海底散歩と四拍子
□ある探偵社の日常
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時刻は夜。
喫茶『うずまき』の奥まった席の狭いテーブルで、谷崎と国木田、そして東野が向かい合って座っていた。
知らぬ者が見れば思わず二度見する妙な光景ではあるが、3人は遅い打ち合わせを行っていたところである。
そんな折、谷崎はふと思い出したように「武装探偵社って、なんで出来たンですかね?」と首を傾げ、先輩社員たちに尋ねた。
だが、東野は勿論、この中で一番の先輩ある国木田でさえ、うっすらとしか知らないのだ。
突然の質問に、「何故そんなことを訊いてきたのか」と国木田が尋ねると、谷崎は、「それがですね」と言いながらほうじ茶を口につける。まだ熱かったらしく、あちち、と舌を出した。
それから言うことには、太宰に訊かれたのだと話す。
『太宰』という言葉(ワード)を聞いた途端に、国木田は顔をひきつらせ、手を掲げて谷崎を制止した。
「最近奴の名前を聞くだけで、心労(ストレス)から下腹部に鈍痛が走るのだ。奴が近くに接近してくる気配だけで、視界が白と黒にちかちか明滅するようになってしまった。天然の接近警報だ。少し落ち着く時間をくれ」
「た、大変ですね⋯⋯。気持ちは判りますけど」
谷崎は昼間の東野と同じような反応をし、いたたまれない顔をした。
「太宰を、あの腐れ風来坊を制御できる人間は探偵社で俺しかおらんからな。否、厳密には誰もおらんのだが⋯⋯俺は社長から直々に奴の管理監督を仰せつかっている。それはすなわち社長からの信頼だ。故にそう簡単に、あいつの手綱役を投げ出す訳には――」
途中まで語って、国木田はふと言葉を切った。天井を見上げ、目をこすりながらいぶかしげに言う。
「む⋯⋯?何だ、急に照明の具合が悪く⋯⋯」
谷崎と東野はつられて照明を見上げた。しかし蛍光灯には何の異常もない。
「それは私の合図さ〜♪」
「うわあああ!」
突如、喫茶店の入口で調子外れに唄う声がし、国木田の椅子ががたがたと騒々しい音を立てた。
入口に立っていたのは、先の話題の人物。太宰だった。
右手には紙袋を提げている。
「いやあ、いつ聞いても国木田君の悲鳴は素敵だねえ。その反応、寿命が縮まっていくのが肉眼で見えるかのようだよ。あ、おばちゃん、いつもの紅茶ね」
店の奥から中年の女性店主が顔を出し、あら太宰ちゃん、今日もいい男だねえと声を掛ける。
太宰はおばちゃんもいい女だよと言いながら手をひらひらと振り、国木田の隣の席に着席した。
狭い席がさらに狭くなった。
「太宰さん⋯あんまり国木田さんを虐めてあげないで下さい、面白いですけど」
「早樹⋯⋯今、面白いといったか」
「いえ、気の所為でしょう」
「⋯⋯まあいい。それより太宰⋯⋯お前、何をしに来た」
「え?それは勿論、国木田君の寿命を軽く縮めに」
言い終わらないうちに、太宰は国木田に首を締められてわしわしと揺すられた。
「お前はっ!どれだけ俺に苦労を掛ければっ!気がっ!俺がっ!どれだけっ!」
「うへははははは」
「ま――まあまあお二人とも。店内ですから」
谷崎は落ち着かない様子で店内を見回した。
しかしここは探偵社の入る建築物(ビルヂング)の1階に入った喫茶店である。
太宰の奇矯っぷりも、国木田の怒鳴り声も、店主どころか客までも慣れきっているのだ。客も店員も、小学生の兄弟喧嘩を微笑ましく見るような温かい目で谷崎たちの席を見ている。
そういった客の温かい視線に谷崎は、あはは、と愛想笑いを浮かべた。笑うしかない。
「まあ潤一郎くんも、その内慣れるよ」
「は、はあ⋯」
そんなものだろうか…。
