海底散歩と四拍子

□ある探偵社の日常
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「納得いかん!」

「まあまあ、国木田さん……」



叫ぶ国木田に、谷崎は弱弱しく言う。

そこは探偵社からほど近い、深夜営業の居酒屋であった。
国木田と谷崎、そして東野は、反省会と慰労を込めて会議後この酒場の暖簾を潜った。半ば自棄混じりの、要するに打ち上げである。




「いやあ、楽しかったねえ」


何故かついてきた太宰が、嬉しそうに日本酒を舐めた。
未成年の谷崎は、酒杯代わりの炭酸飲料をちびちび飲む。
国木田は給仕の女性に次の酒杯を注文をし、卓に向き直った。



「そういえば早樹はどうした」

「お手洗いに行くと云ってましたが…まだ戻ってきませんね」

「もしかしたら何か良い自殺方法でも思いついて験しているのかもしれないね」

「お前じゃないんだ、そんな訳あるか」



と、そこで女性給仕が新たな皿を運んで来た。谷崎は小さく黙礼する。



「今回も――結果から見れば太宰が責任を回避する方策に、まんまと手を貸してしまった形だ。屈辱だ。絶対にぎゃふんと云わせられると思ったのに。もう何でもいいから勝ちたい」

「うふふ、ぎゃふんくらい頼めば何度でも云ってあげるのに。ぎゃふんぎゃふん。――おや、この蓋つきの皿は何の種類だろう。珍しいねえ」



太宰は卓上の皿に手を伸ばしながら言った。



「でも――そういえば太宰さん、当日新人君を連れてくる役をする羽目になっちゃいましたけど、それを避けなかったのは何故です?」

「ぎゃふんぎゃふんぎゃふん。それはね、国木田君がただ日頃の恨みを晴らすためだけじゃなく、入社試験で私に何か学ばせよう――みたいな意図を持って今回の会議に当たっていた気配を感じたからだよ。少しくらいはその配慮に応じようと思ってね」

「ふん。俺は本当にお前が憎かっただけだ」




国木田は乱暴に言って、表情を隠すように顔をそむけた。
太宰が引き寄せた蓋つきの皿を手に取り、蓋を取りながら、店の奥の方を見て言った。




「はて。そう云えば先刻の女性給仕さん、どこかで見たような――」



太宰が皿の蓋を開く。
同時に、かちりと音がした。



「………ん……?」



蓋の下に、料理はなかった。
あるのは奇妙に入り組んだ機械と粘土状の固体燃料。そこの信管が刺さり、細引(コード)が太宰の握った蓋にまで繋がっている。
蓋の裏に張りついていた紙片がひらりと落ちた。『矢張リ、ワタシダケヲ視テ』。
蓋の縁には、振動感知式の細引が張り巡らされている。




「………あー、これは、あれかな……?蓋をこれ以上動かしたら、ドカン、っていう奴かな……?」



笑顔のまま凍り付いた表情で、同僚のほうに視線を向ける。
が。
いつの間にか、国木田も谷崎もいなくなっていた。事態を察して、脱兎の如く姿を消したのだ。
残されたのは、びくりとも身動きが取れなくなった太宰と、爆弾皿。

太宰は思考し、上を向き、下を向き、己の立場を考え、次に云うべき言葉を考え、それから力ない声でぼそりと言った。



「……ぎゃふん」






***



女給仕は爆弾に悩まされている太宰を見て軽く嘲笑した。
そして厨房から裏口へ向かおうと足を向け……ようとした。




「今晩は、給仕さん。いえ――…本物の爆弾魔さん」





だがそれは叶わなかった。
裏口の扉にもたれ掛かる女がいたからだ。

齢は二十歳くらいにも見えるが、十代だと言わればそう見えるくらいの容姿。
肩下までの黒茶色の髪に、水色の飾結(リボン)で両側を結んでいる。それが余計年不相応に見せるのだろう。


