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□悪食に三度お会い致しまして
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懐かしい夢を見た。夢というか記憶だけれども。
私がポートマフィアに在籍していた頃の話だけど、今はどうでもいいかな。だって最高の夜を素敵な女性と過ごせたんだもの。
豊満でいて女性らしい体のライン。ほっそりと伸びた四肢に合う美しい女性だった。ただ口紅の色は赤すぎだし、一度寝ただけで次もあるだなんて思うのはちょっとね。
乱れたベッドの上で次の約束とかどこに勤めているの、結婚しているの、などなど……そんな彼女面されるのも、深入りされるのも私は望んでいない。
一夜の夢だから許せるものもあると私は思う。だから面と向かって「性格が面倒臭いから次は無し!」なんて言ってみた結果……片頬がじんじんと痛むのは致し方ないのかなぁ。
夜明けにはまだ遠くて、まっすぐ伸びる道にぽつんぽつんと真ん丸の月が街灯に化けて、夜をお淑やかに照らしているから何も怖くない。
帰り道に頬の触れてはぴりりとした痛みに顔を顰めて、すっきりとした感覚とまだ覚えている素晴らしい夜の思い出に浸っては、勝手に出てくる「むふふ」と馬鹿っぽい笑い。
性格は好みじゃないけれど一夜の遊び相手にしては高品質な女性だったなぁ。また会いたいとは思わないけれど抱き心地がとてもよかった。
こういう日に自殺してしまえばもっと最高になるだろう。今日はどうやって死のうか。首を吊ってもいいし、普段通り入水してもいい。
「あぁでも……睡眠薬とか……一瓶くらいじゃ死ねないんだっけ。どうしようかなぁ」
とても気分がいい。私は次第にいいと思った女性のことを意識から弾き飛ばして自殺の方法ばかり熱心に考え込んでいた。
勤務先である武装探偵社の社員寮が見えてきた。もうついてしまうけれど、気持ちいい気分のまま今日は寝てしまうのもありかな。体力消耗したしね。
自殺欲と睡眠欲がせめぎ合った末に軍配が上がったのは後者の方で。まぁいっかとあっさり受け入れて浮ついた足取りで寮へと足を進めていると、怪しい影を見つけた。
思わず足を止めてそちらを見た。もしかしたら自分を殺しに来た人間かもしれない。
ひょろりと細長い電柱が崩れかけの月に手を伸ばす横に、私の腰ほども無い小さな影がいた。その影は目覚めようとする夜に何とか溶け込もうとしているのか身動き一つしない。
息を潜めて私の隙を狙う訳でも無い。そもそも暗殺者ならば自分の存在が勘付かれたその瞬間に何らかの行動をしなければならない。
でも小さな影は動こうとしないのだ。元職場であるポートマフィアが私を殺す為に差し向けるにしてはずぶの素人を送ってくる訳も無いだろうと踏み、警戒を下げていく。
その影に容易く手が届く位置に立ち止まってソレを見下ろした。
影は私が考えるよりもずっと幼くて明らかに成人していないであろう未成年の子が膝を抱えて眠っているようだった。発育が悪いとも思えるけれど孤児院から抜け出した風では無い。
一般家庭で育ったと読み取れる衣類。適度に手入れをされた黒髪。それに警戒心が抜け落ちたであろう寝入り様。
こんな夜更けにまともな子が路上で眠るだろうかと考えてすぐに私は否定する。恐らく女の子であろうその子を軍警にでも連絡すればいいのか、放置すればいいのか、色々考えてみる。
「……んー女の子なら連れ帰ってもいいけれど。性別が分かり難いし……」
国木田君に聞かれたら怒られちゃうんだろうけど。呟いた声に睡魔から少しだけ目を覚ましたらしいその子は半分以上眠っているようだが私の顔を見上げた。
暫しお互い止まって。眠たげな声はとろりとしていて声変わりを経たにしては高めで、顔立ちも女の子ぽい。まず間違いなく女の子だろうなぁ。
十代の半ばくらいの家出少女?そういう子って軍警に通報したら私も手を出したと思われるのかな。別に未成年者は好みとかでは無いのに。
「……誰?」
「それはこっちの台詞かなぁ。君こそこんな夜更けに危ないじゃないか。軍警行く?」
「……いかない。寝る」
「こらこらこら、女の子がこんな所で寝ていると誰かに攫われちゃうよ」
その子は本当に面倒臭そうに私を見てくる。声に出さなくてもわかる。これ絶対このお兄さんうるさいって思っている顔だ。仕方ないと私も膝を折って小さな子のマネをするように膝を抱えた。
いまの私は機嫌がいいから別に突き刺さらないけれど、人の親切心が分からない子なんだなぁってがっかりしちゃうよね。冗談抜きに横浜は治安が言い訳じゃないし人攫いだってある。
当然のように人殺しをする集団だって裏で牛耳っているこの土地は、夜が深まればそいつらが他者に流させた血で埋まる危ない世界に一転する。
こういう反抗期の子は商品として扱い辛いけれど、売り飛ばす為の色んな教育を施してもすんなり覚えることも多いから割と狙い目だったりする。
元危ない人だった私としてはこの子を放置した先に待ち受ける地獄をよく知っている訳で。大体このくらいの金額で売れそうだなと思いながらも、人を救う側にいる人間として声をかけ続ける。
でも聞けば聞く程危機感が少ない温室育ちらしい現状を甘く見ている回答が聞こえてくる。馬鹿だなぁこの子。
別に死にたいというならば放置して「よい死を!」と手を振って去るよ、私は。でも面倒な事に寝たいだけだって言うんだ。でも家にも帰らないとも言う。軍警にも行かないとも。
馬鹿で我儘な面倒な子だ。元学校教諭だった国木田君に全部丸投げしちゃおうかなぁって思い立って携帯を探していると、ふとその子は不思議そうに私に言う。
「横浜は危ない人が多いけれど、すべての人が危ない訳じゃないってわたしは知っているよ。だからここで寝ても大丈夫」
「だからって寝てもいい訳ないのだよ。携帯……どこに仕舞ったかな。無いなぁ」
「……ズボンの後ろのポケットは?」
「ん? あれ、あった。君、勘が良いね」
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