文豪ストレイドッグス

□苦い世界でテメエとダンスを
1ページ/4ページ



見慣れない天井を視界に収め遮る様に自身の手をひらりと翳した

本来であれば傷だらけであろう手は女らしく柔くまろみがあり、日向の下でのうのうと生きる少女の様だ

異能力の所為で傷のひとつも残らず消えてしまう手は、決して表に出れぬほどに人を殺めたというのに。自嘲してしまう


そしてこの後すぐにまた手を染めるつもりである小夜はその手に黒塗りの手袋をはめる

手首までも黒く染める手袋は繊細な指の動きを邪魔する事は無く、動作を支えるようなフィット感が絶妙だ

拳を握っては指の股まで開きまた握る行為を繰り返すほどに体の一部として同調し違和感がなくなった。その様子に寂しそうに微笑む小夜は手袋越しに手の甲へキスをする


「…あなたの選ぶものはどれも最高ですね」


本来の持ち主である人から譲り受けた訳では無く、借りたまま私物化した経緯は尊敬も糞も無いが、手袋越しに敬愛の念のキスをするくらいは慕っているのだ

彼の人と小夜を繋ぐ物がある限りはまだ大丈夫だ。そう心に言い聞かせて新しい部署にて最初の仕事をするためにベッドから置き上がった









黒蜥蜴と呼ばれる凶暴な実働部隊を担う武闘派組は役職問わず全員が地下の鍛錬場へと呼び出され集合していた

黒服にサングラスという子供でも悪い人だとすぐ分かるような恰好をする逞しい男達が、滅多に足を踏み入れることのない異能力者専用鍛錬場に困惑を見せながらも沈黙を貫く

その列の前から二番目に居る随分とラフな格好をした青年が隠しもせず好奇心に身を任せてあちこちへ眼を配る。鼻筋を横断する形で絆創膏が貼られ彼の活発さが伺えた


「はぁぁ、これが異能力者専用鍛錬場ねぇ…無駄に広いし床まで凝ってる。まるでデカい箱だな。もっとこう…穴ぼこでヒデェ場所だと思ってたよ」

「能力者自身が直すに決まっているだろう。流石に私は恐ろしくてここは使えんが、そう聞いた」

「はぁ?ジーサンが怖いって…おいおい嘘だろ」

活発な青年…立原道造が黒蜥蜴のリーダーであるモノクルをつけた白髪の老紳士風の男…広津柳浪を馬鹿にしたように茶化すが、広津は何も返さない

事実なのかよ。小声で不審気味に零した立原はふと自身の隣にいる無愛想で陰気臭く無口で気に食わない女に視線を向けた

普段通り腐った物を見る様な眼で顔を顰めているのだろうと思っていたが、彼女はこれでもかと眼を開き固まっていた


もし口元が見えていたらぽかりとみっともなく開いていた事だろう。生憎口元を覆うマスクで見えないが…

立原は先頭を歩いていた広津がいつのまにか止まり、何もないだだっ広い空間を見つめて固まっている女…銀の様子に釣られ役職持ち三人が揃ってそちらに眼を向ける

そして彼もまた同様に驚愕し言葉を失った


「ーー広津さん先日ぶりです。他の方はお初にお目にかかる」


聞き覚えの無い声だ。だがその笑顔を浮かべる風貌はポートマフィアにおいて知らない者は新人以外に存在しない

ざわりざわりと屈強な男達がざわめくのも無理はない。中には小声で「あの女は誰だ」と聞く愚か者もいたが、即座に足を踏まれ意見を殺されていた

傍から見ればただの力の無い女に見える彼女が…


ーー五大幹部である中原中也の狗。彼が一から仕込み完成させた暴力の頂点にいる凄腕だ


(ていうかコイツどっから入って来やがった…俺達の背後に扉があるだけで入り口なんてどこにもねえのに…っ最初からいたのに俺等が気付かねえっていうのかよ…!?)

立原とほぼ同様のことを思う面々は畏怖の念を抱く者もいれば警戒を強める者もいる。根底のあったのはただ者では無いという認識だけだ

空気が凍り付いていくのを感じた小夜は笑みが深まっていく。ヒッと恐怖を零した黒服は誰だろうか


「私の名前は朝霧小夜です。本日より黒蜥蜴の専門訓練長として配属されました。不満も愚痴も吐ける口があるならどうぞご自由に…叩ける口があれば、ですけどね」


そう茶化す様に言った小夜の眼は決して穏やか何てものではなく

とても部下に向ける物ではない底冷えする逃れようのない死を突きつけられるような気味の悪さに生唾を飲む音が響いた

暗殺や裏切り者を処罰する部署にいる面々が”自分達が殺される番か”と自然と体が震えていく。冷や汗が背筋を伝うならまだマシで額を伝う人間すらいた


マフィアらしい体格なんて形無しの恐れっぷりに笑顔を貼り付けた小夜へ返答が返せず、彼女には無視したと取られてしまう

その所為か彼女に一番近い場所にいた広津が犠牲者一人目として一瞬で壁へ叩き付けられた


広津が眼で追えたかは分からない。それでも特別製の壁へめり込み鍋底の様にへこんだ様子を見れば、身体ダメージは安易に想像がつく

次は自分達がああなるのか。迫る恐怖と痛みに想像などしたくないがしてしまうのが人間の本能だろう


「上司の意見を無視してはいけないと教わりませんでした?この場で一番偉い広津さんの責任ですよ」

「がっ…も、申し訳…ありません」

「それと今のは注意兼中原さんの分です。彼があなたによろしくと仰ってましたので…やはり足りないでしょうか。ならもう一度…」


今度は内臓を破裂させてしまいましょうかと楽しそうに言う小夜に、反射的に広津が立ち上がり頭を下げながらも痛みが無くなった体に疑問を浮かばせた

「いえ!老体には十分染み込みましたとも…、痛みが、ない?いや先程まで息も出来ない程だったが…」

広津の口元から一筋垂れる赤い物が強烈な痛みの証拠だろうが、全く無かったようにリセットされた体は快適で、自分の体では無いように気持ちが悪い

傷付いた精神が置いてけぼりを喰らったまま体は傷ひとつも無いだなんて。疑問符を掲げる広津の代わりに緊張を孕む態度で立原が答えを出す


「今のが、アンタの異能力か」

「そうですよ。今のは黒蜥蜴の皆さんが来る前にこの部屋にかけた能力のひとつです。傷を完治させると言った方が分かりやすいですかね…でも血が戻ってないのはかけ方が甘かったからでしょうか」

「おいおい…っ能力がひとつじゃねえのかよ…!」

「ひとつだけなら私は中也さんの狗のまま生涯お仕え出来たでしょうに」

素っ気無く言った小夜はもう一度複数かけた異能力をかけ直す。これから訓練と称された拷問が始まるのだ

中途半端なことをすれば中原に叱られてしまうーー容赦なくやれ。その言葉の通り実行するのが彼の狗たる存在の勤めだろう


(分かってますよ中也さん。まずは痛みに慣れさせる為に、容赦何てしません)



.
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