文豪ストレイドッグス

□苦い世界でテメエとダンスを
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強くなれ。俺の狗なら…俺を守れるくらいに

随分昔に中原は言った覚えがある言葉だ。長々と喋ったのを要約すればこんなにもコンパクトになる言葉は、当時今よりは弱かった小夜を未来まで縛るものだ


彼女は中原の命令を守り狗であり続ける為に強くなった。マフィアとして胸を張り小夜の実力を自慢できるくらいに


だから…分かっていた

こんな日が来ることくらい…なにかと理由をつけて先延ばしにしていた中原は、誰よりも分かっていた



「小夜君を中也君の下から移動させて部下育成と指揮の経験を積ませようと思うんだ」



首領の言葉に中原は反論の言葉が口から出るよりも前に脳内が真っ白に溶けていく気がした

書類上の引き抜き申請とは訳が違う。ポートマフィアの首領たる森鴎外から直接言われるということは…それはもう覆らないと言う意味が含まれる


一度たりとも自分の意見を覆したことがない鴎外の決定、之(これ)即ちーー二人の別れを示す

通常の中原ならば首領に敬意を払い「分かりました」の一言を帽子を胸に当て頭を恭しく下げることだろう。だが今回ばかりはそれが出来そうにない


言葉を初めて口にするようにたどたどしい発音の羅列が意味を成した

「もう…無理なのでしょう、か…?」

「そうだね。もうこれ以上小夜君をキミの元に留めるのは無理だ」

容赦なく切り捨てた鴎外はとても良い笑顔だった。だからこそ中原は反抗する意思を殺した

例え五大幹部と言えども首領の決定を覆すなど謀反に等しい。小夜と首領を天秤に掛けどっちを取るかなど愚問だ


ーーきっと小夜なら…アイツは馬鹿だから俺を取るんだろうなァ


一切の動揺も意思も掻き消した首領に従順な中原中也へと…瞼を閉じ三秒後にあけた時に切り替える

その眼を見て鴎外は中原の心境の変化を読み取り素直な言葉をかけた

「流石だね。心の切り替えが機敏な子はとても助かるよ」

「…ありがとうございます」

「もしかしたら中也君がごねるんじゃないかって少し心配していたよ。キミは小夜君を大事にしているからね」

顔の前で手を組む鴎外は顎を乗せながら煽る様に続けるが、中原は一切の反応を見せない。それどころか小夜の様に笑みまで見せ始めた

「ただの戦闘面だけは優秀な部下なだけです。重宝していたのは否定致しません」

「そうだね。中也君が一から十まで躾た優秀な狗だもの、どこへ出しても恥ずかしくないだろう…戦闘面においては」

「…はい」

戦闘面と書類処理以外の小夜の駄目な所は一応首領にも伝わっている様で最後の言葉に苦笑を滲ませていた

否定することも無く穏やかに返す中原は笑みを崩さない。彼は決めたのだ。この部屋から出て声が聞こえなくなるまでは笑みを崩すものかと


それしか…侮辱の限りを尽くされ挙句の果てに死ぬほど嫌いな太宰に鼻で嗤われる以上に汚泥渦巻く感情を抑え付ける手段など見つかりそうも無い

一切の感情を隠した中原をどう思ったのか鴎外は机から数枚の書類を取り出し中原へ手渡す。見ながら話しを聞いてくれと断りを入れてから詳細を教え始めた

「小夜君の行く場所はね遊撃隊。丁度彼女と交友のある芥川君や樋口君がいるところだ。ここなら中也君も少しは安心出来るんじゃないかって頑張って候補から厳選したんだよ」

「そう、ですね」

ただ中原の頭の中には首領直轄の遊撃隊の指揮下にある「黒蜥蜴(くろとかげ)」と呼ばれる組織にいる一人の人物をふと思い出す

先日は酒の席だったから殺気のみでその場を許してやった黒蜥蜴のリーダーの広津柳浪。まさか…と思う

だが嫌な予感ほど当たるのは人間と言う物なのかもしれない

「だけど指揮や部下育成を主としたいから小夜君は黒蜥蜴の専門ポストにつくということになるだろうね」

「…そうですか。ならば小夜直々に彼等を訓練するということですよね?」

「そうだと思うよ。ふふふ…小夜君が育てる子達がどれだけ強くなるか本当に楽しみだなぁ」

嬉しそうに頭を振り子のようにして小夜がそう遠くない未来で組織に齎す効果に期待する鴎外に、自信を全面に出した中原がスパイスを加える

且つて中原が小夜に施した訓練という名の拷問に等しい物を黒蜥蜴全員が浴びると言うのなら…

(俺から小夜を奪っていった奴等全員に俺が拷問したのも同じか。ハッ…精々苦しめよ)


「ええ、必ず小夜は黒蜥蜴を今以上に有能な使い手として成長させる筈です…愉しみですね。小夜の抜けた穴を埋める苦労を払拭できるような吉報をお待ちしております」

そうして中原は今度こそ完璧に帽子を胸にあて恭しく頭を下げた。表向きの言葉の一部に二重の意味を含ませるほど高まる激情の殺意は我慢を諦めていた

三日以内にお別れや部屋の引っ越しを頼むよ。そう言われ返事と共に書類を返した中原は礼節を保ちながら退室する


「やれやれ…小夜君より中也君の方が酷い状況になりそうだ」

強く握り過ぎて穴まで開いてしまった書類を見下ろし溜息をつく。鴎外の言葉は何一つ間違っていないと証明されるまでそう時間はかからない事すらお見通しなのだろう



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