谷崎は東野を見たが、もうすっかりこの光景に慣れてしまっている先輩は気にする様子もなく目の前にあるほうじ茶を啜っている。流石、この組(コンビ)を補助する名助手(アシスタント)と言うべきなのだろうか。
そんな2人の会話の中でも、国木田はまだ太宰を揺すっており、太宰はまだ楽しそうに揺すられていた。
「お前は自由すぎだ!今日もこんな時間になってから顔を見せおって⋯⋯今日は仕事をサボって何をしていた!どうせまたどこぞで誰かに迷惑を掛けていたのだろう!あとで謝罪と後始末をするのは誰だと思っているのだ!」
「誰、って⋯⋯勿論そんなの決まっ」
「言わせるか!」
国木田が、掴んだ太宰の首を捻った。ぽきっ、と軽やかな音がした。
あ、と東野は声を漏らす。
太宰が幸福そうな顔をした。
「あのう、それがですね」
話が進まないと思ったのか、谷崎が口を挟んだ。
「国木田さんに今お話したのが、ちょうどその話なンです。太宰さんに『武装探偵社ってなんで出来たのか知ってる?』と訊ねられまして」
「何ぃ?」
国木田がうさん臭そうな表情で太宰を見る。
太宰は捻られた首をぽきぽき鳴らして調節しながら、「そうなのだよ」と答えた。
「ちょうど今日の昼間、谷崎君と逢ってねえ」
「どこで」
「立ち飲み屋」
国木田は神経毒がゆっくり回っていく患者のような表情を、じっくり時間を掛けて浮かべた。
「太宰が仕事をサボって立ち飲み屋にいたのは⋯⋯まあ想定の範囲内だから今はいいとしよう」
「いいんですか」
「あとで怒るがな」
東野の指摘に間髪入れず国木田は言ってのける。
「しかし谷崎、お前までそんな処にいたのは何故だ。真逆お前までサボりか?十八歳が仕事をサボって昼から飲酒か?未成年飲酒の悪影響は統計学説によって様々だが、テストステロンと呼ばれる脳ホルモンのぶんぴつにアルコールが影響を及ぼすのは確実とされている。と云うか統計など待たずとも、そんな年から酒ばかり飲んでいると、数年のうちにここにいるワカメ脳みたいになるぞ!」
国木田は力強く横の太宰を指差す。
指差された太宰は、「どうもワカメ脳です」とぺこりと頭を下げた。
「い、いやだから違いますッて。ボクは仕事で行ったンですよ、呼び出しがあって、立ち飲み屋に駆けつけたらそこに太宰さんが――」
「そうなのだよ。その節はどうも」
「何⋯?では谷崎、お前は仕事で行ったのか?太宰のいた立ち飲み屋に?⋯⋯偶然、は考えにくいな。ならば太宰に呼び出されたのか。ツケでも払わされたか、でなければ太宰がまた面倒を起こしてその騒動に――」
そこまで言って、国木田は顔色を青くして腰からくにゃりと曲がった。
「ま、真逆――そうなのか?こいつがまた何かやらかしたのか?」
「すみません国木田さん」
谷崎が申し訳なさそうに目を伏せる。
「潤一郎くんは悪くないって。どうせそこの包帯男が原因でしょ」
「厭だなあ、そんなに大した出来事じゃあないよ。
飲み屋の人たちと仲良く飲んで、話をして、話を聞いて、それで帰った。本当にそれだけだよ。⋯⋯まあその途中に、ちょっと爆弾とかが挟まったけど」
「……」
国木田は上半身をゆらりと揺らして沈黙した。
「⋯⋯国木田さん?」と、不安げに谷崎が訊ねる。
「⋯⋯あ、遂に寿命を迎えてしまいましたか?」と、東野は小首を傾げた。
「一瞬⋯⋯気絶していた」
国木田がかぼそい声で言いながら顔を上げた。
「爆弾⋯⋯だと?おい谷崎、そんなことが打合せの最初に話せ。誰からの爆弾だ?市警の出動は?軍警の爆弾処理部隊は出たのか?爆弾はその後どうした」
「ここにあるよ」
太宰は紙袋をテーブルにどしんと置いた。
「うわあ!」
「ほおー」
国木田が驚いて椅子ごと後ずさった。
