海底散歩と四拍子

□人生万事塞扇が虎
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却説。場所は変わり、とある食事処。
東野はお茶の入った湯呑を持ったまま隣を覗き見る。
其処には沢山の重ねられた食器…――その凡てが敦の積み上げたお茶漬けの残骸なのだが、があった。



「…よく食べるね」



まあ、食べる年頃だといえばそうなのだろう。
そう思い、一人東野は納得することにする。




「全く…貴様という奴は。仕事中に『良い川だね』とか云いながら川に飛び込む奴があるか。お陰で見ろ、非番の東野を呼び出さねばならなくなったし、何より予定が大幅に遅れてしまった」

「彼女のことは構わないよ、私としても呼んで欲しかったからね」

「…なんで?」

「私を残して一人非番というのは納得いかなかったからね。道連れというやつだよ」

「もしかして財布ごと捨てたのって私を呼び出させるた…――」
「それにしても国木田君は予定表が好きだよね」

「……」



今、絶対わざと話を逸らされた。
この状況は此の男の所為なのか…。

思わず項垂れた東野の様子に気付くこともなく、話を振られた国木田は勢いよく予定表と言われた手帳…――『理想』と大きく表紙に書かれた物なのだが、それを机に叩きつけながら声を荒げる。




「これは予定表では無い!理想だ!!我が人生の道標だ。そしてこれには『仕事の相方が自殺嗜癖(マニア)』とは書いていない」

「ぬんむいえおんむんぐむぐ?」

「え、敦く…――」
「五月蠅い。出費計画の頁(ページ)にも『俺の金で小僧が茶漬けをしこたま食う』とは書いていない」

「んぐむぬ?」

「だから仕事だ!俺と太宰は軍警察の依頼で…――」
「いやだから…」



東野は困ったように太宰の方を見る。
どうやら太宰も同じことを考えていたようで、東野の思ったことを、そのまま口にした。




「君達なんで会話できてるの?」

「「ん?」」

「いや、『ん?』じゃないでしょう…」




しばらくして敦の空腹も満たされたのだろう。
その代償と言わんばかりに、彼の目の前には先程よりも増えたお椀の山が出来上がっている。
そして、何より敦自身も「もう茶漬けは十年は見たくない」と満足げな笑みを浮かべていた。



「お前…人の金でこれだけ食っておいてまあ抜け抜けと…」



其れと反対に、この茶漬け代を支払う運命にある国木田は、心底げんなりとした面持ちで積み重ねられた茶碗を見ている。




「国木田さん、ご愁傷様です」

「本当、助かりました。孤児院を出て横浜に来てから食べるものも寝るところもなく……あわや餓死するかと」

「君、施設の出かい」

「出というか…追い出されたのです。経営不振だとか事業縮小だとかで」

「それって何人も追い出されたの?」

「え…?いえ、僕一人ですが」

「…へー」

「早樹」




何かを考え込もうとした東野を、太宰は優しく呼び止める。
顔を上げてみれば、彼は静かに微笑むだけで…――でも、『今は何も言うな』と云われている気がして。東野は開こうとした口を閉ざし、押し黙った。




「そうか…それは薄情な施設もあったものだね」

「おい太宰。俺たちは恵まれぬ小僧に慈悲を垂れる篤志家じゃない。仕事に戻るぞ」

「そういえば軍警察の依頼と言っていましたが…何の仕事を?」

「なァに……探偵だよ」



太宰は、人差し指を立てまるで決めポーズのようにして言った。

その言葉に敦は『探偵…』と反芻しながら目をパチクリさせる。
さらに、国木田からは武装探偵…――曰く、軍や警察に頼れないような危険な依頼を専門にする探偵集団であり社員の多くは異能の力を持つ能力者である、と敦は風の噂で聞いた覚えがあった…――と聞かされた。

