海底散歩と四拍子

□ある探偵社の日常
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後で谷崎に密かに聞いた話なのだが、太宰は社長に敦の探偵社入りの話を既にしたらしく、その入社試験までは許可はとれたそうだ。
しかしながら、入社試験の内容はまだ決まっていない。

だから、前の宣言へと話が戻るというわけだ。


ということで、探偵社会議室にて。
その入社試験をめぐる議論を始めてもう何時間経ったか。

入社試験をめぐる議論は白熱の一途をたどっていた。
全員がより正しくより健やかな探偵社の新人を選出すべく、一致団結して議論に熱を入れた――訳ではなく、単に全員の個性が特殊すぎ、「ほどほど」の案が全く出なかったためである。




「……はあ」



この探偵社社員の中でマトモな部類に入る谷崎、そして東野は互いに見合った。そして東野は呆れたように溜息を吐いた。

半ば判っていたことだったが、この油断ならない探偵社の面々を揃えて意見をひとつに纏めるということがいかに困難を極めるか。その意見をひとつの落としどころに結実するということがいかにふわふわと手応えのない作業か。砂場で城を作っているほうがまだ建設的というものだ。




「溜息吐いているねえ、早樹」




東野の様子に気付いたのか、太宰が何故か楽しそうに笑う。




「まあこれだけ混沌とした状態になれば溜息ひとつも出るってものでしょ」

「ええ?それじゃあ、早樹の案を聞かせてよ。少しはこのカオス状態を何とか出来るかもしれないじゃないか」

「…自分でこの状態を何とかしたいと思っているわけじゃないのですけどね」



そう返してはみるが一応考えてみることにする。
案を考える時に一番楽に案を思いつく方法といえば自分がどうだったか、思い返す事だろう。
東野も同様で、自分の入社試験を思い返してみる。




「……」

「早樹、どうしたんだい?」

「……いえ、そういえば私、入社試験した記憶がなくて」




一瞬の沈黙。だが直ぐ。
太宰は持っていたペンを落としそうになり、
国木田は開いた口が塞がらず、
与謝野は目をパチクリさせ、
谷崎は信じられないといった風に愕然となった。
只、宮沢だけが状況を理解していないようで一人のほほんとしているのだが。




「……あれ、私、本当に入社試験、してますか?」



周りの反応に不安になった東野の言葉に、やっと我に返った国木田が「そうだな」と落ちかけていた眼鏡をくいっと上げて答える。




「早樹、心配しなくても入社試験はしてる…はずだ」

「そうですか?心当たりがないのですが」

「まあ早樹の入社試験は少し特殊だったからねえ」

「んーそもそも何時から探偵社の社員になっていたのかさえ、私、曖昧ですからねえ…」

「そうなンですか?」



谷崎はサラリと言った東野の一言に心底驚いた。
探偵社の社員にいつの間にかなっていた…なんていうこと、あるのだろうか。



「この際、今度の入社試験で改めて正式な探偵社社員として認めるッてのはどうだい?」



思い付いたとでもいうように、与謝野がそう提案する。
東野は、うーんと首を傾げる。




「今更…すぎません?私、此処来て1年半になるんですが」

「そうですよ、与謝野女医(せんせい)。心配しなくても早樹は立派な探偵社の一隅ですよ」

「まあ、それもそうだねェ」



太宰だけではなく与謝野にも探偵社の一員だと認められた感じになり、しかも他の探偵社たちもそれを否定する様子はない。
そんな場の雰囲気に東野はむず痒い気持になった。




「そ、それより試験の内容ですよ!早く決めないと朝を迎えてしまいますよ!」




それが恥ずかしくて、照れ隠しのように東野は話題を切り替えた。
すると国木田が「そうだ」と同意の意を示す。



それからは更に東野と谷崎を悩ます流れになった。
というのも、此処に唯一いなかった乱歩が登場し、場を引っ掻き回すだけ引っ掻き回し出したからだ。
結果、乱歩所望の肉まんを探しに谷崎は会議室を出ていくことになった…――乱歩に、「頑張ってね」とだけ言われながら。




「…早樹」



ふと背後に名を呼ぶ声がして、振り返らずに目線だけを其方に向ける。
其処には国木田が立っているのが分かった。




「少し出る……この場を頼んだ」

「了解です」



前に出た谷崎の後を追うのだろう。
そう当たりを付けた東野は小さく頷き、所要と言って出ていく国木田を見送った。

間もなくして、乱歩も肉まんを求めてどこへともなく去っていった。「まあ適当に頑張ってね」という言葉を残して。
無論、「あの、会議」と引き留められる人間が探偵社にいようはずもない。




