海底散歩と四拍子

□ある探偵社の日常
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「おはようございますー」



翌日。
探偵社の扉を開いた東野が先ず目に入ったのは、椅子に座って退屈そうに新聞を読む此の社の大先輩だった。




「あ、乱歩さん。おはようございます」

「……ん?ああ、早樹かー。おはよう」



東野を見た乱歩は少しだけ不機嫌そうな声を出した。
当然心当たりのない東野は小首を傾げ尋ねる。



「どうかしたのですか?」

「うん?なんでもー。それより早樹の方が何かあったんでしょ」

「え!?」



尋ねるというより肯定の形で問われ、東野は思わず声が裏返ってしまった。
何か…と言われれば、真っ先に昨日の夜の太宰とのやり取りが思い浮かんでしまう。
思い出した記憶を見透かすかのように乱歩は目を細めると、新聞を置いて背伸びをした。




「ふーん…まあ、僕には関係ないけどね」




そう言う乱歩はやはり機嫌が悪そうだ。
…と、何か気付いたように東野が手に持っていた小さな鞄を見つめる。
そこで乱歩の視線に気付いた早樹が鞄を持ち上げてみせた。




「…食べますか?今朝作ったんです」

「食べる!」



勢いよく身を乗り出す乱歩がまるで自分より年下のようで、東野はクスクス笑う。
鞄を開くと其処には、小さな器に入った黄色…というよりは乳白色に近いゲル化した物体。




「牛乳(ミルク)プリンだね」

「はい、なんか作りたくなって」



…とは答えたが、東野にはなんとなく心当たりはあった。
おそらく、昨日見た虎が綺麗な白い毛並みをしていたことがふと頭を過ったからなのだろう。
朝起きてまず、『あ、牛乳プリン作りたい』と思った。
ということで朝食を作る片手間でプリンを作り、そしてそのまま探偵社まで持ってきたわけだ。

プリンを手渡すと、乱歩は興味深そうに其れを上下に眺める。




「一応確認するけどさ、太宰はこれ、食べた?」

「太宰さんですか?いえ。朝食食べたらすぐ出ていってしまったので、食べてないですよ」

「ふーん、じゃあ僕が最初?」

「まあ、そうなりますね」



太宰がどうしたのだろうと思いつつ、東野は使い捨てスプーンを渡す。
乱歩はさっきの不機嫌は何処へやらとても嬉しそうにプリンを頬張り始めた。




「どうです?」



尋ねるが乱歩は何も言わない。
でも食べる手を止めようとしないから、美味しいってことなのだろうと東野は一人理解する。
そんな内に乱歩の手にしていた容器の中身はすっかり空になっていた。



「お粗末様でした」

「うん。あ、そうだ。プリンの御礼に良いこと教えてあげる」

「良いこと?」



東野の言葉に、乱歩は、そう良いこと、と頷く。



「早樹は面倒な事、嫌いでしょ?」

「まあ、嫌いですけど」

「だったら明日の午前中は仕事を入れてもらうよう、社長に頼むといいよ」

「午前中…ですか?」



良く分からないが乱歩がそう言うのならそうした方が良いのだろう。
何せ、目の前の男――江戸川乱歩は此の武装探偵社で随一の頭脳を持つ、探偵の中の探偵なのだから。




「分かりました。後で社長に依頼がないか聞いてみます」



東野が笑顔で返すと、乱歩は、うんと納得したように頷き、プリンが入っていた空の器を東野に押し付けた。



「それじゃあ僕はちょっと出掛けてくるから!」

「はい。事件ですか?」

「いや、駄菓子屋さん行ってくる」

「ああ…いってらっしゃいです」




やはり乱歩さんは乱歩さんだな…。
子供みたいな発言につい苦笑しつつ、東野は其の背を見送るのだった。



***



「これで…良し、と」




早速社長に明日の午前中に解決してほしいという依頼がないか尋ねた東野。
タイミング良く、時間指定で午前中に解決してほしいという案件があったため、それを引き受けることにした。




「これで一体どうなるというのか…」

「早樹」




名前を呼ばれ其方を向くと、今度は生真面目な先輩が彼女の方へ近付いているところだった。




「国木田さん。どうかしましたか?」

「どうかしましたか?じゃない。探したんだぞ、探偵社から出てないって聞いたのに見つからなかったからな」

「ああ、ごめんなさい。社長に用があったもので」

「社長に?…まあ良い」



国木田はふうと安心したように息を吐く。
どうやらサボりと勘違いされていたのだろう。
…太宰だけでなく東野までサボられたら。きっとそんなことを考えていたに違いない。
東野は一人そんな風に推察して軽く苦笑した。




「それで、私に何か用ですか?」

「……これだ」



そう言って国木田が東野の前に差し出したのは、小さな箱だった。
その箱には見覚えのある店名が刻まれていた。




「これ、劇場の近くのケーキ屋さんの?」

「そうだ。謝礼はこれが良いと云っただろう」

「本当に買ってきてくれたんですね!」

「当たり前だ。借りは借り、恩義は恩義だ。礼儀を弁えた返礼を行うのが人のあるべき姿だからな」



国木田は然も当然のことをした、といった顔をする。
礼儀を重んじる彼としては当たり前なのかもしれない。
しかし。




「でも、昨日の今日ですよ?しかも、このお店最低でも1時間は並ぶって…」
「俺はその並ぶ時間も計算して計画を立てている。当然だ」

「…は、はあ」



ま、貰える物は有り難く頂戴しよう。
そう東野は思いつつ国木田から小箱を受け取ると、思わず笑みが零れた。
そこで彼女は思い出したかのように、そういえば、と声を上げる。



