文豪ストレイドッグス
□小さな夜を食む
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冷たい水で熱を冷ます。期待に揺れる心にどこまで単純な水が染み入るかは分からないが、無いよりはマシだろう
頭からシャワーを浴びた中原は、つい十分前まで着ていたドレスの屈辱など排水口へと流し、大爆笑で撮影に望んでいた小夜への怒りすら水に流してしまっていた
(アイツ…これから自分がどういう目に合うかちゃんと理解してんのか?)
中原が男としての尊厳を砕いてでも受け入れた屈辱。その代償は彼女自身だと知っててあの大爆笑だったなら、余程の馬鹿か根性が据わっているかのどちらかだ
だが頭にその考えが出た途端中原はふ、と笑う。そのままシャワーの蛇口を捻りバスルームを出た。頭を占めるのは彼女のことばかり
ーーまるで自分までも初体験を迎える様な。妙な気分になってしまうのは何故だろうか
「…全部小夜の所為だなァ」
肉体の初体験の時ですら気持ちはここまで浮つかなかった。乾いたタオルで適当に水滴を拭い下着を身に付け、備え付けのバスローブに腕を通す
濡れたままの明るい茶髪に中途半端に濡れたタオルを乗せ完全に乾かすつもりは無く放置。どうせ直ぐに汗にまみれる
乾かす時間があるなら違う物に触れたい男心が騒めいていた。だが先にシャワーを浴びた彼女はちゃんと髪を乾かしただろうか
ただでさえ面倒臭がりの小夜がドライヤーを使う音すらしなかったと記憶を辿った中原は、バスルームを出て部屋にいるであろう彼女に声をかけたが返事が無い
…まさかあの小夜がベッドの上にいるとは思わず。濡れたままの髪を下にしてすやすやと眠りに落ちているとは、誰が想像できるであろうか
「、俺だけが意識するって…そりゃあねえだろう、なァ!?」
すよすよと気持ちよさそうに寝入る小夜の顔面へ、濡れたタオルを煮え滾る感情を纏わせ投げつけた
「待っている間暇だったんです。案外ふわふわなベッドが気持ちよくてですね…そのままスヤーっと」
額を不自然に赤くした小夜はベッドの上で正座を強制されていた。その様子を不機嫌丸出しで見下ろす中原は、謝罪と言う名のベッドの心地よさを宣伝されている気分だ
苛立ちは舌打ちになり現れてしまう
「ちっ…」
「何をそこまで怒っているんですか。珍しい私の謝罪会見ですよ」
「どう聞いてもTVショッピング中継だ。一応聞くが、この後することは理解しているよな?」
疑問符は添えるだけ。疑問文では無く知っていることを前提で聞きにいっている
これでもかと寄せられた中原の眉を見れば流石の精神的に図太い小夜でも、これ以上は茶化せないと分かっていた
だが中原と違って経験すら無い小夜が羞恥心を感じない訳も無く。紅葉の姐さんに教えられた性知識を思い出し火が付いたように頬を赤らめた彼女を見下ろし、中原も驚く
ぎこちない動作で小夜の頭が縦に小さく振られ、食べ頃の桃が自らを美味しく食べてくれと発しているようにしか見えないのだ
伏目がちの目元も心なしか潤んでおり眼尻に朱を差したように赤らんでる。小夜が自分を意識していると目に見えて分かる姿に中原は生唾を飲み込む
(処女なら誰でもいい訳じゃねェな。小夜だから、眼を離せない)
きっとあの肌はこれから中原にされることに怯えている。だから慎重にしなければ今後の生活…いや性活に響く
今にも吸い付きたい衝動を必死に隠しベッドに乗り上げた中原は、落ち着かない小夜の目の前で胡坐を掻き、寝起きの温かい体温を布一枚越しに感じながらそっと抱き寄せた
彼女が緊張しているのが中原にまで伝わる。バクバクと煩い心臓の音が耳の良い中原に届く上に、心臓を重ねる様に抱き合えば分からない筈が無い
(普段は性別が小夜って感じなのに、今のコイツ馬鹿みてェに心臓うるせェ…まさか怖いんじゃねェだろうなァ?)
「怖ェか?笑顔で血を浴びる小夜が…信じらんねェぞ」
「う、うるさいです。任務や訓練の時と中也さんが違うから…!」
「俺の雰囲気やら表情で一気に女らしくなるなんざァ初耳だ」
「…私だってこんなに女らしくなるとは知りませんでした」
小声で言ってくる小夜の本音が丸聞こえだ。クツリと自然と笑いを零す中原は彼女の濡れた髪に宥めるように擦り寄る
その間も二人の体温の境目が分からなくなるほどに抱き合う。直に感じる小夜の肌の柔らかさも、中原の男らしい筋肉の硬さも…全てが自分と違う
ただ同じなのは心地よい体温。それと…
(煙草と、薄く残る血の匂い。やっぱり幾ら洗っても取れないこの匂いは…安心します)
濡れたままの茶髪に顔を埋めスンと鼻を鳴らせば、小夜の緊張が僅かに解れていく気がした
縋り付くように小夜の手が中原の背中へおずおずと伸ばされ、力無くローブを掴む。その感触を皮切りに小夜の髪に触れていた唇を徐々に下へ落としていく
髪から額へと移り、緊張を解す優しいキスが顔中に降り注ぎ小夜はくすぐったそうに笑う。そうして唇に触れそうな所にされた後、初めて二人の視線が交わる
中原の瞳は言うまでも無く柔肌に牙を立てる獣の中に、一握りの理性と優しさを混ぜた熱の篭る物だ
対する小夜の方は処女特有の不安が色濃く出るものの、逃げない意思が混ざる彼女らしい瞳。そんな眼を見つめ合い、中原はそっと小夜へ言う
「…慣れるまで優しくする」
「…絶対、ですよ」
「ああ。絶対な。絶対優しくする」
少なくとも理性が続く間は。そんな含みがあったが夜の帳が下ろされるように重なる口付けに、説明をする余裕など無かった
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