海底散歩と四拍子

□人生万事塞扇が虎
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茶屋を出た頃にはすっかりと日も暮れ、辺りは暗くなっていた。
結局あれだけ嫌がっていた敦も報酬に釣られて虎探しを手伝うことになり、国木田と別れた3人は、倉庫までやって来ていた。

…までは良かった、のだが。





「早樹、どうしてこっちに来てくれないんだい」




倉庫に置かれた荷に腰掛けて本(しかも『完全自殺読本』と云う、何とも悪趣味な本である)を手にしていた太宰は、何とも不服そうに尋ねた。
今、東野は敦が座って居る荷で彼の隣に座って居る。

理由は勿論、非番である自分を呼び出させておいて更には勝手に虎探しに巻き込まさせた太宰への…当て付けだ。


東野は太宰の質問に顔を背けたまま、素っ気なく返す。




「…胸に手を当てて考えてみたら」

「自分の胸に手を当ててもつまらないじゃないか。どうせなら早樹ので…」
「一回黄泉の国まで行って来たらいいわよ、そして完全に逝ってしまう前に引き戻してあげるから」

「それは…酷いね」




そんな二人のやり取りを敦は見ながら、ぼんやりと思う。
…この二人、どういう関係なんだ?




「…あの、本当にここに現れるんですか?」



少し話を逸らしたいのもあり、気になっていたことを敦は尋ねた。
何の変哲もない倉庫。
こんな場所に虎が来るなんて…。



「本当だよ」

「……」

「心配いらない。虎が現れても私たちの敵じゃないよ。こう見えても『武装探偵社』の一隅だ」

「…と云っても私の能力は戦闘向きではないけど」

「問題ない…期待してるよ、早樹」

「…はいはい」



太宰の云う『期待』という言葉を真に受けていないようで、東野はひらひらと手を振りながら軽い調子で返した。




「はは、凄いですね。自信のある人たちは。僕なんか孤児院でもずっと『駄目な奴』って言われてて――そのうえ今日の寝床も明日の食い扶持も知れない身で」

「……」

「こんな奴がどこで野垂れ死んだって。いや、いっそ喰われて死んだほうが――…っ」




言葉が続く前に、膝を抱えていた敦の手に温もりが伝った。
驚いて顔を上げ手を見ると、彼の手に自分ではない別の手を重ねられていて。
そのまま視線を移すと、隣に座って居た東野と目が合った。




「…知ってる?」

「え?」

「自分の手を繋いだって意味はないの、他人(ヒト)の手を繋がることで安心出来るんだって…――自分は独りじゃないって、思えるからかもしれないね」



そう云うと、東野は敦に微笑んだ…――それは優しく、まるで彼を包み込むような暖かさで。
でもその微笑みは何処か、寂しそうに、何かを想起しているかのようで。

敦は何か言おうとして、でも、何も言えなかった。




「……」




そんな様子を太宰は只、静かに見守っていた。やがて小さく息を吐くと、「却説、そろそろかな」と呟いた。

と、その時。
ガタンと何かが倒れるような音が響いた。



そして、再び沈黙。




「今……そこで物音が!」

「そうだね」

「きっと奴ですよ太宰さん!」

「風で何か落ちたんだろう」

「ひ、人食い虎だ。僕を喰いに来たんだ」

「敦くん、落ち着いて…取り敢えず座って」

「早樹の云う通りだ。虎はあんな処からは来ないよ」

「ど、どうして判るんです!」



「そもそも変なんだよ、敦君」



パタン。
太宰の本を閉じる音が、倉庫に響き渡った。




「経営が傾いたからって養護施設が児童を追放するかい?大昔の農村じゃないんだ。
いや、そもそも経営が傾いたんなら一人二人追放したところでどうにもならない。
半分くらい減られて他所の施設に移すのが筋だ」

「太宰さん、何を云って…――」



敦が戸惑ったように尋ねた時、ふと倉庫の窓に目が入った。

其処に映るは、静穏に光輝く満月。



「敦、くん…?」




敦は目の前で突如、苦しみ出した。
何かが彼の身に起きている。
それは、見ても明らかで。

しかし、そんな様子の中でも太宰に驚く様子はない。
淡々と、説明を続ける。


虎の目撃証言と敦自身が居た場所の時期的な一致。
巷間には知られておらずとも異能の者が少なからずいること。
その力で成功する者もいれば、力を制御できず身を滅ぼす者もいること。





「施設の人は虎の正体を知っていたが君には教えなかったのだろう。君だけが解っていなかったのだよ…――君も異能の力を持つ者だ。
現身に飢獣を降ろす月下の能力者」

「ちょっ、太宰さ…」



嫌な予感がして、東野は先程まで座って居た荷を降り太宰のもとへ駆け寄ろうとした。




「早樹」




その瞬間、名前を呼ばれ其方を向けば太宰が東野を見てにこりと笑った。

…――其処を動くな、ってそう、言いたいの?



太宰の云いたいことを理解して動きを止めたのと、虎が太宰に襲い掛かったのはほぼ同時だった。





「太宰さん!」




どうやら間一髪で避けたようで、其の後も太宰は虎の猛攻をのらりくらりと躱していく。

…勿論、彼の太宰のことだから大丈夫。
そう、頭では分かっている。

でも。





「…っ。本当に私って人間は」





自分に悪態を一つ吐き、東野は鞄から銃…――のように見える、発射式の電撃針器(スタンガン)である…――を取り出すと一つ息を吐いた。
そして、電撃針器の弾に強い電流を流す想像(イメージ)をして、虎に銃口を向ける。



「…ごめん、敦くん」



放たれた弾は、市販されている物よりも強い電気を帯びたまま、虎に中った。

一瞬ホッとして安堵して肩を撫で下ろそうとして、東野は気付く。虎の様子に変化がないことに…――まるで、弾が効いていないかのように。

…――あ、これはヤバい。
そう東野が予感したのと、虎は立ち止ったまま顔を東野に向けたのはほぼ同時だった。
どうやら弾が中ったことで、虎の中の標的が変わったようだ。





「早樹!」




太宰の切迫した声がする。
そんな離れた場所ではなかったはずなのに、
東野には遠くで起きたことのように思えた。

凡て、自分のことではないような気がして。



…――嗚呼、懐かしい声がする。





東野は頭に浮かぶまま、口にした。




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