「冷蔵庫に私の作った牛乳プリン入ってますんで、良かったらどうぞ」

「本当か?」

「はい、急になんか作りたくなって。沢山作ったのでどうぞ」

「…困ったな。それじゃあ報酬としては不足する」

「…へ?」



国木田の呟きに首を傾げれば、彼は、実はな…ともう一つ箱を取り出した。




「それは?」

「お前が云っていた件のケーキ屋の限定シフォンケーキだ」

「え!それ、午前中には売り切れるってあれですか!!」



それは、昨日ケーキ屋に向かっていた時には確実に売り切れているだろうと諦めていた品物で。
…というか国木田さん、そのケーキを買える時間に並んだって。貴方、どんな計画を立てていたんですか…。
驚き半分、呆れ半分で目の前の彼を見れば、国木田はあくまで何時もの生真面目な顔をしている。




「実は此のケーキを報酬に、早樹に頼みたいことがあってな」

「頼みたいこと?……もしかして、太宰さんのことですか」

「…ああ、そうだ」





成程。
先日、太宰捜索の謝礼として此のケーキ屋さんのケーキを所望したばかりだ。
だから国木田は再び太宰絡みの依頼をするに辺り、同じケーキ屋さんのケーキを謝礼に…とするだけでは彼女は首を縦に振らないと考えたのだろう。
かといって、現在東野が欲しいと言う物が国木田には思いつかない。
それで、限定シフォンケーキ。

寧ろ、謝礼を予め用意するくらいに国木田は必死だということだろう。
そう考えると国木田が少し哀れになり、思わず苦笑いを浮かべた。




「まあ、いいですよ。そのシフォンケーキを謝礼ということでその依頼、聞きます」



そう言って頷いてみせると、国木田は大層驚いた顔で東野を見つめ返した。




「本当か?しかし」

「プリンのことは気にしないで食べてください。作り過ぎたってだけですから。それに限定シフォンケーキと私の作った牛乳プリンじゃ釣り合いませんし」

「…そんなことはないだろう」

「お世辞の言葉は有り難く頂戴しますよ。それで、太宰さんがどうかしましたか?」




お世辞ではないのだが…。
国木田は出かかった言葉を内心でそう留めておく。
時々東野はお菓子や簡単な小料理を作って探偵社にお裾分けをしている。
その凡てが絶品で、探偵社の社員全員が密かな楽しみだったりする。勿論、国木田も言わずもがなであるわけで。
…ちなみに、その事実には東野本人だけが気付いておらず、東野自身はただ料理を作ること自体が趣味なだけなのだが。





「国木田さん?」

「あ、いや…。それで、なのだが」




国木田は気を取り直し、相談の内容を東野に話し始めた。
曰く、昨日保護した虎の少年を探偵社の社員にすると太宰が言っていた辺りから、少しずつ下腹部に鈍痛が走るようになったという。




「それ、病院行った方が良いんじゃないですか」

「…いや違う。奴の所為だ」

「は、はあ…大変ですね」



はっきりと言い切られ、東野は曖昧に同情の言葉を掛けるしか出来ず。
つい苦笑を浮かべると、国木田は心底厭そうな表情で溜息を吐いた。




「彼奴が何か企んでいる時には本能が知らせてくる」

「成程。つまり太宰さんが何か企んでいるようだから、それを阻止したい…と?」

「そうだ。東野の知恵を借りたい」




国木田の申し出に東野は、んー…と納得してないように首を捻った。




「太宰さんに私が知恵で勝てると思わないんだけどな…」

「確かに彼奴は悪知恵が働く。少なからず俺一人では太刀打ち出来ないだろう。だからこそ少しでも助太刀が欲しい。早樹、お前の力が必要なんだ」

「んー」




そこまで言われてしまうと、どうにも断りづらい。
国木田がそこまで必死に頼むと言う事自体、珍しいのだ。
それだけ彼は太宰の計画を阻止したいということなのだろう。

…国木田は普段あれだけ、太宰に振り回されているのだ。偶には国木田の味方をしても良いだろう。
東野は小さく微笑み、頷いた。




「まあ、いいですよ。私に何処まで出来るかは分かりませんが」

「済まない、助かる」



国木田はそう言って、本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
東野はまあ珍しいこともあるものだ…と内心で思いつつ、改めて考えを巡らせる。




「……と、なると他の協力者が欲しい処ですね。いや、この場合は共犯者と謂うべきかな」

「それは心配ない。昨日の内に谷崎兄妹に頼んでおいた」

「谷崎兄妹に?成程…ナオミちゃんなら頭も回るしそこそこ器用ですし……潤一郎くんはその…役に立ちそうですもんね」




ナオミを動かす為に兄が必要…とは言えず、東野は誤魔化すようにそう言い繕った。
国木田は彼女の本心に気付いていたが、無視して話を進める。




「とにかく簡単に説明をしておく。その後谷崎と"うずまき"で合流することになっている」

「了解です。じゃあその概要、聞かせて貰いましょうか」




東野の言葉に頷くと、国木田は今考えている計画の内を話した。
鍵となるのは谷崎兄妹――特にナオミ、となる。
話を聞きながらふと、ナオミが太宰に取り込まればこの計画は失敗するのではと考えた。

まあでも、潤一郎くんを此方に取り込んでいる以上、それはない…か。
そう思い直し、国木田に苦言を呈することは止めておくことにした。


…――まさか東野の考えが中っているとは、この時誰も気付くはずがない。




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