ふわりと微笑めば――爆弾魔には目の前の女が果たして何者か、更に判らなくなる。




「犯人は現場に戻ってくる…なんて良く言うけど、真逆、その日の内に戻ってくるとはね」



少し呆れ気味な口調に関わらず、その笑みを崩すことはない。
まるで、悪戯する子供に向けたかのように。
余裕すら感じられる態度だった。





「どうせ太宰さんのことだから、手八丁口八丁で丸め込んだんでしょうけど。流石に2回目だし、本物の爆弾を用意しちゃったようだし、お巡りさんの処に行ってもらうしかないよね」

「……な」

「まあ、同情だけはしてあげますよ。ある意味では、貴女は太宰さんの被害者だし。でも、だからと言って爆弾は良くなかったかな、だって」



周りの人が、迷惑しちゃうでしょ。



別に太宰の命を狙うことは気にしてないかのように、彼女はあっさりと言ってのけた。
するとこれまで話をただ聞くだけだった爆弾魔が、ヒステリーを起こしたかのように金切り声を上げる。




「あ、貴女!貴女、太宰様の何なのよ!」




女の言葉に漸く余裕の笑みが崩れ、唖然とした様子を見せた。

太宰の何か…って?
そんなもの、私が聞きたい。





「…本当に、何なんでしょうね」

「は?」

「とりあえず……社の後輩で、周りには認められて『しまった』恋人、とでも言っておきますよ」

「巫山戯ないで!!」



そう言ったかと思うと爆弾魔は何時から持っていたのか……恐らく隠し持っていたのだろうが…大きな鋏を片手に突進してきた。




「…全く。私、荒事苦手なんだけどなあ」




向かってくる女に面倒くさそうに呟いて、軽く頭を掻いた。
もう爆弾魔は止まるつもりは無い。
…この女さえ黙らせれば!





「……ぁ」




次の瞬間には、世界が逆さまにひっくり返っていた。
爆弾魔は何が起こったのか判らず、ぼんやりと天井を見ていると視界に先程の女性が現れた。
持っていたはずの鋏を手で弄び、微笑んだまま爆弾魔のことを見下ろす。




「確かに荒事は苦手ですよ……出来ないわけではないですけどね」



つまり、だ。
爆弾魔の突進する勢いを上手く活かしたまま、そのまま投げ飛ばした…という訳だろう。
気になるのはその技をどこで覚えたのか…ということだが、それを教える心算は当然彼女にない訳で。
爆弾魔の両腕を取って後ろに組ませ、いつの間にか手にしていた飾結でその腕を結んだ。




「却説。軍警が来るまで大人しくしてもらいたいので、失礼だけどこのままで暫しお待ち下さいね」



丁寧にそう言うと、ひらりとスカートを翻しながら少し賑やかな客席の方へと歩き出す。
…かと思えば、何か思い出したように立ち止って床に転がっている爆弾魔に目を向けた。




