兎の姉弟。

□K
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『む……ここは…………?』
次に目を覚ましたのは、見覚えのない部屋だった。
碌に家具もない、殺風景なマンションの一室のようだったが、身体の下は柔らかな布団の感触がある。
『…………はっ!?』
慌てて両の腕を確認するも、そこに眠りこける美女などいるはずもなく、真っ黒な己の両手があるばかりだった。
キョロキョロと辺りを伺っていると、落ち着いた女の声が転がってくる。
「―――あら、目が覚めたのね?今ご飯にするから、ちょっと待っててね。」
『猫である俺に話しかけるとは、まさか猫語を操る伝説の猫マスター!?』
などということはあるはずもなく、猫に向かって話しかける、ただの独り者がいるだけであった。
その独り者の顔には、桂も見覚えがあった。
『銀時……いや、銀時はまだ猫のはず……ということは朱実殿か!』
どうやらここは、銀時の姉、朱実の自宅のようだ。
「元気そうで良かったわ。お医者様も、怪我をしているわけじゃないって仰ってたし。」
彼女は、桂の目の前に茹でた笹身の乗った皿をそっと置いた。
「栄養失調だそうよ。ちゃんとお食べ。」
『……かたじけない……』
桂が食事をするのを、朱実はじっと見守っていた。
桂と朱実はほんの数度、面識がある程度なのだが、桂は朱実のことをそれなりに知っていた。
かつて戦場からふらりといなくなった銀時を、戦線に戻そうとやっきになっていた頃、
将を射るための馬として懐柔できないものかと調査していたのだ。
その時の記憶に拠れば、朱実は動物好きで、弱っている者を拾ってくる癖があり、情に脆く。
―――死に体の桂を助けようとする理由はいくらでも思い当たった。
『ごちそうさまでした。』
「お粗末さまでした。」
桂の言葉が通じているとは思えないが、朱実は空いた皿を下げた。
戻ってきた朱実は桂の横に座ると、桂の背中をそっと撫でた。
『ふむ。これは―――朱実殿は中々のテクニシャンであったか。』
意図せず、桂の喉がごろごろと音を立てる。
朱実はおかしそうにくすくすと笑うと、桂を抱き上げた。
軽々と持ち上げた桂と目線を合わせ、語りかける。
「―――あなた、うちの子にならない?名前は……そうねえ……」
『……』
「……”神聖なる闇”なんてどうかしら?」
『―――朱実殿はまさかの中二病であったか。』
「あら、気に入らなかった?」
言葉は通じずとも、不満の意は伝わったらしい。
桂は朱実を傷付けぬよう身をよじり、その手をすり抜けた。
そのまま玄関の方へ向かう。
『すまぬが、俺にも帰りを待つ者がいる以上、何としてでも元の姿に戻らねばならんのだ。』
玄関の扉を見つめて動かない桂の背に、再度朱実の手が伸びる。
その手は音もなく桂の腹へ回され、彼は背中から強く抱き締められた。
「かぶき町へ戻っては駄目。」
朱実の腕は、微かに震えていた。
「また、かぶき町へ戻るつもりなんでしょう?今は野良猫狩りしてるから、戻っちゃ駄目。」
『しかし―――』
「お願い、危ないことしないで……銀時……」
『……銀時ではない、桂だ……』
「数日前から行方不明だって、新八君達から連絡があったけど、どうせまたトラブルに巻き込まれてるんでしょ!」
『ま、まあ相違ないが……俺は銀時ではない。』
「やっと自由に会えるようになったっていうのに、何してんのよぅ……ばか……」
銀時と朱実のの生い立ちなど聞いた事はないが、銀時と初めて会った時のことを思えば、
随分酷い境遇で育ったであろうことは想像に難くなかった。
弱った者を保護しようとするのは、どこかで幼い銀時と自分を救おうとしてのことなのかもしれない。
「せめて連絡ぐらい寄越しなさいよ!」
ぐずぐずと泣き出したかと思えば、突然叫んで涙に濡れた鼻先を、桂の背中に押し付けてくる。
不安定な朱実の様子に、桂の身を案じているであろう同志達の姿が想起された。
朱実は女だから泣いても哀れにも思えるが、むさくるしい同志達に同じことはさせられない。
桂は上半身をひねると、片手で朱実の頭をぽんぽん、と撫でた。
朱実が泣き腫らした目で、きょとんと見つめてくる。
腕の力が緩んだ隙に、再度朱実の手から逃れると、2本の足で着地した。
『案ずることはない。銀時は無事だ。しかし、何の連絡もないままでは確かに不安であろう。』
驚いた表情の朱実へ向けて続ける。
『一宿一飯の恩義もある。必ずや銀時より無事の報告をさせよう。その為に―――』
すっと扉を指差す。
『どうか、やつらの元へ行かせて欲しい。』
「………………ふふっ。」
言葉はきっと通じていないのだろうが、気持ちは伝わったのだろう。
朱実は小さく笑うと、仕方ないわねぇ、と言いながら扉を開けた。
『朱実殿、助けてもらったこと―――感謝する。』
最後に礼を述べ、桂は朱実の部屋を後にした。
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