海底散歩と四拍子
□人生万事塞扇が虎
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発信器が示す位置に着く頃には、既に日は傾き西へと沈もうとしていた。
「この辺り…のはずだけど」
東野は辺りを見渡しながら土手沿いを歩いていると、ふと河を某探偵小説の死体のように両足を空に向け流れていく姿が見えた。
死体…というには時々足がピクピク動いている。どうやらまだ息はあるようだ。
「はあ…いっそ、このまま流してしまった方がいいかも」
それが目的の人物だと直ぐに気付いた東野は、途端に面倒になったようで遣る気を失う。
とはいえ、国木田に頼まれた以上助けないとケーキは貰えないわけで。
「仕方ないか」
厭そうに。
心底、厭そうにそう呟いて動こうとしたその瞬間。
バシャンと、河に飛び込むような音で思わずそちらに目を向けた。
「あれは…少年?」
河に飛び込んだのは一人の少年だった。
水の中で現れたり消えたりしてしまうからハッキリと容姿を確認することは出来ない…が、向かっている先から想像するに、どうやら両足の出た水死体(擬き)を助けようとしているようだ。
「へー…」
東野は思わず感心の声を漏らすとそこで思い出したように、彼を助けるべく土手を下りることにした…――ここでいう彼とは、あくまで勇敢な少年のことであったが。
「…けほ、けほ」
「彼方、大丈夫?」
「あ、はい…ありがとうございます」
息を切らせながら律儀に御礼を言う少年に、東野は少し好感を持った。
…うん、中々に良い子だな。と。
「でもこの人は…大丈夫でしょうか」
「大丈夫でしょう、どうせ」
「でも…」
そう言いかけたと同時に、水死体…だったものがむっくりと勢いよく起き上がった。
突然のことに少年は驚いたが、東野は呆れたように「ほらね」と平然と言ってのける。
「河に流されてましたけど…大丈夫ですか」
少年は恐る恐る尋ねると、彼は目をパチクリさせながら「助かったか」と漏らす。
そして。
「…―――ちっ」
盛大に舌打ちをした。
そして少年の隣に座って居た東野の姿を見つけ、ゆっくりと立ち上がる。
「君たちかい、私の入水を邪魔したのは」
「私は放置しようと思ったけど、彼が助けようとしてたから手伝っただけ。それに、見つけないと国木田さんから報酬のケーキ貰えないし」
「僕はただ助けようとしただけで…え、入水?」
「知らんかね。入水…自殺だよ」
「自殺!?」
「そう、私は自殺しようとしていたのだ。それなのに君が余計なことを…」
…僕、なんか怒られてる?
困った様子の少年が哀れに思った東野は、つい、そっと横から口添えをする。
「普通、あんな状態で流れてる人を見て何もしない人の方が異常だから」
「でも君は放置しようとしたんだろう、早樹?」
「…あれだけ毎度毎度、自殺自殺言われたら毒されますよ。慣れです。ああ怖い」
そう言って呆れたように、東野は溜息を吐く。
それを見て彼はフッと笑うと、改めて少年に視線を戻す。
「…まあとはいえ、人に迷惑をかけない清くクリーンな自殺が私の信条だ。
だのに、君に迷惑をかけた。これは此方の落ち度。何かお詫びを…――」
同時に聞こえたのは、少年の高らかに鳴った腹の音だった。
「空腹なのかい、少年」
「実はここ数日、何も食べてなくて…――」
そこで再び、腹の音。
しかし今度は少年でなく、少年の目の前に立つ彼の腹の音で。
「私もだ。ちなみに財布も流された」
「ええ?助けたお礼にご馳走っていう流れだと思ったのに」
「?」
「『?』じゃねえ!」
「…この人に常識は通用しないですよ、君。それこそ…――」
「こんな処に居ったか唐変木!」
東野の言葉を遮るかのような大きな声に3人がそちらを見れば、河の反対側に一人の男が大層不機嫌そうに立っていた。
「…あ、理屈(セオリー)を破らない男が来た」
「おー国木田君、ご苦労様」
「何がご苦労様だ!苦労は凡てお前の所為だこの自殺嗜癖!お前はどれだけ俺の計画を乱せば…――」
「そうだ良いことを思いついた。彼は私の同僚なのだ、彼に奢って貰えばいい」
「人の話を聞けよ!!」
「…国木田さん、ご愁傷様。同情は…しないけど」
「君、名前は?」
「中島…敦ですけど」
唐突に尋ねられ、少年…――中島敦は戸惑いながらも質問に答える。
それを見て、東野はやはり良い子だとぼんやり思った。
…だって普通、この状況で素直に名乗らないでしょう。
「では、着いてきたまえ敦君。何が食べたい?」
「あの…出来れば」
「なあに、遠慮はいらないよ」
「…茶漬けが食べたいです」
中島の一言に、2人は少しだけポカンとして、やがて男の方が楽しそうに声を出して笑った。
「餓死寸前の少年が茶漬け所望って…」
「良いよ、国木田君に30杯くらい奢らせよう。早樹もご飯はまだなのだろう?国木田君に奢って貰うと良いよ」
「え、いいの?やったー」
「俺の金で勝手に太っ腹になるな太宰!あと早樹も話に乗るな!!」
「太宰?」
「ああ、私の名だよ」
そこで河辺を吹き抜けるように風が吹いた。
まるで何か始まりを思わせるそれは、ふわりと男の背広を浮かせる。
「私の名前は太宰…――太宰治だ。
…ああ、あと彼女は東野早樹。私のた…――」
「東野早樹です、よろしくね敦くん」
「は、はい」
「……」
大事な説明を東野に遮られ、太宰は只、沈黙することしか出来なかったのだった。
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