「…却説」



乱歩が去って暫くして、太宰は切り替えるようにそう声を上げた。



「国木田君たちが戻ってくる前にあらかた決めてしまうとしようか」

「決めるって云っても…ですねえ」



東野は両肘をテーブルに付けたまま、太宰が書いた白板を見る。
白板には黒い文字で、『依頼解決ノ合否』『社内ニ於ケル厄介事ノ解決』『豊臣秀吉』『八本捥グ』『アルハラ』『太宰ヲギュウギュウ』『○○ヲ××シチャウ』『早樹ハ必要ナ人材デス』『肉饅オイシイデス』と書かれていた。




「…何、この選択肢」



余りにも、無いに等しいではないか。
というか途中から関係ないことしか書いていない。




「この中から…となると、やはり社内の厄介事解決に…なるのでは?」

「まあ、このあたりが妥当ってとこだねェ」



会議室に残った面々はなんとなく毒気の抜かれた顔を見合わせながら頷き合う。
紆余曲折しかなかった議論のあげく、漸く普通の案に落ち着いた。…東野は少しだけ、安堵の息を吐いた。

とは云えこれで会議が解消した訳ではない。
今度は『厄介事の解決』の内容を選ばならないのだ。


…と、其の内容を考えようとしたところで谷崎が戻ってきた。
どうやら国木田とは話が済んだようだ。




「昇降機(エレベーター)の調子が悪いのだよね」

「管理会社に問い合わせましょう」

「手術室の備品が切れかけていてねェ」

「通いの薬屋さんにお願いしときますね!」

「あ、電算筐体(コンピューター)に新しい指示式(プログラム)入れてほしいんですよね。というか、入れたいです」

「早樹、それは社長に了承を貰おうか」

「事務員さんが、昼食時にちょうどいい店屋物が欲しいッて云ってましたが……」

「新人に蕎麦屋でも開店させる心算か?」



ちょうどよい規模の厄介事は中々あるものではない。谷崎からやや遅れて戻ってきた国木田もあわせて、探偵社員たちは頭をつきあわせて考えた。しかし手練の揃う探偵社で、新人の実力を験せるほどの重さを持つ問題の芽は、開花する前に誰かに摘み取られてしまう。
残るは手間ばかりかかって実のない掃除、修理、食事の不満くらいである。




「何だか議論が最初に戻っちまったねェ。何かもうちょっと規模のでかい問題はないもんかね」

「社長がまだ独身なンですが……」

「規模がでかすぎる!」

「まずどう解決しろと云うのよそれ」



一同は頭を悩ませ、互いに顔を見合わせた。
そして結局、「なければ作るしかない」という結論に至った。
事件の偽装。つまり狂言である。
誰かが偽の事件を起こし、その場に偶々居合わせた新人に問題をなすりつけるという形式をとって、新人の実力を験す。それしかない、という空気になった。一同、いい加減考えるのが面倒になってきたためである。
その空気に敢然と立ち向かい異を唱える勇気ある男がいた。

国木田である。



「狂言も結構だが、ここで根本な問題を提示したい。太宰だ」



彼は演説をするかのように言う。太宰の遣り口はきわめて明確だ、と。



「『思いつきは必ず実現する。ただし面倒な部分はさりげなく他人に押しつける』。――違うか太宰」

「バレていましたか。さすがは国木田君」



太宰はにやりと笑って頷く。



「故に、だ。必ずや自分にだけは面倒が掛からぬよう策をめぐらせているはずなのだ。頭だけは回る奴だからな。具体的には、お前は今回は何もせずに入社試験の仕事を人に押しつける心算だろう!」

「ううむ、善い感じに被害者意識が根付いてきたねえ国木田君」

「誰のせいだ!」




つまり、太宰が誰か一人に凡ての作業をおっかせぶるのは納得できない。
そんな国木田の考えはこうだ。



「太宰が貧乏籤を引け――とまでは流石に云わん。だがせめて、公平な選定を要求する」



誰が大変な役を負い、誰が楽をしようが、一切の不正なく誰もが納得できる形の役割選定を。
国木田の言葉に太宰は「成る程」と言って、会議室の面々を見回し谷崎に役割の選び方を一任させた。




「では……」



谷崎は考えるふりをして、心を落ち着かせた。
思ったよりもずっと、話が簡単に進んでいるからだ。



「では、籤なンて如何でしょう」



谷崎は笑顔を作って言った。
それに対し国木田は「それだけでは太宰が不正を行う」と異議を上げ、「じゃあ与謝野女医が今持っている古新聞で籤を作るというのはどうですか、それなら偽装も難しそうだし」と東野が口を挟んだ。
それなら…と、国木田は妥協案として飲み込む。



