
樋口の撃つ銃でナオミが負傷。
その後谷崎が異能力『細雪』で反撃するも、現れた芥川により倒れてしまった。
残された敦は国木田に気を付けろと言われていた要注意人物が現れたことで一瞬怯む様子を見せたが、『社の看板を汚す真似をするな』という国木田の言葉を思い出し勇敢にも芥川に挑んだ。
しかしその挑戦も虚しく、代償に右足を吹き飛ばされてしまう。

その時、敦に変化が起こった。
虎へと姿を変えたのだ…――あの倉庫街で見せた其れと同じ、あの白い虎だった。


白い虎と芥川の扱う羅生門の黒き餓獣。
まさに、二匹の獣が衝突しよう…――とした、そんな時だった。





「はぁーい、そこまでー」




一触即発。
そんな雰囲気で、能天気な声と共に太宰が二人の間に立ち塞がった。
そして彼の能力『人間失格』によって、白虎は元の少年の姿に戻り、餓獣は消え去ってしまった。

太宰の登場に、依頼人であった樋口は大層驚いた表情をした。
そんな彼女に盗聴器のことを話すと、太宰はさっさと帰ろうとする。




「ま……待ちなさい!生きて帰す訳には」

「くくく…止めろ樋口。お前では勝てぬ」

「芥川先輩!でも!」



引き留められ焦った顔をする樋口を無視するように、芥川は太宰に「人虎の首は必ず僕らマフィアが頂く」と宣告した。
太宰は座ったままで芥川の方を向き、そして首を傾げる。




「なんで?」

「簡単な事。その人虎には闇市で七十億の懸賞金が懸かっている」

「へえ!それは景気の良い話だね」

「探偵社には孰れまた伺います。その時素直に七十億を渡すなら善し。渡さぬなら――」
「戦争かい?探偵社と?良いねぇ元気で」



ポンと手を叩いたかと思うと、芥川を見た…――それは、冷たく冷徹な目で。

そして、言い放つ。



「やってみ給えよ—――やれるものなら」




太宰の挑戦的な発言に樋口は、ポートマフィアは横浜の街の暗部そのものであり、たかが十数人の探偵社ごとき三日待たずに事務所ごと消せると反論する。
太宰はその反論に対し、「知ってるよ。その位」と今更だと言わんばかりに頭を掻いた。




「然り。外の誰より貴方はそれを悉知している」



芥川は其処で切ると、太宰を見返した。
そして口を開く。




「――元マフィアの太宰さん」





ポートマフィアの黒き禍狗と呼ばれる男は、彼をもう一度だけ見返すと隣にいた樋口を連れその場を去っていった。
残された太宰はそれを見送ってから、一度息を吐いた。





「却説…。もう彼らはいないよ、出てきたらどうだい?」




誰も居ない筈の場所に話し掛けると、暫くして東野がゆっくりと姿を現した。
ジッと真剣な眼差しを向ける彼女に、太宰は態とらしく大きな溜息を吐いてみせる。




「……私は、国木田君に連絡してその場で待機しておいてくれと頼んだはずだよね?」

「それは此処に着いた時に私に太宰さんが云ったことですね」




二人が目的地であるこの袋小路に辿り着いた時、太宰は詳しい説明をしないまま東野に国木田への連絡と待機の指示を出した。
東野は其れを訊いて、とても不服そうな顔をした。
確かに自分は戦闘向きではない。それでも、置いて行かれるのは納得はいかないと思ったからだ。

でも、太宰は頑なに首を縦に振らなかった。
だから。




「確かに国木田さんへの連絡に関しては了解しましたよ。だから国木田さんには連絡しましたし。
でも、その場に待機することに関しては頷いた心算はありません」

「……君という人は」



珍しく、呆れたような、やれやれと云ったような表情をしている太宰に、東野はけろりとした顔でペロリと舌を出してみせた。
そして、チラリと辺りを見渡し敦や谷崎兄妹を見て残念そうに呟く。




「ま、私の出る幕はなかったみたいですけど」

「そうだねえ。つまり君は、彼と私のやり取りを訊いていたということになるねえ」

「それはそう……あ」



東野は其処で少しだけ、しまったという顔をした。
芥川と太宰の話を聞く…ということはつまり。



「私が元マフィアだということ、聞いたんだね」

「……まあ」

「その割には落ち着いているようだけど」

「そ、そんなことはありませんよ」



太宰の問いかけと視線は何か探られている心地がして、東野は彼から目を逸らした。




「前々から気になってはいたのだよ。早樹、君は私の前職中てに参加したことないね」

「それは……興味なかったからですよ」

「そうだね…――まるで既に私の前職を知っていて、参加する必要がないみたいだったよ」

「っ!?」



鋭い指摘に東野が焦ったように彼の方を向くと、いつの間にか太宰は彼女の目の前に立っていた。
其れは先程芥川に『元ポートマフィア』と言われた時に見せたものと似た表情をしている。

東野と目が合った太宰は彼女の目をしっかり見据えると、まるで凡て見透かしたかのように「そうか…」と漏らした。




「矢張り、そうなんだね」

「……ええ、そうですよ」



太宰に嘘は吐けない事を理解している東野は息を一つ吐いて、あっさりとその事実を認めた。




「私は或る人物がポートマフィアに居た頃の経歴を消している。だのに、君は私の前職を知っていた…――影猫(ファントムキャット)と呼ばれていた頃にでも知ったのかい?」

「また、懐かしい名を……」



東野は心底厭そうな表情を一瞬すると、「まあ、そうですよ」と小さく頷いた。



「でも出会って直ぐは気付いていませんでしたよ。最近です」

「そうなのかい?」

「こんな事で嘘は吐きませんよ。それに、前職知ってたところで、ですよ」



其処で一度止めると漸く、東野は太宰の目を真っ直ぐ見つめ返す。
そして、苦笑いのような笑みを浮かべ肩を竦ませた。




「別に関係ないじゃないですか…――だって、私が逢った時は『武装探偵社の太宰さん』だったし」

「……」



さらりと言ってのけた東野に、太宰は呆気に取られたような顔をした。
あまり見ない表情に「だざ…あ、いや、お、治さん?」と東野が尋ねれば。




「ひゃい!?」




太宰は何も言わないまま東野の腕を引っ張って、彼女を自分の胸の中へと閉じ込めた。




「あ、あの…?」

「ふふふ」

「え、ちょ……太宰さん?」

「えー。なんで今、呼び方を戻したの?」

「……いや、なんとなく。それよりも、早く皆を連れて帰ってあげましょうよ」

「いいじゃないか、国木田君が来るんだし。それまではこうさせておいて欲しいなあ」

「駄目でしょ。敦くんは兎も角、潤一郎くんもナオミちゃんも怪我しているんだから。それに……この状態を国木田さんに見られるのは其の」

「よし、このままでいよう。それで、やって来た国木田君に見せつけることにしよう」

「ちょっ!?」




驚き慌てて離れようと腕の中で藻掻く東野を、太宰は楽しそうに見つめる。
そして、そっと彼女の髪を掻き分けながら耳に優しくキスを落とした。




「本当に可愛いねえ、早樹は」

「ば…っ!」




…――東野が顔を真っ赤にしたのと、国木田が彼らの名前を呼びながら空気を壊すように現れたのは同時だったという。



NEXT… ⇒あとがき
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