反対に、東野が途端目を輝かせて前のめりになった。
「大丈夫、よくできた偽物だったから」
太宰が肩をすくめ、事の経緯を説明しだした。
曰く、昨日馴染みの立ち飲み屋に、太宰宛てに、匿名の差出人からこの爆弾が届いたのだという。
ちょうど包みを解いた時に信管が外れて、少しでも動いたら爆発するかもしれない、って状況になり、市警と、探偵社に連絡が行った。
「でボクが駆けつけた訳です」
「お前は⋯⋯毎回毎回、どうやったらそんな風に高効率に厄介事を吸引できるのだ?あと早樹、お前いつまでその爆弾に興味深々なんだ、いい加減離れろ」
国木田は毒茸を食したかのような苦悶の表情をした。
そして声を掛けられた東野といえば、まだ爆弾に興味深々なようで袋から出して仕組みを嬉々として調べている。
「なるほど、この管からそう繋がっていて⋯」
「早樹さんがこんなに楽しそうなの、初めて見ました⋯」
「機械やそういった類の物を見ると人が変わっちゃうからね、早樹は」
「おい、そんな触って大丈夫なのか」
「いいじゃない、偽物だったんだから」
ちょうどこの機(タイミング)で、太宰の許に注文した紅茶が届いた。太宰は笑顔で受け取り、角砂糖を幾つか放り込んでから啜った。
太宰によると、爆弾は時限装置(タイマー)だけで爆薬の内蔵されていない模造品であり、犯人にも逢い、話をしたとのことだった。
「犯人を捕まえたのか」
「うん。爆弾を開けたら中に『ワタシダケヲ視テ』と書かれた紙片が入っていたよ。私を慕いすぎたさる過激な女性のちょっとアレなアプローチだったとだね。心当たりが何人かいたけど順番に確かめて犯人を特定、しっかりお灸を据えて諦めて貰いました。飲み屋に行くたびに爆弾送られてたら、ろくにお酒も飲めないもの」
国木田は疲れ切った表情で太宰を見つめたあと、「⋯⋯そうか」とだけ言った。
何故こんな奴がモテるのか理解できない、という風な表情だ。
「それでですね、その時一応駆け付けた市警の巡査さんに言われたンですよ。『武装探偵社さんに街を守って頂いているから、我々も安心して仕事ができます』⋯⋯というような意味のことを。でもそれッて変じゃないですか?」
国木田は、「ほう」と言って片方の眉を上げてみせた。
「結構な事ではないか。相手構わず中途半端に甘い顔をするから爆弾脅迫などを受けるのだこの女の敵が!と蹴られても文句は云えん状況だろう。⋯早樹がよく怒らないものだ」
「その当の早樹さんは未だ爆弾を調べてますけど⋯」
「もう充分調べただろうがいい加減話に戻ってこい!」
調べていた爆弾を国木田が取り上げると、東野は不満そうな顔をして渋々と席に戻った。
爆弾を取り上げられてしまったことでやる気を無くしたのか、東野はぼんやりと3人の話を聞き流しながら、目の前にある胡麻揚げ団子を食べ始める。
だから、途中で話題が昨日の虎の少年に移っていることになんて気付いていなかった。
「なら決まりだね」
太宰が立ち上がったところで、漸く東野は我に返った。
顔を上げれば嬉しそうな太宰がいて、思わず『?』が浮かぶ。
「行こう。探偵社の会議室に、皆呼んであるのだよ」
「――何のために」
ここまでの話の内容を理解している国木田が、平坦な声で訊ねた。
「今国木田君が云ったことを、実現させるためだよ」
太宰は注目を集めるように人差し指を立てると、にこやかに言った。
「社長命令だよ。探偵社の新たな星となる新人君の、社員としての適性を試すには、皆の知恵が必要なんだ」
太宰は息を吸い込んだ。そして宣言した。
「第一回、入社試験大選考会だ!」
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