だが。




「おお、あんな処に良い鴨居が!」

「立ち寄った茶屋で首吊りの算段をするな」

「違うよ首吊り健康法だよ」

「なんだそれは」

「ええ!国木田君知らないの!?凄く肩凝りに効くのに!」

「なに、そんな健康法があるのか」

「ほら、メモメモ」



国木田は太宰に勧められるまま、手帳を取り出しメモを始める。
そんな様子を見つめながら、敦はふと思う。




「こんな二人が本当にあの武装探偵社…って思うよね、普通」

「え!?」



自分の心を読まれた気がして、慌てた様子で隣を見れば東野が片肘をついたまま彼のことを見つめ返していた。




「心配しなくても、一応この人たち、本物だよ。まあ、首吊り健康法は嘘だけど」

「な!?太宰やっぱり嘘ではないか!」

「早樹ー、あっさりバラすだなんて酷いじゃないか」

「おい太宰!聞いているか!相棒は川に流されるわ…」



すっかり怒り心頭の国木田は、太宰の首を掴むと文句を言いながら彼を揺すり出す。
それを苦笑いの表情で見守る、東野。
敦は彼女の方をチラリと見て、そして尋ねた。




「その…貴方も、探偵社の一員なんですよね」

「ん?あ、うん。そうだね。いつの間にか探偵社の人になってたね」

「いつの間、にか…?」

「うん、いつの間にか」



『いつの間にか』探偵に為るものだろうか。
そこでふと、何か思い出したように、敦は国木田たちの方を見て、「その…」と尋ねる。



「今日のお仕事というのは…」

「ああ!?」

「ああ!!すみません余計な事聞いちゃいました!!そ、そうですよね、探偵社の仕事は守秘義務とかありますもんね!!」

「…今日の仕事は別に隠すような類のものではない」

「お、国木田さん冷静になった」

「五月蠅い。…軍の依頼で、虎探しをしている」

「虎…」



『虎』という言葉に敦が反応したことを、隣で東野は見逃さなかった。
国木田に引き継いで太宰が『人食い虎』について説明をしている間、どんどん敦の顔が青ざめていくのが見て取れる。

かと思えば、敦はガタッと物音を立てながら椅子から落ちてしまった。




「敦くん、どうかしたの?」

「ぼ、僕はこ、これで失礼します…さようなら…」



まるで何かを恐れて尻尾を巻いて逃げる動物みたいにそそくさと中島は逃げようとした。
だが直ぐ、国木田が彼の首根っこを掴み「待て小僧」と引き留める。




「貴様、何か知ってるな」

「無理だ!奴に人が敵うわけない!」

「貴様、『人食い虎』を知っているのか」

「あいつは僕を狙ってる!殺されかけたんだ!この辺に出たんなら早く逃げないと…――」




…凡ては一瞬だった。
襟を掴んでいたはずの手を離したかと思うと、国木田は敦の右手首を掴み直し、そしてそのまま彼の体を床へと叩きつけた。




「小僧。茶漬け代は腕一本か凡て話すかだな」

「まあまあ国木田君。君がやると情報収集が尋問になる。社長にいつも注意されているだろう」

「そうですよ、それじゃあ敦くんが話したくても話せませんよ」

「…ふん」



国木田が小さく鼻を鳴らし敦の手を放し組み手を解いたところで、東野と太宰が近づく。




「大丈夫?国木田さん、容赦ないから」

「はい…」

「それで…君はあの虎の何を知っている?」

「…うちの孤児院はあの虎に、ぶっ壊されたんです」




敦の説明によると、彼の居た孤児院はその虎によって畑や蔵を荒らし壊されたことで貧乏だった孤児院は経営が立ち行かなくなり、
2週間前、口減らしとして彼が追い出されたとのことだった。
そして、孤児院を出てからも何故か彼を追ってきているらしく、彼の行く先々で虎を見かけるそうだ。




「その虎を最後に見たのはいつの話だい」

「鶴見の辺りであいつを見たのが確か4日前です」

「確かに、虎の被害は2週間前からこっちに集中しているな。それに4日前に鶴見の辺りで虎の目撃証言もある」

「……2週間前から被害が集中。4日前に鶴見…」




何やらブツブツと呟きながら考え始めた東野に、周りの声は聞こえない。

2週間前、被害、4日前、鶴見、
立ち行かなくなった孤児院、そして…――。




「おーい、早樹ー」

「ふひゃ!?」



突然誰かに引っ張られて東野が我に返れば、太宰に後ろから抱きしめられていた。
敦の話を聞いている間、東野は近くの柱に体を預けていた…が、どうやら彼に腕を引っ張られそのまま抱き留められてしまったようだ。




「うふふ。本当、早樹は可愛い声を出すよね」

「…ねえ、もうそろそろ帰っていい?私、元々非番なんですけど」

「だーめ。早樹はこれから、私と一緒に倉庫に行くんだから」

「……へー初耳です」




嫌味のように返せば、太宰は楽しそうに微笑む。
その笑みに言葉で切り返す事も出来ず、東野は業とらしく大きな溜息を吐いたのだった。



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