「じゃあボクが籤を作りましょう」



そう言って、谷崎は新聞の日付部分を折りたたみ始めた。
それを横目に東野は少しだけ安堵する。…思ったよりは順調に事が進んでいる、と。

谷崎が籤を作っている間、することがない他の面々は、『狂言騒動』の具体的な内容について意見を出し合った。
矢張り昔話よろしく、悪漢がお姫様を急襲するというのはどうかな。そこを通りかかった新人が助けて……という筋書きは。待て、悪漢の役は誰がやる。だからそれを籤で決めるンじゃあないか。悪漢の役は僕がやりたいです!面白そうです!否、それじゃあ新人の頭蓋骨が陥没しちまうだろう。妾(アタシ)としちゃそれはそれでオイシイけどねェ。いや待て待て。悪漢は籤でいいとして、問題は救助される姫側だ。姫役は誰がやる?籤とはいっても姫役を務められるのは通常女性のみであって……(沈黙)妾?善いけど、それじゃあ新人の頭蓋骨が唐竹割りになっちまうよ。ですよね……。前門の虎、後門の狼だな。じゃあ早樹さんはどうですか?確かに一番姫役に向いていそうだが。厭ですよ姫って柄じゃないですし。大体、入社試験の時間帯は私依頼が入ってるんで。なに、そうなのか。はっ、判った、国木田君が姫役をすればいいのだ!阿呆か!

東野は籤を作る谷崎を横目に見ながら、長身の国木田が襞飾りのついた純白の衣装を着て「あれーお助けになってー」としなを作る図を想像した。…中々気持ち悪い。なのに、何故だろう、似合う気もする。



そんなしょうもない議論を進めている内に谷崎も籤を作り終えた。
その機会を狙ったように、会議室にナオミがやって来た。
彼は妹に籤を入れる袋がないか尋ねると、ナオミは学生鞄から茶封筒を取り出した。


手筈通りである。


ナオミが用意した茶封筒は仕掛けがしてあり、太宰に引かせたい籤を引かせられるようになっていた。国木田が以前から対太宰の最終兵器としてこつこつ準備していたものだ。


――太宰を騙す。それは国木田が相棒二年目にして打ち出した、一大計画(プロジェクト)だった。



…さ、上手くいくのやら。
谷崎が出来上がった籤を慎重に封筒に入れるのを見ながら、東野は小さく呟く。
そして、にこりと笑いながら挙手した。



「潤一郎くん、私持つよ」

「いいンですか」

「だって私、入社試験に出れないからね。不正もする必要ないし、太宰さんが不正するようなら気付けるでしょ」

「酷いなあ、早樹までそんなことを云うのかい?」



そう言ってはいるが、太宰は楽しそうににこにこ笑っている。説得力も何もない。
東野は太宰を軽く睨み付けてから、谷崎から封筒を受け取った…――勿論、この流れも作戦通りなわけだが。

そして、封筒を太宰の方に向ける。



「はい。一番疑わしき人から引く方が、皆納得するでしょ」

「信用ないなあ。早樹にまで疑われてしまうと、私も流石にショックだよ?」

「…ショックそうに見えないのですが」




それから、国木田、与謝野、賢治と籤を引いていく。
当然、途中ですり替えをしておくことを忘れない。
最後に籤を引くのは、この籤を作った谷崎である。



「早樹さん、髪の飾結(リボン)が解け掛けておりますわ」

「え?あ、いつの間に…」



ナオミに指摘され髪を見ると、髪を結ぶ飾結が緩んでいた。
直そうとして封筒を持っていることに気付き困っていると、ナオミが「お持ちしますわ」と手を出した。
一瞬その動作に戸惑う…――何故ならこの封筒は仕込みありの普通の封筒ではないのだから。しかしながら、ナオミは国木田の協力者だったことを思い出し封筒を素直に渡すことにした。
ナオミはそのまま封筒を谷崎に差し出し、「はいどうぞ、兄様」と籤を引かせた。



飾結を結び直しながら、突如浮かんだ蟠りに首を傾げる。
そしてふと、東野はこの案を聞いた時に過った考えを思い出した。
…――ナオミちゃんが太宰に寝返ったら、失敗する。



「ま…っ!」



何か気付いたように声を上げたが既に谷崎は籤を引いた後で。
勢いよく太宰の方を向けば、薄笑みを浮かべ東野を見ていた――それは、企みに気付いていると言ってるように。




「……はあ」



国木田さん、どうやらこれは失敗のようですよ。
心の中で先輩に失敗の報告をして、もう為るように為れとばかりにもう一度だけ溜息を吐いた。


――…勿論、この後の籤引きの結果は彼女の想像通りとなったことは言うまでもない。



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