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□thirty-second.
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 セストラルを見たその日はメリッサはじっと下を向いたまま一言も喋らなかった。

ジェームズの声にもレギュラスの声すら届いていない異常な様子に男共は困惑の極みに達していたが、リリーが体調不良だと勘違いしたのか早めに寝室へと連れて行ってくれたのが功を奏したのだろうか。

翌日にはいつも通り元気な様子になって戻って来たメリッサに皆が喜びの声をあげた。だが内心セストラルを見えてしまったのではと思うのはレギュラスだけでは無いのだろう。

あの場にいたジェームズはほぼ確実にその事実を見抜いていた筈だ。それでもその感情を隠し誰よりも復活を喜ぶ兄の姿に、メリッサはそれは明るい笑顔を返していた。

レギュラスはじっと彼女の笑みを見てそっと視線を外した。








「あの日私はセストラルが見えたの。そのあと入学してからずっと思っていた疑問が溢れて止まらなくなった」

 図書室にある二人だけの秘密の場所。そこから差し込む陽射しの柔らかさが窓に背を預けながらメリッサは静かな様子で口を切った。

その隣に立ちながら涼し気な彼女の横顔を見つめながら一切の口出しをせずに聞き役に徹するレギュラスは、不安でいっぱいだった。

メリッサが感じていた他の新入生とは違う部分に困惑を示していた部分を何度も見ていた。それが引き金となりあらゆる全てを思い出してしまったのならば。

決して綺麗な記憶ばかりでは無い。その思い出に幼いメリッサが潰されてしまわないか……レギュラスには心配だった。

「多分レギュラス君も気付いていたわよね。私が知らない筈の魔法も知識も杖の振り方も、学生で学ぶべき所を理解していることも」

「……はい」

「お兄ちゃんはそれは天才だからと言ったけれど……私は一度も見た事がないことすら知っていた。理論も呪文も、薬の作り方も。一科目じゃなくて全科目よ……」

 ゆるりと頭を振るメリッサは消え入りそうな声で「普通じゃないわ」と呟く。彼女目線からは過程を知らずに答えだけを導かれた難しい数式のように感じるのだろう。

レギュラスのように今まで辿った経緯を、記憶を持たないメリッサが疑問を持つのは至極当然の流れだ。だが彼女は今まで一切の不安をレギュラスの前でも口にしたことがなかった。

その不安を小さな体に一身に詰め込んでいたのだろうか。

「私が知らないことを体と知識は知っている。置いてけぼりなのは私の心だけね。昨日までは私と同じようなレギュラス君がいたしお兄ちゃんの言葉で何とか自分を誤魔化してこれたわ……でも」


 すぅっと深く息を吸ったメリッサは一度目を閉じてその時のことを鮮明に思い出す様に言う。言葉を発しながらもう一度切なそうに開かれるハシバミ色の瞳は、どこまでも澄み渡り何の穢れを知らないままに見えた。

だがどこか見落としていた部分を見つけたような……気付いてしまったようなそんな眼差しに、レギュラスはメリッサの心がどれだけ傷付いているか見て取れてしまう。

この一年間言い出せなかった彼女の奥底に沈む不安が乗り移ったようにレギュラスの心は苦しさを感じる。ざわり。そんな騒めきが静かに揺れ始めた。


「天才である筈のお兄ちゃんが私と同じ物を視えなかった。天才のお兄ちゃんが言うから私の特別な部分はその言葉でなんとか誤魔化していたけれど、天才である人が視えなかった物を視える私は……異常なのね」

 そこでメリッサは無理に笑おうとして歪な笑みを作った。傷付いていると一目で分かる笑みはとてもじゃないが見ていられなくて、思わずレギュラスは口を挟んでしまう。

驚くメリッサの瞳に映るレギュラスは自分が思っている以上に苦しそうな顔をしている。紡がれる言葉だけが明るいだなんて……そんな器用な事を彼女の前でレギュラスは出来そうになかった。


「無理に笑わないで下さい。傷付いている時に浮かべる笑顔は、どうしても明るい物に成り得ないんです」

「……そう、ね。私はいま、きっと酷い顔をしてるのね」

「……はい。僕が、一瞬でもあなたを苦しめる記憶を消してしまいたいと……思ってしまうほどです」

 ローブのポケットに入る愛用の杖をレギュラスはそっと握る。言葉は決して偽りでは無い。だが理性が自分勝手な思いを縛り、メリッサの結論を聞くまでの猶予だ、と首元に杖を突きつけたまま言うのだ。

レギュラスの純粋過ぎる故に苛烈な衝動とも思える発言にメリッサは驚きから困った表情へと変えていく。そしてゆっくりと首を横に振るのでレギュラスは惜しくも杖から手を外す。

「……駄目よ。私は自分がおかしいってようやく認められたの。だからどうしてそうなったか、調べてみたい。何の理由も無しにこうなったとは思えないから」

「何の理由も無しに、ね。僕がもしーーあなたの知りたい全てを知っていると言ったら……メリッサはどうするんですか?」

 真ん丸に瞳孔が大きく開くメリッサだったが苦笑を浮かべると、ほんの少しだけ普段の彼女を取り戻したように明るい口調を混じらせてレギュラスへ微笑む。笑顔に雲はかかってはいなかった。

「私は欲しがらないわ。だからどうもしない」


 そう言うとメリッサは窓から身を離し一歩ずつ陽射しの差さない場所へと歩いて行く。それは光から闇へと堕ちていくようにも思えてレギュラスは、気付いたら彼女の腕を掴み引き留めていた。

不思議そうなメリッサの姿にはレギュラスが掴む腕にのみ光が当たっている。フラッシュバックのようにノクターン横丁で見た血の気の無い死の影を背負う彼女の姿と、つい先日に言われた言葉を思い出す。


ーーレギュラス君の秘密主義には慣れた……


 秘密。そう秘密だ。メリッサが求めてはいるがレギュラス自身から聞きたいとは言わなかった彼女の秘密。

(それをいまこの場で言ったなら……メリッサは、)

ざわりざわり。レギュラスの胸の奥では僅かな期待感と恐怖、拒絶されるかもしれないと不安に思う感情がせめぎ合い激しくぶつかり合う。

心臓の鼓動も毛先まで響き緊張で生唾を飲む音にすら敏感に心臓が跳ねた。澄み切ったハシバミ色の瞳が黙ってレギュラスを見つめてくる。その眼差しに怯えるように、レギュラスはか細く真実を紡ぐ。


「もし、僕達が死んだことがあるから、セストラルが見えたと言ったら……メリッサは信じますか……?」

 メリッサは幼い仕草で首を傾げてレギュラスの言葉の意味を考えているのだろう。きっとこの言葉が真実だとは受け取らなかった。そうレギュラスは一瞬で分かってしまう。

彼女が何かを紡ごうとする口元を注視し開いた時に、邪魔をするように言葉を滑り込ませて茶目っ気に溢れた笑みを向けた。

「なんてね」

 ちゃんと上手く笑えたのだろうか。彼女の腕を掴むその指先からレギュラスの想いが全て伝わってしまいそうで怖くなる。

メリッサに否定されるのが怖い、否定しないで、全部本当なんです。伝わればいいのにと思う反面否定される恐怖は拭い去れず。

レギュラスは自身が用意した逃げ道へと身を滑り込ませるしか出来そうにない。記憶の無いメリッサが真実へと向き合おうとしているのに、こびり付いた恐怖心が枷となり向き合うことから逃げてしまった。


 胸のざわめきだけがレギュラスを慰めてくれるようにすら思えた。



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