「……あ、あとで飾結、返してね。それ、大切な物なのだから」

「ま、待ちなさいよ…貴方、本当に何者なのよ…」



今度こそ立ち去ろうとしていた処を呼び止められ、女は振り返った。
そして、にこりと笑ってみせた。




「…――武装探偵社が調査員、東野早樹ですよ。以後、お見知りおきを」






東野が客席へと戻ってくると、未だ蓋つき爆弾で手間取っている太宰の姿があった。
態と靴音を立てて太宰の前へと現れると、彼は東野の存在に目を丸くした。




「早樹」

「…何やってるんですか」

「いやー見ての通りだよ」



苦笑のような、でも楽しそうな、何とも言えない笑みで太宰が答えれば、東野は少し大袈裟に溜息を吐いてみせる。




「日頃の行いのツケですね。自業自得です」

「うん、そうだね。反省した」

「へえ」

「……納得してないね?」

「だって反省してないでしょ」

「うん」



太宰があっさり頷けば、東野は更に大きく嘆息を漏らした。
そして出口の方へと足を進めようとする。




「もういっそのことそれ持って誰も巻き込まないような場所で自爆して下さい。では」

「ええ、早樹ー」

「……まったく」



縋るような声で呼ばれ、東野はうんざりした様子で踵を返す。




「…はい」

「え?」

「その蓋動かさないでください、私が持つの代わりますから。太宰さんが持っていたら能力が使えないし」



捲し立てるようにそう言うと、太宰から蓋を慎重に奪う。
漸く蓋から手を離すことが出来た太宰は、自由になった手をブラブラさせながら東野に尋ねる。




「そういえばあの女性はどうしたんだい?」

「この爆弾を贈った素敵なご婦人のことですか?裏口から逃げようとしていた処を引っ繰り返して縛り上げておきましたよ」

「それは……手荒なことをしたねえ」

「荒事は苦手なんですけどねえ。まあ残念ながら心中をしてくれるような女性ではなかったってことですね」

「ああ残念だ。矢張り私には早樹だけということになるのかな」



太宰の言葉に東野はチラリとだけ目を向けると直ぐに視線を爆弾の方へ戻し、そして呟く。



「……私は彼方と心中する心算はありませんよ」

「なんだ、それは残念だ」



クスっと微笑むと太宰は、それで…と質問を重ねる。




「何処から『入る』心算なんだい?確か、こう云った爆弾は起爆装置の回路から電線を直接引いてあるから『入り』辛いと云ってなかったかい?」

「まあ、そうですね。なので…進路(ルート)を確保します」




そう言いながら東野は先程爆弾魔の女から奪った鋏を取り出した。
そして蓋を持つ手を動かさないように気をつけながら、配線を見るために覗き込む。




「爆弾を作る方法は色々ありますが、作った人が同じなら大抵同じ仕組みです。仕組みは偽物の爆弾で調べたので切っても大丈夫な線は大体判ります」

「成る程。つまり切った線から『侵入』する訳だね」

「ま、そういうことです」




説明しながらも東野は切っても問題ない電線に探りを入れる手を止めない。
やがて当りを付けたのか、鋏で切り易くする為に線を少し動かす。



「あれ、そういえば其の鋏はどうしたのだい」

「ああこれは……なんか、落ちてました」

「ふーん…」

「…却説これから切りますけど、言い残したことはありますか?」

「…大丈夫な線を切るのではなかったのかい」

「まあ、大丈夫だと思うけど。念の為です」



茶目っ気ある笑みでそう返すと、太宰が何か返す前に勢いよく鋏で電線の一本を切った。
爆発は……しなかった。
東野はふう、と一度息を吐く。




「第一段階クリアー…って処かな」

「流石だねえ」

「後は…っと」




東野は切れた電線の、爆弾に繋がった方を握ると、意識を集中させる。
電線を通り、起爆装置に辿り着くと指示式(プログラム)を停止するように操作する。


すると、爆弾は東野の操作する通りに動きを止め、静かになった。





「……ふう」

「お疲れ様、早樹」



蓋を下ろしながら安堵したように息を吐けば、太宰が東野の頭を優しく撫でた。
東野は撫でられながらも恨めしそうに、太宰を見上げる。




「これで少しは懲りて下さいよ」

「そうだねえ……これからは爆弾が贈られた時にはまず早樹を呼ぶことにしよう」

「懲りてないじゃないですか。というか、呼ばないでください。爆弾といってもこんな電子式の物でないと私の能力は役に立たないんだから」

「『電気・電波に関わるものを操れる』能力…ねえ」



唐突に自分の能力のことを言われ、それがどうしたとばかりに首を傾げれば、太宰は「何でもないよ」と微笑み返した。




「…まあ、伝送線や差し込み口とかを介さないと使えないのが不便ですけどね。それ自体に触れるだけでは使えなかったりしますし」



不貞腐れたように東野がボヤいたその時、遠くから市警の巡回車が鳴らす警笛が聞こえてきた。恐らく、国木田辺りが通報したのだろう。




「それじゃあ太宰さん。後はお願いしますね」

「ええ?私を置いて行くのかい」

「説明面倒だし。彼方の得意な口八丁で上手く納めておいて下さい」

「まあ仕方ないねえ。だって」



其処で一度区切ると、居酒屋の扉から出て行こうとする東野に太宰はにこりと笑ってみせた。




「愛しい、恋人の為だからね」


「…――そんな戯言言ってるから爆弾なんて仕掛けられるんですよ」



一瞬……本当に一瞬だけ、東野は虚を突かれたような顔をした。
しかし直ぐに苦笑して皮肉を返した。
そして今度は振り返ることなく、居酒屋を後にしたのだった。




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